(写真上が乞食鶏。ナイフとフォークで蓮の葉を開き、料理を散り分けてくれる。左上のぼやけた部分は、ナイフとフォークを 手早く動かす様子。)
叫化鶏(乞食鶏・富貴鶏)
杭州で乞食鶏を食べた。
この乞食鶏は富貴鶏ともいう。
いわれは次のようなものだ。
西湖のほとりで、2人の貧乏な男が出会う。
盗んだ鶏を持った男と、くすねた米を持った男。
二人は盗んだ食材で何か料理しようと考えたが、当然だが、道具を持ってない。
鶏の腹に米を入れ、西湖咲く蓮の葉で鶏を包む。
湖畔の泥にうずめた上で、焚き火をすること半日。
途中、鶏泥棒を探すため来た役人は、二人を泥棒とは気づかない。
役人は去り、泥の中から鶏を掘り出すと、かちかちの粘土の焼き物。
二人はそれを石で割り、蓮の葉をとり、鳥を取りだした。
料理の芳香葉あたり一面に広がり、役人が駆けつけ、料理を横取りした。
あまりのうまさに役人は王(宮廷)に調理法を伝授。
喜んだ王は役人には昇級、二人には莫大な金品を与え、大金持ちになったそうな。
後に評判となったこの料理は、元のくすねて作られた意味から叫化鶏(こじき鶏の意味)と呼ぶ。
又、盗人が大金持ちになったという意味合いから、富貴鶏ともいわれるそうだ。
何ともはや、楽しいはなしではないか・・・。
悔しくも私たちの食べた乞食鶏の腹の中には詰め物は無かった。
土の部分は省かれており、唯一、蓮の葉に巻かれていたのが救いというもの。
これが無ければ、単なるクリスマスのチキンを小さくしたものになるかも・・・。
家で焼くときは詰め物をする分、愛嬌があるとも言える。
蓮の葉で巻いた鳥は、葉の水分効果で、しっとりと焼き上がっていた。
葉を巻きことによって、香りが広がるのかと思っていたが、話のようにはうまくはいかない。
この料理、たぶん圧力釜で蒸し焼記されたようであるが、水分蒸発のおりに、においは飛ばされていた。
たぶん土で巻いて半日蒸し焼きといったことになると、陶器常になった囲いがあるために香りを逃さなかったと言うことが考えられる。
今この方法で料理を再現するには、一体どれくらいの費用がかかるかと思うと、心はやはり富貴鶏ではなく、乞食鶏なのかも知れない。
写真上は、龍門古鎮の民家で作っておられた、ヨモギ入りまんじゅうと餃子。
ヨモギはここでは多くの民家で料理されていた。
おばあさんが、食べていくように勧めて下さったが、悪いので辞退した。
今になって、後悔している。
ヨモギを石臼でつく家庭にも出会ったので、つかせてもらう。
これが結構な力仕事。
もちろんこのようにはしゃいでいたのは、私一人。
大人になりきれない、乱鳥。
気持ちだけは、まだ学生気分。
上は上海のピリ辛魚料理。
広州や賀州に比べて甘いのが特徴。
味の奥行きは、私は広州や賀州。山だが、雲南省の海鮮料理店の方が好きだったかも知れない。
ただし今回の旅行は いつもと勝手が違い個人で夕食後に食事に繰り出す機会がなかったため、美味い料理にありつけなかったことも一因かも知れない。
杭州・上海あたりと広州の料理の決定的な違いは他にもある。
写真のように 杭州・上海あたりの料理は手が加えられている。
魚に飾り包丁が入り、まるでパイナップルのようだ。
野菜の煮込みや炒め物もちがう。
杭州・上海あたりの野菜は4,5センチにそろえられて切られているが、広州や賀州では茎の長さのまま出てくる。
今の時期、菜の花の茎も美味いが、私個人の好みとしては、長いままが美味い。
スープの味は杭州・上海あたりや山西省あたりは ウエイパー+α で簡単に味付けられたものが多い。
それが雲南省になると、やたら薄く、味が無い。肉と魚肉ソーセージが同じ椀に入っており、ある意味 とても楽しい。
広州や賀州あたりのスープは、陳皮や肉の骨や油、香辛料などで複雑な味付けが多く、至って美味い。ただしパツァイなども加え、結構な香りである。やはり、食は広州にあり!なのかも知れない。
しかし四川省や北京なども料理がうまいと聞く。
まだ行かぬ地の料理は比較しようがないのが残念。
杭州や上海ではちまきが有名らしい。
また、上海では豚や鳥、レンコンに肉の詰め物をした甘辛煮込みが有名らしかったが、機会を逃した。
かなり甘い料理らしく、ここでは糖尿病を患った人も多いと、ガイドの説明。
ちまきの横ではよもぎ餅も売られている。
中にあんの入ったよもぎ餅・・・。
写真には無いが、上海ではよもぎ餅に似た、茶の餅があった。
私は間違ってこの茶の餅を購入。
帰宅後広口食べたが、さすがの私も、苦さと油の多さに閉口。
滅多に食べられないものの私としては、不覚の事態。
写真は杭州で食べたファーストフード風の餃子三種。
皮は厚く、中身は複雑な材料で美味い。
ビールをいくらか頼み、小腹をふくらませた。
今回の料理は、美味いものに当たらなかった。
成り行きで、二人で食事の時間を持ちがたかったためだ。
団体に出された料理は、各地ごとに紹興料理などといった名が付けられていたが、おおむね毎日安価な材料で数だけは多く、これといっては変化にかける。
調理場やメニューなどを見に行ったが、好きな料理を頼む分には、きっと美味い料理にありつけたことに違い無い。
こどもが杭州あたりを旅したとき、たいそう美味い食事を楽しめたと聞いていた。ただし一人旅だったので、数は少なめに頼んだとのこと。
よって 杭州・上海では美味い料理にありつけると思いこんでいただけに、今も口惜しく残念でならない。
記録するに値しない料理内容で、お恥ずかしい限りです。