春の大神祭後宴能 (おおみわまつりごえんのう)
四月十日、奈良にある大神神社(三輪神社)で後宴能が行われた。
この日は生憎の小雨で、後宴能は大礼記念館の中で行われた。
二條流の煎茶の茶席が設けられ、美味しい桜上用饅頭と、まったりと甘い玉露をいただく。
身のこなしの上品な着物姿のご婦人が接して下さり、後宴能を見る気分は一層高鳴る。
さて、初めての大神神社(三輪神社)の後宴能は素晴らしく、とても感激した。
能楽鑑賞の初心者の私にとっても、心に残る舞台であった。
奈良に住まいて数年にもなるというのに、なぜ今までこのような素晴らしいものを知らなかったのだろうと、悔やまれてならない。
私は今回初めて『神歌』なるものを聴いた。
心は落ち着き、襟を正して聴かせていただくといった感覚に陥る。
どちらかというと声明を聴く気分に近いかも知れない。
能楽師の方々が織りなす重厚なハーモニーは、オペラなどとも又違ったもので、心や体の隅々まで響き渡る素晴らしさだ。
写真下が、『神歌』の様子。
上品で知性的且つ男前揃いの能楽師の方々のお顔をお見せできないのが残念である。
後宴能の番組は、
『神歌』
『福之神』 狂言
『羽衣』 仕舞
『三輪』 能
『田村』 仕舞
『放下僧』 仕舞
『天鼓』 能
など。大神神社の三日間の『春の大神祭』が無事終了したことをお祝いし、後宴能が行われるとのこと。
毎年 狂言『福之神』と 能『三輪』の二曲は必ず演じられるらしい。
写真下がそれである。
能楽の『三輪』も素晴らしかった。
先日も桜祭能の『雪』で記録したように、初心者の私は激しい、歌舞伎でいえば荒事に近いような能が好きで、今まではゆっくりとした曲は苦手だった。
ところがここのところ、私にもゆっくりとした曲の面白さがわかり始めてきたような錯覚に陥っている。
いや、以前に比べて楽しい。
細やかな仕草も私なりにだが、わかってくる。
面白い。
しかし面白いとばかりも言っておられない。
そろそろしっかりとした能楽の知識を、私なりに身に付ける時期がやってきたのかも知れない。
ただそうなると、乳離れのためにおっぱいを取りあげられた赤子のような寂しさも感じてしまうのはなぜだろうか・・・。
最近仕舞も楽しく感じるようになってきた。
舞の鑑賞についてはは、歌舞伎の舞と同様に観ている。
ただ、違いが一点。
舞われている方に、心の中でイメージの衣装を着せ、面を付けている自分に気づく。
もしかしたらこういった鑑賞の仕方は間違っているのかも知れない。
だが、舞われているとイメージはだんだんとふくれあがり、芝居の山場を観ている気分になる。
何しろ私は鑑賞の初心者なので、自由に私の歩幅で観ることができる。
これから先、能楽や仕舞を鑑賞するにあたって、又違った感じ方をするようになるのであろう。
自分の心の変化を、これからも楽しみにしたい。
写真上は能楽の『天鼓』。
迫力があり、見応えのある曲だった。
美しい面と能装束と百毛のような頭は私の心をとらえた。
歌舞伎のような動きも交えられ、惹きつけられた。
美しい・・・。
もう一度会いたい・・・そんな風な心に入り込む格好の良さだった。
今回能楽が始まる前に、能楽ベテラン鑑賞者の方と話す機会があった。
桜祭能の話をすると、
「金剛流がすきなの?」
と訪ねられたが答えられない。
私はまだそこまでの鑑賞力に達しておらず、好きか好きでないか位よりわからない。
たぶん能楽も、歌舞伎のお家芸の違いくらいに違うのかも知れない。
又、歌舞伎役者の演技や声、形や舞の好き嫌いくらいに、能楽師も違うのかも知れない。
でも、今のところ、能が楽しいというだけ。他のことは全く分からない頼りない鑑賞者にしか過ぎない。
最後になりましたが、このような重厚な神歌や能、仕舞、狂言等を楽しませていただきまして、ありがとうございました。
関係者の方々に厚く御礼申しあげます。
ありがとうございました。