1993年オーストラリア DVDは1997年日本ビクター
左はサウンドトラックCD
休日は仕事を抱えていて、ちょうど台風も来るので家で作業をするつもりでいる。
が、連休初日の今朝は疲れがたまっていて、動くことができず。
動けないついでに、棚から古いDVDを取り出して見始めてしまう。
この春に我が家のピアノを処分したときにも書いたが、邦題「ピアノ・レッスン」原題The Pianoであります。
日本公開は1994年2月19日、これを映画館で見たかどうか、どうも記憶がない。DVDはたぶん1997年ごろ出ていて、発売から日を経ずに買ったのだと思う。
たしか、9月の今頃だ。
よく吉祥寺の高架下にあった、新星堂AV売り場で買っていたが、店員さんが珍しいと思ったのか僕のことを覚えてくれるようになり、色々話しかけてくれたりした。
DVD規格の製品自体、その前年に出たばかりの頃だ。まだプレーヤーを持っている人も少なかった。DVDを買うとはこの人、相当のマニアだな、と思われたのかもしれない。
時折はLDの新製品も勧められたりした。が、正直なところ、AVにそれほど詳しかったわけではない。
LDはずっと欲しかったのだが、ずっと機械が買えなかった。ようやく機械が買えるようになった時期と、DVD製品の発売の時期が一致したので、偶々新しい企画に飛びついたのだ。
その後もしばらくはLDソフトのほうが多く流通するという状態が続いたが、間もなくDVD全盛の時代になると、ソフトの収集にも熱心ではなくなった。
ま、それはともかく。
さわやかな映画とはとても言えず、ごわごわ、ムズムズ、じめじめ、という印象が強く残る。ニュージーランドのことはよく知らないが、この映画に出てくる19世紀のニュージーランドは湿度の高そうな未開の森で、港も道もない。歩けば靴が泥に埋まり、スカートの裾も泥だらけだ。髪を撫でつけたスチュアート(主人公エイダの夫)は正装するとますます暑苦しい感じになる。
監督が女性なのはどこかでピンときた。同時期の映画「めぐり逢えたら」はもっとわかりやすいが、この映画もどこか女性的な視線を感じ取ることができる。
スチュアートは、よくわからないが女性ばかりの親族とともに暮らす、御曹司というか長男というか、そういう存在らしい。家庭人というか、親族の中の一員としての存在感が前面に出ている。
ペインズはスチュワートとは対照的に、一匹狼的な存在だ。のだが、カンピオン監督はこの男のすごいフェティッシュな面を強調して描き出している。何しろ、エイダに上着を脱がせてピアノを弾かせ、傍らでその上着を拾い上げて匂いをかいでいるのだ。。エイダは「人妻」なのでペインズもストレートな行動はできずもんもんとするわけで、そもそもピアノ・レッスン自体がその一環なのだが、それにしてもインパクトのあるシーンです。。前に書いたけど、同僚の女性たちとこの映画の話をしたとき「ああ、あの暗くて変な映画・・」という感想を漏らしていたのもわかる気はするな。
しかし・・。この映画、下手をすればただキモイだけのポルノみたいな作品になったかも知れないところを、すれすれのところできれいに、可憐というか、後味よくまとめ上げたのは、カンピオン監督の女性としての視点だったのではないか、という気がする。エイダもそうだが、フロラの、残酷さと可愛らしさと素直さが、鋭角的にくるくると切り替わるような性格も、なかなか男性には描きにくいのではないかと思う。
エイダというのはなんというか、ちょっとウサギの性格を連想してしまうのだが、一件意思疎通が難しいようでいて意外に多くの表情を見せてくれるという、その奥の深さが魅力的だ。
このくらい引用しても大丈夫かな。。決して無表情でも、単にかたくななわけでもない。時には笑顔も見せる。
ただ、彼女とピアノとの関係はかなり特殊だ。それが彼女にとっての足枷になっていたともいえる。結果としてペインズは、彼女をピアノから解き放ってくれたということになるのだろう。
ちょうど20年前(自分にとって)の映画、そのころの同僚たちとか、住まいその他、いろんなものが同時によみがえってきますね。懐かしい。と同時に、そのころは気が付かなかったいろんなことに気づかされました。