今昔狐夜噺 4 (いまハむかし きつねのよばなし) 二丁裏 三丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺二丁裏
らくさい
もろ/\と
いほりの
たちへいり
けれ□□るの
とん八ハいつ
しんに本を
よみいたりし
ゆへ、らくさいの
かへりたるをもしらず
こん八とよばれて、はつと
おどろき、へいふくして申けるハ
わたくしハちるごろのあたりへ
ひきこしたる
きつねにて候が
そこもとのはくがく
たさいなるを
うらやましく
わたくしも
ちくせうにハ
うまれたれ
ども、せん
ねんのよわひ
をたもち、ふるぎ
つねのことしまでも
ついにしりをく人に
見られず、かへつて
人をばかさんと
にんげんのかたちと
なるつゞり
今昔狐夜噺三丁表
わきじざいのみのうえでも
ちくせうの
あさましさ
いちもんもんめ
のこのみなれバ
てんとうを
しらずして
ふぢゆんの
みちにまよい
せうがいくらき
よりくらき
をたどるこゝち
して、ついにあ
かるきみちへ
いですして
くちはつる
こと、くち
おしく、なに
とぞ、ほん
せんのみち
をまなび
たく、さて
こそにん
げんのすがたと
なりて、御ほうこう
いた□□(欠け)さゆふに
□(欠け)ちをまなび
今こそめいとくを
あきらめにするの
こゝちをあきらめ▲
今昔狐夜噺二丁裏 下
▲候ゆへ、あらうれしやとぞん
じおもわず、われをわすれて
ほん せうをあらわし
もはや
にんげんの
まじ
わりも
いなわず
おなごり
おしけれ
ども、御
いとま申
たるへし
と、楽斎
へ
ねがひ
ける
今昔狐夜噺二丁裏 下
茶を点てる楽斎と対座し、
楽斎に指を指す、こん八
「これハわた
くしがしいじ
のせうねだま
でござり
ます
ぞ
性根玉を挟んで
もちてが
もちてゆへ、今
までハひかりも
でませなんだが、みちを
あきらめましたら
たちまち
このとうりで
「ハヽア、おれハ
また、とりの
まちのみや
げるとおもつ
たら、しんがく
心学
性根玉ハ
そのたま
のことじや
の
さて/\
よくひかる
たまだ
イヨ、たまや
と、いひたい
よふだ
今昔狐夜噺二丁裏
楽斎
諸々と
庵の
館へ入り
ければ、居るの
こん八は、一心
に本を
読み至りし
故、楽斎の
帰りたるをも知らず
こん八と呼ばれて、「はっ」と
驚き、平伏して申けるは
私達はちるごろの辺りへ
引っ越したる
狐にて候が
其処もと(そこもと)の博学
多才なるを
羨ましく
私も
畜生には
生まれたれ
ども、千年
の齢
を保ち、古狐
の事、し(知る)までも
ついに知り置く人に
見られず、却って
人を化かさんと
人間の形と
なる綴り
今昔狐夜噺三丁表
わき、自在の身の上でも
畜生の
浅ましさ
一文、匁
のこの身なれば
天道を
知らずして
不純の
道に迷い
生涯暗き
より暗き
を辿る心地
して、ついに明るき
道へ
出でずして
朽ち果つる
事、口
惜しく、何卒
、本線
の道
を学び
たく、扨こそ、
人間の姿と
成りて、御奉公
致したさ故に
道を学び
今こそ 明徳を
諦めにするの
心地を諦め▲
今昔狐夜噺二丁裏 下
▲候故、あら嬉しやと存知、
思わず、我を忘れて
本性を現し
もはや
人間の
交わりも
否わず
御名残
惜しけれ
ども、御
暇 申し
たるべし
と、楽斎
へ
願い
ける
今昔狐夜噺二丁裏 下
茶を点てる楽斎と対座し、
楽斎に指を指す、こん八
「これは私
が しいじ
の
でござり
ます
ぞ
性根玉を挟んで
持ち手が
持ち手故、今
までは光も
出ませなんだが、道を
諦めましたら
たちまち
この通りで
今昔狐夜噺三丁表
「はぁぁ、俺は
又、鳥の
まちの見上げる(みやげる)
と思っ
たら、心学(しんがく)
性根玉は
その玉
の事じゃ
の
今昔狐夜噺三丁表
扨々
よく光る
玉だ
「いよ!玉屋!」
と、言いたい
ようだ
けれ□□るの
□は、欠け
庵の
館へ入り
けれバ、いる (か?)
楽斎が囲炉裏の庵に入ると、こん八が居たと云う意味。
平伏(へいふく)
ちるごろのあたり(ちるごろの辺り)
ちるごろ(固有名詞) 土地名
いた□□(欠け)さゆふに
いたしたさゆうに(致したさ、ゆうに)
□(欠け)ちをまなび
みちをまなび(道を学び)
くちはつる
こと、くち
おしく
掛詞 口、朽ち
今昔狐夜噺でも上のような掛詞が多く使われている。
性根玉を花火に見立てる。
↓
さて/\
よくひかる
たまだ
イヨ、たまや
と、いひたい
よふだ
心学(しんがく)
中国
宗明理学の学派のひとつ。陸王心学、陸王学派、心学派とも。
日本
陽明学の異称。上記参照。
石門心学
石門心学(せきもんしんがく)は、日本の江戸時代中期の思想家・石田梅岩(1685年 - 1744年)を開祖とする倫理学の一派。
平民のための平易で実践的な道徳教のことである。