和食離れが進むと言われる一方で、その素晴らしさも見直されつつある昨今、消費者たちに健康で便利で美味しいものを届けたいと、日々奮闘している食品メーカーが「フジッコ」です。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)では、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。核家族化が進み、食卓を家族みんなで囲むというスタイルが崩壊しつつある中で、フジッコの福井正一社長が「伝統食」を守るために力を入れている取り組みについて語ります。
惣菜売り場で人気!伝統の味を裏側で支える企業
スーパーの総菜売り場は年々品揃えが充実、存在感を増している。そんな中で最近、品数を増やしているのが和総菜のコーナーだ。並ぶのは煮物など、美味しそうな伝統的な家庭の味。今や、常連客には欠かせない存在だ。
材料ごとに煮る時間が違う、手間のかかる和総菜。作っているのは意外な会社だ。多くの商品の裏には「フジッコ」の文字。東京・中野にある「サミットストア東中野店」の和総菜の多くは、フジッコが作っている。同店の惣菜部門チーフ、玉川由祐さんは「フジッコさんは昆布を使った商品が有名ですが、誰でも簡単に作れる商品ではないというのが分かる。最高だと思います」と言う。
その美味しさを生み出す千葉県船橋市にあるフジッコの惣菜工場。茄子の肉味噌和えに、ヘルシーな豆腐ハンバーグ……ここで作る総菜は実に1日300種類以上にのぼる。
その美味しさを決める最も重要な作業が、味のベースとなるだしづくリ。粉末のものではなく、こだわった材料からとっている。昆布の中でもだしが一番とれる真昆布の根の部分に、カツオの肉のうまみを商品に与える枕崎産鰹節の厚削り。フジッコは美味しい総菜作りを裏で支え、ライフ、いなげや、サミット、関西スーパーなど、全国の主要スーパーへ、その美味しさを提供している。
フジッコといえば、思わず口ずさみたくなるCMのフレーズで有名だが、実は圧倒的な強さを誇るトップ企業だ。
煮豆をパックにした、1976年発売のロングセラー「おまめさん」シリーズを中心に、豆製品の国内シェアは4割を超えている。さらに昆布。やはり1966年発売のロングセラー「塩こんぶ」をはじめ、膨大な数の昆布商品を販売、そのシェアは5割近くに達する。
日本海を望む兵庫県新温泉町。ここにフジッコの昆布商品のひとつ、とろろ昆布「純とろ」のおいしさの秘密がある。
案内された倉庫の中に高く積み上げられていたのは膨大な量の原料。その全てが昆布だ。北海道を中心に厳選して買い付けられた昆布。フジッコにとってはまさに宝の山だ。
薄い「純とろ」はどうやって作られるのか。細切れにした昆布を機械に入れ、プレス機で押しつぶし始めた。出来上がったのは四角に固まった昆布。これを一定時間寝かせると、カチカチの状態になる。その塊を特殊な機械にセットし、カンナがけのように断面を削る。すると、とろろ昆布が出てきた。
その厚みは髪の毛の5分の1、驚きの0.02ミリ。あのまろやかな美味しさは、極限までの薄さで決まる。実は削りだす刃の調整は、限られたベテランしか出来ない職人技だという。とろろ昆布の美味しさはこの職人技が生み出していたのだ。
“健康商品”ひと筋で580億円~最強の豆&昆布企業
フジッコの社長、福井正一には、商品作りで最も大事にするポリシーがある。
「やはり健康が一番だと思います。日本の伝統食には、昔から身体にいいと言われるものが入っています。和食の伝統食をしっかり食べてもらいたいというのが私たちの望みです」
身体に必要な様々なミネラルを含み、カルシウムは牛乳の6倍といわれる昆布。タンパク質やビタミンなどの栄養素をバランス良く含み、食物繊維もたっぷりの大豆。フジッコの主力、昆布と豆は、日本伝統の健康食だ。
その商品開発の本拠地、神戸にあるフジッコ本社。フジッコはここに大勢の研究者を抱え、長年、大豆と昆布の成分を徹底的に研究してきた。そして実際に健康にどんな効果があるのかを検証し、その商品作りの中心に据えてきた。
研究開発室長で工学博士の戸田登志也は「健康効果のエビデンスをきっちり出し、それに基づいて自信を持って商品開発を行っている」と語る。例えば丈夫な骨を作るイソフラボン。大豆からそれを見つけ出し、最初に商品化したのはフジッコの研究者だ。
そこには福井のこんな決意があった。
「我々の特徴はただの佃煮屋、煮豆屋ではない、という自負があるんです。本当に健康にいいのか。機能性成分は入っているのか。それを確かめたうえで、健康にいいものでなければ開発をしない」
フジッコの健康食へのこだわりは、思わぬヒットも生んだ。今や売上げ50億円を超える「カスピ海ヨーグルト」。普通のヨーグルトに比べ、驚くほど粘りがあるのが特徴だ。
実はジョージアにある長寿の村で日常的に飲まれていたもの。その菌を発見して、日本に持ち帰ったのは、長寿と食文化の研究で知られる、京都大学の家森幸男名誉教授。家森教授は持ち帰ったヨーグルトの菌を増やし、その商品化をフジッコに依頼。するとフジッコは、採算度外視で商品化してくれたという。
「損を覚悟であえて商品化していただいた。人々の健康のために尽くしたいという熱意が、フジッコを支えていると私は思っています」(家森教授)
創業以来、昆布と豆を中心に徹底的に健康食にこだわってきたフジッコ。その売り上げはこの10年で100億円増加し、600億円に迫る。
そんなフジッコの始まりは、創業者である福井の両親の親心にあったという。福井は幼少の頃、かなりの肥満児だった。
「自分の子どもに与えられて、子どもが元気でいられる、病気をしない。健康にいいものしか作らないと決心したんだと思います。だから僕のおやつはずっととろろ昆布でした」
それが健康にこだわった理由だった。
“簡単・便利”で時代をつかむ~伝統食を最新ビジネスに
フジッコが新たな豆の売り方に取り組んでいた。
働く女性をメインターゲットに、海外の豆の食べ方を参考にして開発したというのは、今や年間売上げ10億円に迫る勢いでヒットしている「朝のたべるスープ」。レンジで2分温めるだけで、豆がふんだんに入ったスープが出来上がる。
ところがこの商品、ヒットに浮かれることなくすでに次の作戦が動き出していた。
本社のテストキッチンでは、スープ開発に関わった元料理人の商品開発室・鍵和田崇が、新たなメニューを試作していた。食べるスープを使った料理だという。朝食向けのスープを晩御飯に。トマト味の食べるスープで鶏肉を煮込むことで、ボリューム感のあるメイン料理が簡単に作れるという提案だ。
「有職主婦の方が非常に多いので、可能な限り短い時間で本格的な美味しい料理を、ということが極めて重要になります」(石田吉隆開発本部長)
健康で、しかも便利。それがフジッコの基本戦略だ。
例えば最近、その便利さで売れまくっているという「おまめさん豆小鉢」。小さな食べきりサイズの容器が2つ入った今までにないおまめさんだ。福井は「核家族化が進み単身者も増えて、ひとりで生活される方が増えています。これからも支持されるんじゃないかと思います」と言う。
減塩なのに美味しい「塩こんぶ」は、「より塩分を気にする方が増えてきたので、それに合わせて改善した」(福井)商品。さらにサラダの味付けに使える「塩こんぶ」のような商品もある。
「時代に合わせて、嗜好に合わせて、商品を殺さずに長く生かす。それが私たちの使命、役割だと思います」(福井)
天才的創業者、涙の物語~フジッコ大躍進の秘密
そんな変化の時代を生き残るため、福井が毎月のように通い詰める場所がある。六甲山の中腹にある墓地。ここに眠るのは、新たな創造に挑み続けた、福井の父、フジッコ創業者の山岸八郎だ。一昨年、亡くなって以来、福井はここに来て、経営の舵取りについて相談しているという。
八郎の生涯は、時代のニーズに挑み、それまでにない商品を生み出すための格闘の連続だった。フジッコの前身、富士昆布を創業したのは1960年。妻と従業員1人の3人での船出だった。
ちょうど日本は高度成長へ突入。同時に、公害や食品問題など、ひずみが生まれ始めていた。そんな時代に、もともとは教師だった八郎は、子どもたちの健康に良い「昆布」を商売に選ぶ。洋食が増えていく中、八郎は日本の伝統食、昆布を健康に良い食品としてアピールし、販売に走り回った。
八郎は昆布の売り先が見つからない中、単身、長距離列車に乗り、必死で地方の小売店を回った。信じたのは「昆布」という商品の良さだった。
会社を爆発的に大きくしたのが、今ではスーパーに当たり前に並ぶパック商品。八郎は、家庭で作ることが減っていた佃煮などを、日持ちのするパックとして商品化した。当時、全国に勢力を拡大し始めていたダイエーなどのスーパーへ営業をかけ、一気に全国へ展開、女性たちのニーズをつかんだ。
1969年、人工甘味料チクロの発がん性が問題になると、八郎はすぐに人工甘味料を問題視。自分たちも使っていたサッカリンの使用をやめた。その後も業界に先駆け、添加物を使わないなど、「安心安全」をキーワードにした先進的な取り組みを進めていく。
あらためてスタジオで八郎の格闘の歴史に焦点をあてた村上龍に対して、福井はこんなエピソードを明かしている。
「今でも覚えているのですが、確か3歳か4歳くらいのとき、親父が泣いて帰ってきたんです。どうしたのかと思ってふすまの陰から聞き耳を立てていたら、静岡だったか、問屋さんにこんなことを言われた、と。『お前のところの商品は“午後4時”の商品じゃないか』と。午後4時といえば夕暮れで日が沈んでいく。日が沈んでいく産業に投資をするわけがないじゃないか、という意味なんでしょう。悔しくて涙が止まらなかった。それでもやめなかったところがすばらしいですよね」
時代に取り残されそうだった日本の食文化を、八郎の様々なアイデアで次の時代に繋いだフジッコ。その格闘は今も続いている。
大豆を知らない若者~豆のトップ企業フジッコに危機?
豆を生業とするフジッコにはある悩みがあった。それは最近の若者たちの「豆離れ」だ。そもそも大豆がどう育つのかさえ、ほとんどの人がよく知らない。
兵庫県篠山市。収穫体験に来た一行が畑の中を覗き込むと、見覚えのあるものが。枝豆だ。実は枝豆は大豆を若いうちに収穫したもの。一方、その枝豆を乾燥するまで待って収穫すれば大豆になる。
この「黒枝豆収穫体験ツアー」は、大豆のことをもっと知ってもらうために毎年フジッコが開いているイベント。単なる収穫体験と違い、6月に種を植えた参加者が10月の収穫まで一貫して行う。豆についてちゃんと知ってもらいたいというフジッコ流の食育だ。
収穫したてのみずみずしい豆を使ったお昼ご飯。自分で植えた豆の味に、子どもたちも満足そうな様子だ。
体験はこれだけではない。午後に訪ねたのは、フジッコにも豆を卸している問屋、小田垣商店。丹波の黒豆などの高級品は、今も手作業で選別を行っている。
とても身近な食材なのに、豆は知らないことだらけ。日本の豆文化をいかに次に繋いでいくか、フジッコは、トップメーカーとして危機感を持って取り組んでいる。
一方、東京・文京区のフジッコ東京FFセンター。フジッコがロングセラーを生み出せる秘密は、フジッコが開く料理教室にもある。
だがそのレシピは驚くほど簡単。ナッツを砕き、「おまめさん」をつぶした豆に混ぜる。後は小さく丸めて、抹茶やチョコの粉末をまぶせば、あっという間にお洒落なスイーツが。
メインメニューに使うのは「純とろ」。作るのはピザだ。マヨネーズをピザ生地に塗り、その上に純とろを乗せていく。そこに蒸した鶏肉を切って乗せ、さらにその上にチーズを。それをオーブンで焼きあげれば、「和風とろろ昆布ピザ」の完成だ。
伝統の昆布や豆で、今までにない魅力を生み出す。こうしてフジッコは、ロングセラーにさらなる磨きをかけている。
~村上龍の編集後記~
教師だった母は忙しく、簡単な料理が得意だった。わたしは、生ピーマンと「フジッコ」の塩昆布を和えた一品が好きだった。
「フジッコ」という社名には、ほのぼのとしたイメージがある。だが創業者は、驚くべき起業家だった。従業員3人のころから、「家業」ではなく「食品メーカー」を目指した。
販路を拡大し、アイデアに満ちた販促を行い、流通革命を予期し、全商品の無添加に挑戦したのだ。
「フジッコ」は、ITやバイオだけではないことを示す、まさに「ベンチャーの鑑」であり、その精神は現代に見事に継承されている。
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<出演者略歴>
福井正一(ふくい・まさかず)1962年、兵庫県生まれ。1991年、東北大学大学院卒業後、花王入社。1995年、フジッコ入社。2004年、社長就任。
出典元
http://www.mag2.com/p/news/227259
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」テレビ東京「カンブリア宮殿」