乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『業平吾妻鑑』 『双蝶々曲輪日記』「角力場」「難波裏」「玩辞楼十二曲の内引窓」

2008-04-15 | 在原業平、そして、伊勢物語 と、仮名草子 仁勢物語

 

   大阪松竹座 第五回浪花花形歌舞伎

 

 浪花花形歌舞伎の第二部は、『業平吾妻鑑』と 『双蝶々曲輪日記』 「角力場」 「難波裏」 「玩辞楼十二曲の内引窓」。

 今回の浪花花形歌舞伎之目的は好きな演目の『双蝶々曲輪日記』の通し狂言。

 「角力場」 「難波裏」 「玩辞楼十二曲の内引窓」をまとめてみると、話の展開の面白さに満足する。

 おもしろかった。

 好きな場面が多く、最後はスカッとする。

 この芝居はあまりにもおもしろいせいか、或いは言葉がわかりやすいせいか、周りを見ても眠っている観客は少ないのが特徴。

 歌舞伎は話が単純だが、どう演じられるかを想像しながら芝居に向かう。他の役者や同じ演じ方でも日によって演じ方が変わり、飽きることはない演目のひとつ。

 

 一、業平吾妻鑑(なりひらあずまかがみ)            

    在原業平  進之介           

    舎人太郎吾  薪 車

 二、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)          

    角力場  

      濡髪長五郎  亀 鶴            

      藤屋吾妻  壱太郎     

      山崎屋与五郎/放駒長吉  翫 雀         

    難波裏  

       山崎屋与五郎/放駒長吉  翫 雀            

       藤屋吾妻  壱太郎           

       濡髪長五郎  亀 鶴  

    玩辞楼十二曲の内引 窓  

       南与兵衛後に南方十次兵衛  翫 雀            

       女房お早  孝太郎             

       母お幸  竹三郎            

       三原伝造  愛之助           

       平岡丹平  扇 雀           

       濡髪長五郎  亀 鶴

 

 若手役者がそれぞれに力を注ぎ入れ、鼓動が感じられる芝居だった。

 それを母お幸役の竹三郎丈が引き締めた。

 ウマイ!

 我が子を縄にとり・・・引き窓の縄に母が寄りかかった部分では、身震いして涙が出た。

 

 観客にお願いしたいことが一つある。

 どうか 最終山場近くで、古典言葉や台詞の抑揚や仕草に場違いな反応をして、芝居を壊さないでいただきたい。

 

 『双蝶々曲輪日記』も納得のいく舞台で、満足する。

 終了後 芝居の話に花咲かせ、美味しい芝居と酒を楽しむことができたことを喜ばしく思う。

 

 

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第一部 『妹背山婦女庭訓』  「道行恋苧環」 「三笠山御殿 」  

2008-04-15 | 歌舞伎

 

  大阪松竹座第五回浪花花形歌舞伎

 

 先日、浪花花形歌舞伎の第一部と第二部を観に行った。

 花形歌舞伎は愛之助丈などの人気若衆歌舞伎役者出演と合って、観客の年齢層はやや若い。

 開演四十分くらい前に楽屋のある通りから松竹座に行くと、たまたま愛之助丈はジーパン姿に黒ジャンといった一般若者とそう変わらない姿で歩いてこられた。

 家族は『あわよくば、誰かにであうかも・・・。』という私のミーハーぶりにはいささか引いている様子。

 こういった阿呆な楽しみ方を始めたのはごく最近で、これも年のせいか・・・とほくそ笑む。

 ちまたでは○○の王子様やら何やらで盛り上がっているさな、金もかからぬ 通り(道)一筋歩き変えくらいは許されて良しだろうと、自己弁護。

 

 さて芝居は結構おもしろかった。

 

 第一部

   妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)  

     道行恋苧環          

       杉酒屋娘お三輪  孝太郎           

       入鹿妹橘姫  壱太郎          

       烏帽子折求女  扇 雀

     三笠山御殿   

       杉酒屋娘お三輪  孝太郎          

       豆腐買おむら  翫 雀            

       蘇我入鹿  進之介            

       宮越玄蕃  亀 鶴           

       荒巻弥藤次  薪 車           

       入鹿妹橘姫  壱太郎          

       烏帽子折求女  扇 雀    

       漁師鱶七実は金輪五郎今国  愛之助

 

 筋書は有名なのでここでは省かせていただく。

 この縁三雲好きなもので、どのように演じるのかと思いながら丁寧に観ていたが、おおむね 若手役者が気合いを入れて芝居されていた。

 翫雀丈、孝太郎丈、愛之助丈が芝居を活性化させていた。

 翫雀丈、孝太郎丈はいつものように品の感じられる心地よさ。この芝居に於いては翫雀丈の出番が少なかったものの、この役者が出てくると舞台は急に華やぎ、上等の芝居に変わるのは興味深い。これは孝太郎丈にも言えることで、将来はこの方たちも歌舞伎を大きく背負っていくのだろうと考えられる。

 愛之助丈は男前で、見得の連続と迫力が見所。やはりたんきり芝居風の演じ方は心惹かれる。で切れな、仁左衛門化粧に近づけていただきたい。より舞台が引き立つのではないか。

 また 亀鶴丈や薪車丈も安定した演技力。

 壱太郎丈は若いのに思いの外後からの入れようで、気品も感じられ、素直な演じ方が好印象。

 結構美しく見えたのは、蘇我入鹿の立派な衣装に身を包んだ進之介丈。今回不思議に思ったのだが、いったん進之介丈が台詞を話し始めると・・・海老蔵丈に似ていた。進之介丈は海老蔵丈をまねるのか?或意味、不思議である。

 

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くいだおれ太郎  大阪・道頓堀

2008-04-13 | お出かけ

 

     くいだおれ太郎

 

   

 

 4月某日、家族と松竹座の浪花花形歌舞伎の一部と二部を観に行く。

 松竹座から一、二分も歩くと、そこには今関西では結構話題にあがっている くいだおれ太郎の人形がある。

 道頓堀は芝居で馴染みがあり、行くことが多い。

 話題のくいだおれ人形や 向かいの かに道楽の動く‘かに看板’、竹本座後の石碑等は 何となく地域に馴染み、私たちにとっては空気のような存在になっていた。

 そのくいだおれ人形が経営難の波の煽りを受けて、消え去るというのは、まるで生爪をはがされる痛みを感じる。

 とはいえ、人形には馴染みがあるが、ここで食事をしたことは一度もなく、道頓堀に度々行く私としては、なんだか責任を感じて後ろめたい。

 7月8日の閉店を正式に発表した今は、くいだおれ太郎の行く先はまだ決まってないが、申し出は多いと聞く。

 みんなに交じって、くいだおれ太郎の写真を遠巻きながら撮ってみた。

 

 

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春の大神祭 大神神社(三輪神社)/ 奈良

2008-04-13 | 舞台・音楽 雑感メモ

 

    春の大神祭

 

   

 

   

 

   

 

 4月10日、大神神社(三輪神社)に能を聴きに行く。

 大神神社は今年、これで三回目。なんだか愛着を感じる。

 

 大神神社についたのは十一時頃だったが、たまたま神社の階段からは和の音楽が聞こえてきた。

 目をこらしていると、二・三枚目の写真が見られた。

 ポスターを見て初めて知ったのだが、大神神社では春の大神祭(はるのおおみわさい)として、三日間における大きな祭りがあったらしい。

 この形式は少し春日大社のおんまつりに似ている感じがする。

 奈良はこういった起承転結の見られる三日間の大きな祭りが多いのだろうか・・・。

 京都とは又違った味わい深さに 感心した。

 

 祭りの内容は次のようなもの。

 

 春の大神祭(はるのおおみわさい)            

  4月8日(火)

    午前10時 大直禰子神社(若宮)例祭                     

    午後 5時 春の大神祭宵宮祭            

  4月 9日(水)

    午前10時 春の大神祭(例祭)                     

    午後 1時 若宮神幸祭            

  4月10日(木)

    午前10時 春の大神祭後宴祭

    午後12時 春の大神祭後宴能

   

 初めての神歌は改まった神聖な空気が流れ、ふるえるほどに感激した。

 二曲の能楽も心に残る。

 今まで以上に能が好きになった。

 二條流の煎茶と美味しいお菓子も頂き、優雅なひとときを過ごさせていただいた。

 このような素晴らしい時間を過ごさせていただきました関係者の皆様に、心より感謝申しあげます。

 ありがとうございました。

 

 

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『評弾』  蘇州の伝統芸能 /中国・蘇州(山塘街にて)

2008-04-13 | 舞台・芝居

 

   二人で『評弾』 を楽しむ

 

   

 

   

 

   

 

 先日、中国の杭州や上海に行ってきた。

 一番の思いでは 蘇州の山塘街にて『評弾』を楽しめたこと。

 蘇州では品と優美を基本においた この音楽が良しとされているらしい。

 

 親切な自転車タクシーの男性が、店を探し出し、開始時間をメモに書いてくれた。

 

       『7:30』

 

 時間まで小一時間。

 私たちは夜の山塘街を楽しむことにした。

 

 山塘街とは物資の集積する街だったそうで、清時代にに描かれた『姑蘇繁華図巻』では 「中華第一街」といわれた様子が見てとれるらしい。

 又、多くの文人墨客にも愛され、『紅楼夢』(曹雪斤)の中で山塘街を「俗世間で一、二を競う風流にして富貴な土地」とも記しているとのこと。

 そんなにも長くはない山塘街だが、両脇につるされた赤い提灯と 町を映し出す水郷の流れが美しい。

 とても情緒のある風情で、私たちが歩いていると多くのスタッフとカメラマンに付き添われたチャイナ服姿の女優(或いはモデル?)が、水郷のほとりで撮影を始めた。

 中国人の観光客はうれしそうに足を止め手見ていたので、有名な女性なのかも知れない。

 

 山塘街では 木製品(紫檀・紅木)や剣屋、楽器屋、刺繍屋、布や民芸店等の小憎らしい店が並んでいた。

 気に入った品もあったので、少しばかり購入。

 値切り交渉成立で、なんだか、うれしい。

  

 時間前に再び店を訪れると、二人は二階の喫茶店?に通された。

 メニューを見て、一杯六十元の高級茶を二つ頼む。

 茶はうまかったが、『評弾』はいっこうに始まらない。

 午後8:00前に歌手らしき二人が現れるが、雑誌を読んでいる。

 店内の客はいつまでたっても 私たち二人だけ・・・。

 かなり不安になる。

 そうこうしていると、店の経営者らしき人物が、中国語で歌手に何かを話しかけた。

 すると歌手は小さな舞台に上がり、男性の方が歌い出した。

 

 美しいまろやかな声で、一曲。

 とてつもなく素晴らしい歌声に聞き惚れる・・・。

 素晴らしい曲だったためか、あっという間に一曲は終わった。

 後ろの字幕は消える。

 私たちは何がなにやらわからない。

 

 そうこうしているうちに、中国人の客がぽつりぽつりと席に座りはじめ、観客も増えだした。

 客が歌手に何かを話すと歌が始まり、一曲二曲とうたわれ出した。

 

 さてさてこの『評弾』、涙が出るほどに美しい旋律と感情移入。

 聞いて二曲目で、涙がこぼれた。

 

 私が見た『評弾』は男女二人がそれぞれの楽器を持ち、弾き語る。

 男だけ、女だけ、男女の組み合わせの歌があった。

 現在の中国人でもわからないような古典でうたわれるために、舞台の後ろには中国語の字幕テロップが流れる。

 男性が歌う場合は、はじめに男、女性なら女という具合に、最初に字幕が出る。

 字幕が出るということを考えると、日本の文楽に似ているかも・・・と感じた。

 

 少し時間がたってから常連らしき中国人客がこちらの席まで歩いてきて、テーブルを指さし、大きな声でわめいている。

『何なのだろう・・・。』

と不安におののいていると、店の人間は困った表情で、申し訳なさそうにメニューを持ってきた。

 それは選択曲メニューだった。

『評弾』は客から選曲されて 頼まれて初めて、歌手が歌うといったシステムだったらしい。

 一曲、短いのでは三十元。長いものになると八十元程度。

 私たちはどんな詩かはわからないままに、美しい漢字が並んだ歌を 五曲ばかりを選択した。

 そうこうしている間に夜もふけ、私たちは後ろ髪を引かれる思うで、店を後にした。

 先ほど私たちがいた明かりの方向からは、女性歌手の哀愁漂う声と楽器が響く。

『帰りたくない・・・。』

そう思わせる『評弾』だった。

 

 私にとっては『評弾』を聞くことができたことは 今回の旅で、一番の収穫だったかも知れない。

 口ずさむことは不可能だが、『評弾』の美しさは、今も雰囲気は心に残る。

 

 もし蘇州に行かれる機会があり、舞台や音楽に興味をもたれているようでしたら、私はこの『評弾』をお勧めしたい。

 中国人の方が、今も楽しんでおられる蘇州の伝統芸能のようです。

 心にしみこむような静かな時を感じられるのではないかと思います。

 

 

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叫化鶏(乞食鶏・富貴鶏) 中国・杭州

2008-04-12 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

(写真上が乞食鶏。ナイフとフォークで蓮の葉を開き、料理を散り分けてくれる。左上のぼやけた部分は、ナイフとフォークを 手早く動かす様子。)

 

   叫化鶏(乞食鶏・富貴鶏)

 

 杭州で乞食鶏を食べた。

 この乞食鶏は富貴鶏ともいう。

 いわれは次のようなものだ。

 

 西湖のほとりで、2人の貧乏な男が出会う。

 盗んだ鶏を持った男と、くすねた米を持った男。

 二人は盗んだ食材で何か料理しようと考えたが、当然だが、道具を持ってない。

 鶏の腹に米を入れ、西湖咲く蓮の葉で鶏を包む。

 湖畔の泥にうずめた上で、焚き火をすること半日。

 途中、鶏泥棒を探すため来た役人は、二人を泥棒とは気づかない。

 役人は去り、泥の中から鶏を掘り出すと、かちかちの粘土の焼き物。

 二人はそれを石で割り、蓮の葉をとり、鳥を取りだした。

 料理の芳香葉あたり一面に広がり、役人が駆けつけ、料理を横取りした。

 あまりのうまさに役人は王(宮廷)に調理法を伝授。

 喜んだ王は役人には昇級、二人には莫大な金品を与え、大金持ちになったそうな。

 後に評判となったこの料理は、元のくすねて作られた意味から叫化鶏(こじき鶏の意味)と呼ぶ。

 又、盗人が大金持ちになったという意味合いから、富貴鶏ともいわれるそうだ。

 

 何ともはや、楽しいはなしではないか・・・。

 悔しくも私たちの食べた乞食鶏の腹の中には詰め物は無かった。

 土の部分は省かれており、唯一、蓮の葉に巻かれていたのが救いというもの。

 これが無ければ、単なるクリスマスのチキンを小さくしたものになるかも・・・。

 家で焼くときは詰め物をする分、愛嬌があるとも言える。

 

 蓮の葉で巻いた鳥は、葉の水分効果で、しっとりと焼き上がっていた。

 葉を巻きことによって、香りが広がるのかと思っていたが、話のようにはうまくはいかない。

 この料理、たぶん圧力釜で蒸し焼記されたようであるが、水分蒸発のおりに、においは飛ばされていた。

 たぶん土で巻いて半日蒸し焼きといったことになると、陶器常になった囲いがあるために香りを逃さなかったと言うことが考えられる。

 今この方法で料理を再現するには、一体どれくらいの費用がかかるかと思うと、心はやはり富貴鶏ではなく、乞食鶏なのかも知れない。

   

 

 写真上は、龍門古鎮の民家で作っておられた、ヨモギ入りまんじゅうと餃子。

 ヨモギはここでは多くの民家で料理されていた。

 おばあさんが、食べていくように勧めて下さったが、悪いので辞退した。

 今になって、後悔している。

 ヨモギを石臼でつく家庭にも出会ったので、つかせてもらう。

 これが結構な力仕事。

 もちろんこのようにはしゃいでいたのは、私一人。

 大人になりきれない、乱鳥。

 気持ちだけは、まだ学生気分。

   

 

 上は上海のピリ辛魚料理。

 広州や賀州に比べて甘いのが特徴。

 味の奥行きは、私は広州や賀州。山だが、雲南省の海鮮料理店の方が好きだったかも知れない。

 ただし今回の旅行は いつもと勝手が違い個人で夕食後に食事に繰り出す機会がなかったため、美味い料理にありつけなかったことも一因かも知れない。

 

 杭州・上海あたりと広州の料理の決定的な違いは他にもある。

 写真のように 杭州・上海あたりの料理は手が加えられている。

 魚に飾り包丁が入り、まるでパイナップルのようだ。

 野菜の煮込みや炒め物もちがう。

 杭州・上海あたりの野菜は4,5センチにそろえられて切られているが、広州や賀州では茎の長さのまま出てくる。

 今の時期、菜の花の茎も美味いが、私個人の好みとしては、長いままが美味い。

 

 スープの味は杭州・上海あたりや山西省あたりは ウエイパー+α で簡単に味付けられたものが多い。

 それが雲南省になると、やたら薄く、味が無い。肉と魚肉ソーセージが同じ椀に入っており、ある意味 とても楽しい。

 広州や賀州あたりのスープは、陳皮や肉の骨や油、香辛料などで複雑な味付けが多く、至って美味い。ただしパツァイなども加え、結構な香りである。やはり、食は広州にあり!なのかも知れない。

 

 しかし四川省や北京なども料理がうまいと聞く。

 まだ行かぬ地の料理は比較しようがないのが残念。

 

   

 

 杭州や上海ではちまきが有名らしい。

 また、上海では豚や鳥、レンコンに肉の詰め物をした甘辛煮込みが有名らしかったが、機会を逃した。

 かなり甘い料理らしく、ここでは糖尿病を患った人も多いと、ガイドの説明。

 

   

 

 ちまきの横ではよもぎ餅も売られている。

 中にあんの入ったよもぎ餅・・・。

 写真には無いが、上海ではよもぎ餅に似た、茶の餅があった。

 私は間違ってこの茶の餅を購入。

 帰宅後広口食べたが、さすがの私も、苦さと油の多さに閉口。

 滅多に食べられないものの私としては、不覚の事態。

 

   

 

 写真は杭州で食べたファーストフード風の餃子三種。

 皮は厚く、中身は複雑な材料で美味い。

 ビールをいくらか頼み、小腹をふくらませた。

 

 今回の料理は、美味いものに当たらなかった。

 成り行きで、二人で食事の時間を持ちがたかったためだ。

 団体に出された料理は、各地ごとに紹興料理などといった名が付けられていたが、おおむね毎日安価な材料で数だけは多く、これといっては変化にかける。

 調理場やメニューなどを見に行ったが、好きな料理を頼む分には、きっと美味い料理にありつけたことに違い無い。

 こどもが杭州あたりを旅したとき、たいそう美味い食事を楽しめたと聞いていた。ただし一人旅だったので、数は少なめに頼んだとのこと。

 よって 杭州・上海では美味い料理にありつけると思いこんでいただけに、今も口惜しく残念でならない。

 記録するに値しない料理内容で、お恥ずかしい限りです。

 

 

 

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能楽 『雪』  桜祭能

2008-04-10 | 能楽・狂言

 

   

     

  奈良の斑鳩の里にある 法輪寺

 

   

 4月6日(日)、奈良県のいかるがホールにて 桜祭能を楽しむ。

 初めて聴いた能楽の『雪』は素晴らしかった。

 今回の能楽は今までとは違った新たな感覚を受け、感激した。

 能楽鑑賞の初心者である私はゆっくりとした曲(演目)は、どちらかといえば苦手であった。

 どういった点を味わえばよいのか、わからずにいたのだ。

 ところが今回、初めて驚くばかりの感情を味わうことができた。

 喜ばしいことである。

 

 始まってちょうど十分後の

 急ぎはほどにこれは早や・・・・・

から、雪が舞う。

 舞台後方から観ていると、その雪は優雅で美しい。

 舞台右上の、生の桜の枝から舞い落ちた花びらのようにも感じ、女心にも感じる。

 

 能楽シテをつとめられた植田恭三氏の声は以前から好きだったが、

 あら 面白の雪の中やな・・・・・・

からのビブラートの効かせ方に震えが生じる。

 布で覆われていたかご?からは 座ったままの雪の精が現れ、ワキとシテの問答?が十分間、堪能できる。

 

 開始から二十分目に入ると 雪の精は立ち、かご?から出る。

 峰の雪、汀みぎわの氷踏み分けて・・・・・・

を受けて、地が五分間うたう。

 

 雪の精が裏を向き、後見人の所へ行き支度を調えてもらった後の15分間の舞が非常に美しい。

 雪のしんしんと降る中を優雅に舞う。

 会場でいただいたパンフレットには、

 ・・・・・・旅僧の教の功徳を喜び、自然界の命も、仏の縁が結んだ結果としてこの世に現れた美の花であることを,廻雪の舞にうたいあげて,やがてあけゆく東雲のにかかる雪の花と消えゆくのである。・・・・・・。

と記されている。

 雪の精の幽玄の美しきこと・・・。

 会場外の桜の花と雪の精、そして はらはらと散る花びらと雪とが私のイメージの中で重なり合っては舞い、幻想的な独自の世界を作り出す。

 雪といった今にも消えゆく切なさのなかにも、力強さを表現。その控えめで品の良さは心地よく,心に響く。

 

 15分の優美な舞も終わり、シテと地のやりとりの中、

 地 (姿もさすが)峰の横雲

のところで、雪の精は左に面を向け、優しく峰の横雲を現わす。

 この姿を見て、

『もう終わっちゃうんだぁ~。』

といった寂しさに包まれてしまった。

 

 地 ・・・・・雪の花は 

で、かご?に戻り、

 地 又 消えきえとぞ 

で、かごから出て舞台に立ち、

 地 なりにける

で、かご?の中に入る。

 

 最終に

 地 ・・・・・・・いかにも 地元のさくら・・・・・・

                  〃

で、厳かに幕を閉じた。

 

 心底、感激した。

 能楽がこんなにも味わい深いものとは・・・と、痛感した舞台であった。

 

 

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笑いとは何か? 狂言 『濯ぎ川』   

2008-04-10 | 能楽・狂言

 (写真は当日の法起寺ほうきじです。)

 

 

   狂言 『濯ぎ川』

 

 

 申し訳ございません。

 いったん書きました感想ですが、今後も公開するかどうか検討中です。

 この記録に限り、しばらく工事中とさせていただきます。

 

 

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常徳寺の桜 (奈良)

2008-04-05 | お出かけ

 

  常徳寺

 

   

 

   

 

 先日桜を求めて、知らない寺を回ってみた。

 この常徳寺も同様、次に行くには道がわからない。

 それどころか、どのあたりかすら定かでない。

 どなたかご存じの方がいらっしゃれば、この阿呆の乱鳥に所在地等をお教えいただけれないでしょうか・・・。

 人に頼ってばかりもいけないと感じ、常徳寺をネット検索してみたが、これがまたいけない。

 奈良県内だけでも、常徳寺は複数ある様子。

 宇陀郡でないのだけは確か・・・。

 桜や周りの景色が美しかっただけに、どういった寺なのかがわからないのは大変口惜しい・・・。

 これからは地図をたどって、バイクを走らせてみたいと思った。

 

 

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杵築神社 (きずきじんじゃ・奈良)

2008-04-05 | お出かけ

  

    杵築神社 (きずきじんじゃ・奈良)

 

 

   

 

   

 

 御祭神 須佐男命 (すさのうのみこと)

 由緒  当神社は須佐男命御一族を合祀す。

 元境内は現在地より西南西約二百メートルの地点字宮西敷地千百坪現在大和川河床に鎮座されその年代は不詳なり。

 寿永二年辰四月卯日(一一八三年約八百年前)生駒郡安堵村中窪田へ分神移座の記録あり

 大和川大改修工事に依り昭和三十五年十月吉日当地字前田境内千五百坪に移座す    

              -石碑よりー 

 

   

 

    

 

 

 先日、ミニバイクで桜を追いかけた。

 どこぞやを走っていると、杵築神社(きずきじんじゃ)というところにたどり着く。

 所在地は奈良県磯城郡川西町吐田とのことだが、この神社も、再度行くことは難しいといった地理感覚しかない。

 

 神社の周囲を堀が巡っており、ちょうど桜は見頃を迎えていた。

 参道を進むと石の鳥居。

 拝殿は威厳を保ち、玉砂は美しく水を描かれ、手入れされた神社が美しい。

 利拝殿 、拝殿に掲げられた八王子社の御祭神、拝殿の格子越しの本殿。

 拝殿に向かって左手には稲荷神社や石仏、大きな神石が置かれている。

 稲荷神社の向かって右には、写真(一番上)のような和紙作り風の狐面がかけられている。

 

 興味深いのは拝殿の真正面 左右に、阿吽のように置かれた石作りの花たて。

 そこには、写真(一番下)のように、左には表、右には裏に意図的に指された榊(葉)が置かれていた。

 これはいったいどういう意味があるのだろうか・・・。

 気にかかるが、私にはわからない。

 

 この季節、堀の周りの桜だけでも、充分に楽しむことのできる、観光客のいないきわめて静かな落ち着く神社であることを付け加えておく。

 

 

 

 

 

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御霊神社  奈良県

2008-04-03 | 舞台・音楽 雑感メモ

 

 御霊神社

 

 

 

                 

 

 

 

 桜があまりにも綺麗なので、大和川沿いを楽しむ。

 ミニバイクで少し遠くまで走らせると、写真のような神社を見つけた。

 名は御霊神社という。

 存在さえ知らなかった 初めての神社で、地図を見なければ 再び行くことができるかどうかは自信がないという始末。

 

 御霊神社は写真四枚目(境内の案内板)のように、 

 御祭神 津速彦霊命 (すはやひこのみたまのみこと)   祭神は不祥だが、一説には津速彦霊命とする。由緒も不明だが、以前は牛頭天皇を祭神とし、富雄川治水のための水神を奉祀したものか。境内末社に水神を祭る龍神社がある。神殿は春日造。真言律宗の神宮寺があった。江戸時代には吉田座・南座の宮座があり、座の一老が祭祀を掌った。    

と、記されている。

『江戸時代には吉田座・南座の宮座があり、座の一老が祭祀を掌った。 』という内容に興味を覚え、四月二日に多くの桜を見て回ったが、初回は御霊神社の桜を取り上げることにした。

 吉田座・南座ではいったいどのような芝居、芸能、神事、或いは舞踊が行われていたのであろうか・・・。

 自ずと江戸時代に思いをはせ、喜びを味わう。

 若干の舞台好きの私にとって、なんと幸せなひとときを過ごすことのできる神社であろうことか・・・。

 桜が二つの舞台のある神社とわたしとを巡りあわせる。

 

 ここ御霊神社は、富雄川が大和川に合流する手前の左岸堤防沿いから続く 地に位置する。

 参道内側から表を眺めると、桜は満開。

 旅行から帰り、桜に間に合うことができ、喜びもひとしおといったところである。

 

 

 御霊神社

 所在地 奈良県生駒郡安堵町笠目字今堀435 

 

             

 

  

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