14日がホワイトデーで15日は確定申告の期限。先日もちょっと書いたが、7年前の今頃、これらの定例行事はどうなっていたのだろうか。もちろん被災地や、影響の大きかった地域では申告期限の延長その他の措置が取られたと思うが、かなり広範囲にわたり影響が及んだはずだよな。。ホワイトデーについては、自分がどうしたのか全く記憶がない。バレンタインデーにはなにがしかもらっている(写真が残っている)が、お返ししたのかしら。。
ご記憶かと思うが、震災当日の夕方には、コンビニからパン、お菓子、電池などは消えていた。スーパーでは卵、缶詰、インスタントラーメン関係は全滅。僕は土曜日に米を買ったが、その翌日ぐらいにはこれもなくなっていた。どういう訳というかさもありなんというか、酒とかグレープフルーツなどは売れ残っている。その後徐々に復旧したが、納豆などは暫く見かけないなど、影響はあとあとまで残った。あの頃なぜか、塩せんべい1パック89円ぐらいで売られていて、行くと在庫があるものだからつい買いおきたくなる。買えば食べてしまうというわけで、太ってしまい弱った記憶がある。
上の写真は被災地の知人たちに送った食料。先輩の呼びかけに応じた。ラーメンはおひとりさま3パックだったのを、変装して(メガネ変えたかな?)2回買いに行ったのを覚えている。あと一回、野菜も手に入らないと聞いて、秋葉原あたりのハナマサでキャベツや大根だったかを買って送ってあげた。郵便局に相談して、ゆうパックは被災地への送付を停止しているが、小包なら可能(多少時間がかかっても確実に届けることになっているらしい)と聞いて、箱も買ってお願いしたことがある。局員の方も東北のほうの人だかで、とても親身に対応していただいた。僕の経験では郵便局の方は、概して素朴に親切な方が多いように思う。
食料がないといっても、なにがしかは売られていたし、食うに困ることはなかった。ただ、スーパーの営業短縮はちょっと困った。前日8時まで営業していたので、大丈夫だろうと7時過ぎに行くと今日は6時半で終わった、といわれたり。
電力事情についても、自分の住まいや職場は輪番停電の対象外で、正直非常に苦労することはなかった。
もし今、あの頃と同じ状況になったら、色々と大変だろうな。今の家の暖房は全部電気だし、通勤も難しいだろう。
そういえば、停電のときすごいなと思ったのは黒電話。普通の固定電話はAC100Vがないと動かないが、黒電話は使える(電話線から電気をとっている)。実家にこれがあったので、連絡が取れた。あと、これは自分で持っていたものだが、普通の反射型ストーブ(火を入れると芯が赤く光るやつ)。ファンヒーターは停電するとつかえないが、反射型は灯油さえあれば使える。昨年引っ越すとき、このストーブは捨てずに持ってきた(転居先は石油ストーブ禁止だったが、実家で保管することにした)。