『神饌』 3
喜吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね) /談山神社(たんざんじんじゃ)
『神饌』 1 では『神饌』の別名や奈良の談山神社のご住職とお話ししたことを記録した。
また、『神饌』 2 では果実盛御供や 一年飾った後の神饌を土に埋めることなどの、住職のお話に触れた。
今回の写真は今までになく華やかとお思いの方もいらっしゃるのではないだろうか。私は上の神饌を初めて見たのは、写真家 N氏の講義だった。N氏はことのほか祭りや民俗学的な内容にお詳しいようす。上の神饌も説明して下さっていた。
今回私自身も談山神社に息ご住職のお話をお聞かせいただいた上に『百味の御食』に関する御本までもを頂戴した。吉川雅章著の『談山神社の祭』には写真(喜吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね))について、意味合いや作り方や村部とのようすなども詳しく記されている。たいへん興味深く面白い本だ。ちなみに私は『神饌』 1から「神饌の作り方」と行った言葉を使っているが、正しくは「作る」のではなく、『神饌』の場合は「調製」という言葉が使われているので、付け加えたい。
写真の美しい幾何学模様は色付けされたもち米で作られている。村の女性が形のよいもち米を手早く選り分け、色を塗り乾かす。ひとつぶ毎に丁寧に基本通りに貼付けていくと毎年ほぼ同数の米粒(約3000粒)で出来上がるようす。使用されたもち米の数は、各模様の「和稲御供」ごとに毎年数を記録される。
色は三色の食紅を使う。神撰は基本的に人間が食べることのできるものを供えるのだといわれている。
鮮やかな色の米粒の上の羽のようなものは「垂木」という。「垂木」とは「屋根板などを支えて、棟から軒に渡す木」のことだそうだ。
写真の神饌は調製するのに数日を要する根気のいる作業とのこと。村人は何を思い、何を語らい、神撰を調製に集中したのであろうか。
『談山神社の祭』によると神撰を供えるのは神社関係者であり、また調製した村人自身であることが理想であると記されていた。こういった風習や神事に疎いわたしでさえ、納得がいく。
神撰は自然色のものと、上の写真のように三色の食紅と言った自然のもので人工的に色を加えたものとが使用される。この色鮮やかな神撰を見ていると神社などの内部(宇宙を表した曼荼羅空間)の色彩に通じるように感じられる。また、神撰の盛り方や形にも注目したい。今回は際立ったものは談山神社にはほとんどなく載せてないが、子孫繁栄につながる形状に作られた神撰の多さに驚く。これについては写真家のN氏が出版された写真集にも載せられている。
祭りには神撰はつきものだという。これは大切な来客を歓迎しお迎えするときに用意するお料理に似ている。今回紹介した神撰は特別神撰というらしい。これから夏、秋を迎え祭りを見るにあたり、神撰にも目を向けてみたい。今までとは違った祭りの楽しみ方が増えたのではないかと、密かに喜んでいる次第である。
つづく
喜吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね) /談山神社(たんざんじんじゃ)
『神饌』 1 では『神饌』の別名や奈良の談山神社のご住職とお話ししたことを記録した。
また、『神饌』 2 では果実盛御供や 一年飾った後の神饌を土に埋めることなどの、住職のお話に触れた。
今回の写真は今までになく華やかとお思いの方もいらっしゃるのではないだろうか。私は上の神饌を初めて見たのは、写真家 N氏の講義だった。N氏はことのほか祭りや民俗学的な内容にお詳しいようす。上の神饌も説明して下さっていた。
今回私自身も談山神社に息ご住職のお話をお聞かせいただいた上に『百味の御食』に関する御本までもを頂戴した。吉川雅章著の『談山神社の祭』には写真(喜吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね))について、意味合いや作り方や村部とのようすなども詳しく記されている。たいへん興味深く面白い本だ。ちなみに私は『神饌』 1から「神饌の作り方」と行った言葉を使っているが、正しくは「作る」のではなく、『神饌』の場合は「調製」という言葉が使われているので、付け加えたい。
写真の美しい幾何学模様は色付けされたもち米で作られている。村の女性が形のよいもち米を手早く選り分け、色を塗り乾かす。ひとつぶ毎に丁寧に基本通りに貼付けていくと毎年ほぼ同数の米粒(約3000粒)で出来上がるようす。使用されたもち米の数は、各模様の「和稲御供」ごとに毎年数を記録される。
色は三色の食紅を使う。神撰は基本的に人間が食べることのできるものを供えるのだといわれている。
鮮やかな色の米粒の上の羽のようなものは「垂木」という。「垂木」とは「屋根板などを支えて、棟から軒に渡す木」のことだそうだ。
写真の神饌は調製するのに数日を要する根気のいる作業とのこと。村人は何を思い、何を語らい、神撰を調製に集中したのであろうか。
『談山神社の祭』によると神撰を供えるのは神社関係者であり、また調製した村人自身であることが理想であると記されていた。こういった風習や神事に疎いわたしでさえ、納得がいく。
神撰は自然色のものと、上の写真のように三色の食紅と言った自然のもので人工的に色を加えたものとが使用される。この色鮮やかな神撰を見ていると神社などの内部(宇宙を表した曼荼羅空間)の色彩に通じるように感じられる。また、神撰の盛り方や形にも注目したい。今回は際立ったものは談山神社にはほとんどなく載せてないが、子孫繁栄につながる形状に作られた神撰の多さに驚く。これについては写真家のN氏が出版された写真集にも載せられている。
祭りには神撰はつきものだという。これは大切な来客を歓迎しお迎えするときに用意するお料理に似ている。今回紹介した神撰は特別神撰というらしい。これから夏、秋を迎え祭りを見るにあたり、神撰にも目を向けてみたい。今までとは違った祭りの楽しみ方が増えたのではないかと、密かに喜んでいる次第である。
つづく