(写真は先週の中ごろ。お昼の部を観た際に、松竹座前にて写す。『女殺油地獄』の絵。)
七月大歌舞伎・松竹座 夜の部
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
近松門左衛門作
河内屋与兵衛 仁左衛門
女房お吉 孝太郎
豊嶋屋七左衛門 愛之助
与兵衛妹おかち 壱太郎
芸者小菊 宗之助
小姓頭小栗八弥 薪車
山本森右衛門 市蔵
与兵衛母おさわ 竹三郎
与兵衛兄太兵衛 家橘
河内屋徳兵衛 歌六
14・15日の両日、松竹座の夜の部を観た。
14日は一階最後列中央。
15日は満席。したがって、初めて 幕見席で観ることにした。
22日は一階中央席。(これは元々とっていた席)
両日、違う角度から観たのだが、油の流れる様子などは、かえって幕見席の方が、迫力が感じられたのが不思議。
上から見るため、独特の光沢と流れる速度が、リアルに思える。
それでもまわりの観客は、急遽、海老蔵丈事故で、仁左衛門丈に代役となった『女殺油地獄』を一目見たさにダッシュされたような見巧者側の方たちが多く、私のような にわか芝居ファンにも 居心地はよく感じられた。
ここで今回観た『女殺油地獄』を、簡単に記録しておこうと思います。
油屋を営む河内屋の次男。放蕩三昧で喧嘩沙汰が耐えない 与兵衛(仁左衛門)。
借金の返済に困り、親からも金を巻き上げようとした魂胆も失敗。
親に殴り、けり、実母にも暴力。
親に説教されながらも、腹ばいになり、金勘定の計算といった道楽ぶり。
見かねた義父。
ついに二親は、与兵衛を感動してしまいます。
捨て台詞、去る与兵衛を内心心配気に見送る義父、河内屋徳兵衛(歌六)。
遠くに見える与兵衛の姿と、先代の主人(与兵衛の実父)の姿を重ね合わせ、勘当する心の切なさに涙します。
歌六丈の名演技にも注目です。
とうとう家を追い出され、与兵衛は、同じ油やの豊嶋屋の奥方、お吉に頼ります。
そこで親の慈愛を知る与兵衛。
もう親に迷惑はかけられないと思い、金を貸して欲しいと迫りますが、お吉は以前と同じ方便だと思い、笑い飛ばして、断ります。
日にちが変われば、借りた以上の莫大な借り賃。
鐘の音・・・・・・
鐘の音によって、話は折り返し地点を向かえ、短絡的行動を誘い、当の与兵衛の表情が変化します。
お吉に切りかかろうとする与兵衛。
必死に逃げるお吉。
お吉は
「子もいる身・・・同度命だけは助けてください・・・」
と切願。
その台詞を受けて、
「おれにもおれを可愛がる、おやじが愛しい・・・」
の言葉は、心に響く。
こぼれる油。
倒れ、ひきづられるお吉。
何度も何度も油で滑る与兵衛、そしてお吉。
そして殺し。
お吉の反り返り、美しい黒髪。そして、死。
与兵衛の表情。手のこわばり。焦り、うばう金子。あかごの泣き声・・・・・・
与兵衛は油にすべり、お吉の帯の上を歩き、また油に脚をとられ・・・豊嶋屋を後にした。
おぼつかない足取り。
与兵衛は花道でふと我に返り、犬の遠吠えにおびえ、終われるように花道を去る。
近松門左衛門が描く、一部の現代若者にも通じる心理や親の情を細やかなタッチで、歌舞伎の型を取り入れ描く秀作。
殺しの場面など見どころの多い世話物の名作に、堪能した。
14日、15日の両日共に手を抜かない仁左衛門丈。
14日に比べ15日の方が、のられていたような、大胆だったような・・・・・・
本当に滑ってしまわれたのではないかといった心配なこけ方が一度あり、15日はハラハラドキドキさせられた。
芝居が終わって、子どもは腰を抜かし、思うように歩くことができない。
目は真っ赤で、心なしか子どもの言葉は迫力があり、声もどすがきいて、低い。
怒っているのかと思えば、
「今日の芝居は、観てよかったわ。幕見席の為に、7時半から並ぶ甲斐があったわ!」
といって、喜んでいる。
子どもの脚のカクカクは、松竹座からJR難波駅の席に着くまで続いていた。
見事な感情移入。
私は、こんな子どもと一緒に芝居を観ることができ、母としての幸せを感じる。
最後に・・・・・・
先日も書きましたが、アクシデントとはいえ、かねてからの念願であり、夢でもあった 芝居 『仁左衛門丈の 女殺油地獄』を観ることができて、とても光栄に存じます。
大人気ないのですが、一度も観ることができないと思っていただけに、私にとっては天にも登る心地です。
夜の部は本来チケットを取っていた楽日あたりに、もう一度家族と観る予定です。
にわか歌舞伎ファンとはいえ、女殺油地獄を三度も観ることができる幸せを、実感しています。
この場を借りて、海老蔵丈のお怪我の早々のご快復を心より念じております。
多分、海老蔵丈の『女殺油地獄』や『成神』は、今後も幾度と無く観られるだろうという祈願の意味も含めて、ここで二度目三度目観劇の『女殺油地獄』の記録は止めたいと思います。
間違いやお気づきの点がありますれば、お教えいただけましたら嬉しいです。