『イランのアルメニア人修道院建造物群』(イラン)
聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂
聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)
聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)
生神女マリア聖堂
『イランのアルメニア人修道院建造物群』は三つまとめて 世界遺産として登録されています。
聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)は私が泊まったマークーという町方20km南。
聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)はジョルファー(Jolfa)市 郊外。
生神女マリア聖堂はマークー郊外。バールーン湖のすぐ側です。
一般的には聖タデウス修道院が知られているようで、地球の歩き方にも載っています。
当初、聖タデウス修道院と生神女マリア聖堂のふたつを訪れる予定でした。
といいますのも、聖ステファノス修道院はナヒチェヴァンと言う国の国境を流れる川沿いを車で小一時間は知らねばならないためです。
ところがドライバーが心持ちの良い方で,安全なようす等を教えてくれ、しきりに勧めて下さいます。
彼のおかげで、無事 聖ステファノス修道院に辿り着くことができました。
国境近くの川の景色は美しく、それは 銃を持ったナヒチェヴァン国の兵隊も見る緊張をも和ませるものでした。
聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂のそれぞれに思い出があります。
写真も多数撮ってまいりました。
バールーン湖は美しく、わたくしはここには夕方と、翌日朝の二回 生神女マリア聖堂に行きました。
聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂に行った翌日、生神女マリア聖堂に行く途中にマークーで露天バザールがありました。
ドライバーは金曜のバザールと楽し気でした。
フルーツや食べ物や塩や衣服や玩具の他、生きたヒツジやヤギや各種の鳥もつれてこられ、取引されています。
古い形のバザールで、イランでも田舎でないと見る機会は少ないそうです。
たまたま出くわした金曜のバザールは、わたしにとってはら幸運でした。
とりあえず今回は、聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂の各一枚をお届けします。
聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂、国境沿い、バールーン湖、金曜のバザール 等
『イランのアルメニア人修道院建造物群』の写真の整理ができましたら、みなさまにも見ていただけましたらうれしいです。
ウィキペディアより ▼
イランのアルメニア人修道院建造物群を構成するタデウス修道院
英名 Armenian Monastic Ensembles of Iran
仏名 Ensembles monastiques arméniens de l'Iran
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2),(3),(6)
登録年 2008年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
表・話・編・歴
イランのアルメニア人修道院建造物群とは、2008年にUNESCOの世界遺産に登録された。聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)、聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)、生神女マリア聖堂から構成されている。
概要 [編集]
イラン北西部(いわゆる古代アルメニアの地域)に位置するこの地域は、キリスト教の揺籃期より、キリスト教(アルメニア使徒教会)を受容してきた地域である。アルメニア人は、キリスト教を世界で最初に国教としたことで知られており、その信仰の中心地として、修道院が建設されてきた。
しかし、地質学的に地震が多い地域であることから、世界遺産に登録されている3つの物件は、大地震のあとに再建されたものである。聖ステファノス修道院の再建は、15世紀に実施されている。当時のイランを統治していたサファヴィー朝はアーザルバーイジャーン地方やアルメニアをめぐって、オスマン帝国と覇権を争っており、サファヴィー朝はアルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援した。
また、聖タデウス修道院の再建は1814年のガージャール朝の王子であるアッバース・ミールザーの手によって行われた。ロシア帝国に圧迫されたガージャール朝もまた、アルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援した。