29年前の6月4日はお隣の国で色々あった日ですが、ちょうどその時僕は青森にいました。
前から予定してたわけでもなく、普通の土日で行って帰ってくるという、ちょっと信じられないというか、無謀な旅でしたが。。
昭和から平成に変わったこの年は、世界全体が騒然とした年だったわけですが、個人的にも、この数週間前には友人の訃報に触れるなど、色々あって・・。
まあその後の人生では毎年なにがしか色々あったりしたので、この年だけどうということは今思うとないのですが。
とにかく、土曜日の朝になって急に思い立ち、衝動的に。。
この朝の新聞一面に「ホメイニ師死去」というニュースが出ていた気がするが、ウィキを見ると6月3日死去なので、記憶違いかもしれません(ちなみにホメイニ師とはイラン革命の指導者。今の人は知らないかもしれませんね)。
車に飛び乗って、東北道をひた走ったのですが、夕方までに到着してます。仙台から先は前後にほとんど車がおらず、なんというか非常に日本離れした道路状況を、それにふさわしい運転で(なんという回りくどい言い方・)走ったのでした。周りの風景が流れる中、リアの座席脇にある物入れがカタカタ音を立てていたのを、29年たった今でもなぜか覚えています。
青森、弘前付近にはいくつか小私鉄があって、それらを訪問しました。ので、手元に残っている写真はそんなのしかありません。
写真はストーブ列車で有名な津軽鉄道ですが、終点の津軽中里は時がとまったかのような長閑な駅でした。
こういうのは別のブログ(鉄道部)で書くものですが、話のついでなので。
この終端部のたたずまいに萌えてしまうのですね。。線路の両脇も丘になっていて、突っ込むような形で線路が終わっています。
丘の上の住宅はちょっとご愛敬。
この駅のことはだいぶ昔に別のところで書いたのですが、今でも不思議なくらい色々覚えています。
書きながら思い出したけど、この季節はリンゴ畑が白い花でいっぱいになって、とてもきれいだと何かで読んで、それを期待して行ったんだった。
確か高速の途中で畑を見ることができたが、写真は撮れなかった。
急にこんなことを書いているのは、ちょうど今日が4日だということもあるし、このときは実家暮らしで自分の車もあり、こんな風に車で出かけることが容易な環境だった、ということが頭にあるからでしょう。この後しばらくして環境が変わり、車とは無縁の状態が長く続くことになります。
今は再び手元に車がありますが、もうこんな無茶はできんでしょうな。。