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うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

リコーのカメラ事業縮小

2017年04月12日 | カメラ、写真

この話題は12日の日経新聞朝刊の記事から始まった。記事ではリコーはカメラ事業を見直し、個人向けカメラらは撤退も検討、経営資源を車載用カメラ等業務向けに集中させる、というものだった。

日経の報道は僕を含むファンの度肝を抜いたようだ。僕も記事をSNSにシェアした。引っ越しが落ち着いたら、Pentax KPを購入しようと、結構本気で考えていたので、ショックはなおさらだ。

その後、リコーからこれを否定するコメントが発表された。撤退はなく、製品ラインナップを絞り込み、高付加価値製品に集中する。また、3月期にカメラ事業について100億円の現存損失を計上する、という内容。その後発表された中期経営計画でも、個人向け機種の絞り込みと、業務用製品への投資集中などの内容が盛り込まれている。

今日は本当に忙しくて、ネットを眺める暇もなかったのだが、ちらちらと見たところではファンの反響は、比較的冷静だ。むしろ日経が煽るような記事を書いたと、非難する向きも多い。最初はびっくりしたが、とりあえず一安心、だが用心が必要、というあたりが、一般的なファンの反応だろうか。

デジタルカメラの環境が厳しいことは、近年の他社のニュースを見てもわかる。うちでも主力の一つとして使っているパナソニックも、先月やはり日経があおるような報道(光学関係事業を見直し、縮小)をしていた。ニコンが昨年発表して発売を延期していたコンパクトカメラを、発売しないことにした、という報道も大きく伝えられた。

うちで普段使っている、Penax Qシリーズも既にシリーズ終了している(事実上)。レンズは一通り持っているし、まあ安いからそれで困ることは全くない。今のボディが壊れたらそれまでだ。一眼レフはもう少し値段が高いから、マニアの人でレンズをたくさん持っていると、ちょっと気が気ではないかもしれない。

うちはどうするか。今はMFTとQシリーズというミラーレスコンビなのだけど、この辺でちょっと光学式一眼レフを使いたいと思っていたところなのだよね。。新しいKPも魅力的だし。

ちょっと、水を差された感じはぬぐえないな。。

さて、引っ越しに戻ろう。もうおセンチになるのも疲れてきたし、色々忙しいし。。こりゃたいへんだ。

 

 

 

 

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ぎじどう

2017年04月11日 | まち歩き

撮影したのはひと月くらい前です。

普段見慣れているオフィスの窓からの風景が、なんとなく違って見えるな、と思ってよく見たら、ちょうど議事堂の建物が見えるようになっていた。

Pentax Q-S1、 06 Telephoto Zoom で207mm相当付近での撮影です。

以前は木立に遮られて、見えなかったのだろう。冬場は葉が茂っていないからか、と考えもしたが、それなら前の冬でも見えたはずだ。

この写真は月曜日。久しぶりに、日比谷通りを渡って公園のほうに行ってみた。

やはり、いくつかの樹木を伐採しているようだ。

そういうことも、木々の健康のためには必要なんでしょうね。

うちも、モノを片づけて、健康を保たないといけませんね。。。

それはともかく、この公演の桜は八重桜なので、まだ満開を迎えていない。今週末あたりがみごろか。

 

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キャロル・キング カーネギーホール・コンサート

2017年04月09日 | 音楽

週末、ちょっと天気は悪かったですが、どうやら季節はすっかり春ですね。寒の戻りといっても、辛いほど寒いわけではない。

雨も、命のぬくもりを感じさせる春雨という感じです。

さて、昨日買ったマランツのCDプレーヤー。買い替えるきっかけになったCDだ。

2月の半ばごろに入手して、メインシステムで聞こうとしたら、プレーヤーが故障していた。

書斎のミニコンポでは再生できたし、家の中を探せば再生装置には事欠かないが、やはりメインシステムでじっくり聞きたかったのだ。

ほぼ同じころ、シカゴのCDも買った。当然これも再生できなかった。

キャロル・キングのCDは、1971年のライブ録音(CDの発売は’96年)、シカゴは’75年のリリースだ。こうした古い録音は、うちの古典的メインシステム(アナログアンプに3ウェイスピーカー)と相性が良い。

わざわざそんなことを書くのは、例えば椎名林檎などはメインシステムで聞くといささか聞きづらかったりするからだ。あれはヘッドフォンとか、ミニコンポなどで聞いた方がしっくりとくる。音源とマイクが近すぎ、あまりニュアンスのようなものは再現されないというか、初めから入っていない。聞き手の環境に合わせるようにしているのだろう。それ自体は別に新しい傾向というわけではないが、たぶん70年代前半ごろは、古典的なシステムを前提とした音作りがなされているのかもしれない、と思ったりする。

音の話ばかりしているが、音楽を聞いていると、やはり自分の中の70年代に触れる気がする。

現実にはリアルタイムでは聞いていないのだが、自分の’70年代の経験、古い小学校の木造の床の凸凹とか、そんな感触がよみがえってきたりする。

不思議といえば不思議だ。

片づけないといけないのに、ついPCで古い写真とかを見てしまう。

これは今年の、撮りたての写真だが、9年前、10年以上前にも同じ桜の写真を撮っている。

少しずつ、周りの様子が違っているのが分かる。

先週はまだ7分咲き程度だったが、もう葉桜だね。

 

 

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marantz CD5005

2017年04月08日 | 家電

引っ越しでわさわさしているのに、買い物するなんてなんなのだが、週末にCDプレーヤーを買ってきた。

単品コンポを買うなんて、20年ぶりじゃないかな。上の写真の、下段に置かれたMDデッキ(TEAC MD10)がたしか、’97年の購入だったと思う。

週末に買ってきたのは、土曜日が資源ごみの日なので、梱包を解いてすぐに箱を集積所に出せる、というメリットがあるから・・。大したメリットでもないか。

そう、元箱ふぇちは卒業したんだよ、という象徴として、開梱即破棄というパフォーマンスをしてみたかった、というのはあります。

ふぇちついでに言うと、こうしてお店で取っ手をつけてもらった商品を、帰りの電車で座った座席の前に置いて、何か本を読んでいる、みたいな光景が、結構好きだったりします。自分が、というのではなく、だれか知らない方の買い物帰りの風景もいいものです。型番を見てああ、売れ筋の製品だな、と思ったりとか。まあコンポなど、買う人も少なくなったので見かけないですけど。コンポでなくとも、パソコンでもプリンタでもいいのですが。買った人の物欲充足感が伝わってくる感じがして。。

と、こうなってくると病膏肓に入るという感じで、人からブキミに思われそうですね。。

で、とにかく箱は捨てました。

マランツのラインナップではボトムに位置する製品ですが、ネット上では驚異のコストパフォーマンスなどと言う書かれ方をしている人が多いようです。

昔はこういうときは、オーディオ雑誌の、好みの評論家の記事を参考にしたものですが、オーディオ雑誌も17,8年買っていないですね。長岡鉄男氏が亡くなられてからはもう。。今自分の知っているオーディオ評論家って、何人いることやら。石田善之さんと藤岡誠さんはお元気でご活躍のようですね。

重量5キロ、電源コードは取り外し可能。出力端子は光/同軸とアナログ。上記写真で、一番右側に見えるのはアンプとのリモコン接続のためのもの。今使っているアンプはマランツですが、年の差がありすぎて(PM-50。今月末で23歳)、リモコン接続はできません。そもそも、PM-50にはリモコンがありませんが。

リモコンをのぞくピンプラグは金メッキ。ひととおり、要点は抑えられているようです。

アンプもコントロールできるリモコン。取説を見ていないので、十字キーをどう使うのか、思いつきません。基本プレイ、停止、ポーズ、スキップボタンぐらいで用が足りるような気もするけど。慣れていないのでプレイがどこにあるのか、迷ってしまう。

右側は、これまでつかってきたDENON DCD-1515ALのもの。

DENONの話をする前に、短時間音を出してみた印象をいうと、たしかに世評通り、かなりきれいな音が出ます。22年前のDENONと比べるのは適切ではありませんが、印象としてはDENONよりも繊細で、音場感がよく出ているな、という感じです。

ちょっと露出補正しすぎましたかね。。今回置き換え対象になったDENON DCD-1515ALです。

購入したのは1995年6月。前後のことは覚えてないのですが、残業中?に社を抜け出して、秋葉原かどこかで購入後、箱をぶら下げていったん社に戻ってきたことを覚えています。たしか5万円くらいだったかな。

ALPHAプロセッシングという、アナログ波補正システムを搭載していることが売り(もともと上位機のみに搭載されていた)だった。

当時としてはかなり売れた機種だったらしい。同価格帯にパイオニアのPD-T04というのがあり、ちょっと迷った記憶がある。なぜこちらにしたのかは覚えていないが、雑誌の影響かもしれない。

音質については、色々比較できる環境になかったので良否を表現できないが、たしか中低域がしっかりしている、という雑誌の評価があった気がする。実際そうだったのかどうかはわからないなあ。

今回のCD5005と比べると、幅は同じだが奥行きが短い。当時でも、ほかのコンポよりも一回り小さかった。にもかかわらず筐体は華奢だったようで、当時よく行われていた、天板に鉛板を置くようなことをすると(制振効果があり、音質が向上するとされていた)音が出なくなった。筐体がたわみ、メカニズムに影響を与えるのだ。チューナーを含め、これほど筐体の弱いコンポには、ほかに出会ったことがない。

ACコードは直出し、デジタルは光と同軸、アナログは固定と可変がそれぞれ出ていた。可変のほうはヘッドフォン用に設けられたボリュームを経由するのだと思う。使ったことはなかったが、アンプにリモコンがないので、音量調整用に使ってみようかと思ったことはある(音量調節はリモコンでもできる)。

今調べたら、これは日本製だった。CD5005はベトナム製だったかな?

8年ほど前、CDを入れてもトータル時間を認識できなくなり、従って演奏もできなくなった。

捨てようと思ったが、しばらくしてまた使ってみたら、あっさり認識した。それから復活使用してずいぶんたつ。

今年の1月ごろ、再びCDを認識しなくなった。もうさすがに寿命だろう。

それにしても、同じコンポを22年も使うなんて、昔ではありえないことだな。

 

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21世紀をいかに生き抜くか

2017年04月07日 | 本と雑誌

岡崎久彦 PHP研究所

岡崎大使の有名な「戦略的思考とは何か」を読了した後、同氏の最近の考えを知りたくて購入した。「戦略的」は名著とはいえ、かなり古い本(1984年)だ。東西冷戦は厳然と存在し、中国は未だ台頭してない時代た。

購入したのはもう数年前のことで、もしかしたら岡崎大使存命中のことだったかもしれない。軽く読んで、これは少しきっちり読まないとダメかなと思っていったんお蔵入り。昨年の秋ごろからまた読み始めた。メモを取りながらの精読の形をとったが、さすがに少々時間をかけすぎたようだ。

序文で触れられているように、これはヘンリー・キッシンジャーの「外交」をテキストに、岡崎氏が超党派の若手議員たちの勉強会で講義したものを、1冊にまとめたものである。底本となった「外交」は、読んでみたい気もするが、おそらく僕には歯が立たないかもしれない。

西欧における近代国際政治と、20世紀以降台頭したアメリカとの関係、そしてその中で日本がどのような立場をとってきたかを、岡崎氏の経験と独自の見解を交えながら話は進んでいく。

近代の国際政治は1648年のウェストファリア条約に始まり、欧州大陸における力のバランスの中で次第に熟成されてきた。やがて「優れて十九世紀的な近代西欧文明」の時代が去り、アメリカ外交という、従来の常識の通用しない相手に世界は翻弄される。日本もその例に漏れない。これは岡崎氏が繰り返し主張されている持論だが、日英同盟の破棄、そしてアメリカ世論を無視した形での真珠湾攻撃が、先の大戦での悲劇を招く。

岡崎氏というと、よく知られているようにかなり親英米的な立場を取られることが多く、本書でも随所でそれがみられる。特に中国政策の見解などに、そうした色が強いように思える。「戦略的思考・・」では、中国についてはほとんど触れられていなかった(予見も不可能だったのだろう)。本書ではさすがに繰り返し中国に言及している。

その視点は基本的に、中国対アメリカを中心とする西側民主主義国の、価値観を中心とした外交的対立構図にある。冷戦時代の対ソ外交包囲網のような体制を、西側諸国に求めることを念頭に語っておられるようだ。そこには、英米を中心とした世界秩序へのかなり強い信頼が垣間見える。

最終章でも、急速な軍拡を続ける中国に対し、自壊、または穏やかに終息するケース、西側諸国とのソフトな、あるいはハードな対立を経て包囲による終息を迎えるケースなどを想定している。近未来の中国を、80年代後半のロシア、あるいは帝国日本、90年代の日本、20世紀初めごろのドイツ、ナチスドイツ、さらに19世紀の英米関係などになぞらえて、未来を描いている。そのどれもが、視点を米国に置いている。

かつての英国のように、アメリカがいわゆる「衰退」する可能性については、意見の異なる複数の識者の著作や論文を紹介しながら、軍事的にはともかく、経済的な衰退というのはかなりの時間を要する、と論じている。要するにあまり心配をしていないようだ。

岡崎氏はトランプを見ることなく、世を去られたわけだが、我々はその先を見続けていかなければならない。自分たちで正確なビジョンを描くことは難しいにしても、自分なりに情勢を判断する努力は必要と思われるが、その方法は?

岡崎氏は巻末にこんなことを書いている。世界情勢を知るには、覇権国であるアメリカの情勢を知る必要がある。これは難しいようだが、方法は簡単。世界中のすべての情報を、一日も漏らさずフォローし、それを長期間続けること、だそうだ。

至言ではあるが、素人には情報の取捨選択からして難しい。やれるものならやってごらんなさい、という、岡崎大使のメッセージなのかもしれない。

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この世界の片隅に

2017年04月05日 | アニメ・コミック・ゲーム

こうの史代 双葉社 (Amazon Kindle版)

映画を見たのが昨年12月の初め頃。その直後にAmazonで、上中下セットで電子版を入手しました。ほぼ同時に「ぴっぴらさん」も入手。会社の子には「楽しみながら読みたいから、電車の中で読んだりしないで、どこかでコーヒー飲みながら、ゆっくり味わうように読みたい」などと話していました。

その直後から身の回りが慌ただしくなり・・といっても、コーヒーぐらい飲む時間はありましたが。それよりも、読み進むうちにだんだんと痛くなってきて、特に下巻の「20年6月」ごろから先はちょっと・・。

先日SNSで友人が「(映画を)上演していたので今頃になって観た。原作も読んでみたい」と書いていたので、これをきっかけに再読、ようやく読了しました。

映画版も時代考証には徹底的にこだわっていますが(監督のブログあり)、そもそも原作者のこうのさんが当時のことを相当調べあげて書いたのですね。映画のほうですが、当時を知る年配の方々からも「あの頃を思い出す」とお墨付きをいただいていたようです。戦国時代など、うんと古い時代設定の場合、作者のファンタジーを受容しやすい(誰も本当のことは知らない)。ですが、写真や動画の残っている時代というのは、その辺が難しいという気がします。

SNSの友人のTLにもコメントしましたが、僕の祖母は戦時中の話をすることを嫌っていました。戦艦大和のプラモデルを買ってもらい、喜んでいたら、苦々しそうな顔をしていたことを思い出します。やはり実際に困窮や恐怖を経験した人は、同じものを見ても受け止め方が違うのかもしれません。笑い事じゃないんだよ、ということでしょうか。

とはいえ、我々がこうして、作品を通じてかつての人たちの苦労を忍ぶことも、我々なりに意義のある事だとは思うし、先ほどの祖母と交流した経験を含め、続く世代の人たちにつないで行くことも大切なことでしょう。

映画ですが、このまま興行成績がよければ、30分拡大版を上映する可能性もあるとのこと。

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自転車の視点

2017年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

前回はあまり美的とは言えない写真を冒頭に掲げていたので、今回はきれいなものを;

先日ワカケさんのいた桜の木、だいぶ咲いてきて7分咲きぐらいになった。この日もワカケさんや、目白、ヒヨドリなどを見かけた。

樹が少ないので大変だろう。

住まいが移っても、今の地域と縁が切れることはなく、引き続き頻繁に訪れることになる。

自分の拠点はなくなるというか、何十キロか離れることになる。多少の不便はあろうが、まあ仕方がない。

今の住まいに落ち着いたのは19年前だが、それ以前からこの界隈、だいたい10キロ四方くらいの範囲のところに住んでいた。

何度か転居をしたが、この地域にはもう足かけ27年ほど住んでいることになる。

いずれも自転車でそれほど無理なく移動できる範囲だ。

移転後、この地域へは電車(+徒歩)または車でアクセスすることになる。

徒歩、自転車、車、それぞれの移動手段には適切な距離感や利用方法がある。

徒歩で20分を超えるような移動はちょっとしんどい。車でもいいが自転車のほうがカジュアルだ。

自転車も、30分以上かかるところは車にしたほうが無理がないように思える。

自転車には自転車の視点がある。車だと流れが速いし、運転手は常に前方を注視しているのでまわりが見えにくい。

自転車だってよそ見はそうできないが、もう少し自由だ。歩きに比べると、次々と現れる風景から得られる情報も多くなる。

それに、車の通れない狭い道も通れる。

一方通行も逆走できる(自転車になれた道は、車だと走りにくい時がある。普段通っている道が進入禁止で戸惑ったりとか・)。

昔は(といっても、個人的にはつい最近だけど)ナビも無かったけど、経験的に近道を探したりしていた。今思うと、どうやって見つけたのかな、とびっくりするような行き方を知っていたり。。

このあたり、結構変化が多くて、飽きないところだ。

自然も残っているし、テレビで紹介されるような繁華街へも近い。

もちろん車でも、毎日のように通えば印象に残る風景が見つかったりもする。

ただ、それは車の視点であって、自転車とは違う。歩きも然り。

かつて通った道を、久しぶりに走ってみた。

で、思ったんだけど、ここ数年、自転車余り乗らなくなったな、自分、と。

若い頃というか、30代半ばくらいのころは、結構あちこち。。それも、趣味的な自転車ではなくママチャリで、観光的なことではなく、買い物とかの用事で。

歩くことは今でもけっこう歩いている。鎌倉行ったりとかね。地元周辺を移動する機会はあまりなくなっていた。

昔良く行った図書館、大手系ではない小さなスーパー・・。飲食店は変化が激しい。

3年前見たとき、小鳥を売っていた店は、今回みたらシャッターを閉じていた。

 

図書館の近くに、通りに面して明るいリビングルームが見える家があったのだが、今はどこに建っていたのかも分からない。

ビクターの密閉型のスピーカーが見えて、あれを鳴らすとどんな音がするんだろうな、と想像したりしていた。もう20年以上前の話だ。

若い頃住んだ町を見ているうち、この辺のワンルームとか、今借りたらどうかな、と思をめぐらしてみたりして。。

そう思いながら我に返ると、う~ん、やっぱり歳月は流れているな、と、改めて思っちゃうよな。

昔はよく、道を通りながら、将来はこんな家に住みたいな、こんなところで暮らせたら、どんな気分だろうか、などと思ったりしたものだが。

 

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