乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

イラン マークーから、富士山似?のトルコの大アララト山と小アララト山を望む(4景)

2011-01-16 | イラン2007~2010(6回)


        トルコ アララト山 マークーから




 

 イラン北西部のマークーからトルコの国境までは車で半時間もあれば到着します。
 
 ドライバーは、
「トルコには行った事があるかい?何度行ったの?僕は何度も行っているさ。」
と誇らし気です。

 イランの若者からすれば へジャブ(女性頭隠し)やマントウ(女性上着)や酒の自由なトルコは魅力ある国に違いありません。

 マークー市内から生神女マリア聖堂とバールーン湖往復の山中からは、トルコの大アララト山(左)と小アララト山(右)をみることが出来ます。

 どこか日本の富士山を思い出させるアララト山を見ていると、のんびりとした気分を味わう事が出来ます。

 若者は、アララト山を見て
「日本の富士山、富士山」
と、大はしゃぎ。

 イランでも日本の富士山と『おしん』は有名です。

 トルコのアララト山が見える町マークーに住むドライバーの自慢のようで、微笑ましい感じが致しました。

 























   
    ウィキペディア(2011.1,16現在)より ▼



 アララト山(アララトさん)は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山(成層火山)。アルメニア語表記はԱրարատ、ペルシア語表記はآرارات、クルド語表記はÇiyayê Araratで、トルコ語ではアール山(Ağrı Dağı)と呼ぶ。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山(Küçük Ağrı Dağı)と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山(Büyük Ağrı Dağı)という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。
『旧約聖書』にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされる山と目されて、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。聖書考古学上では『創世記』記者の意図した「アララトの山々(複数形)」はウラルトゥの山々の意味、現在のアルメニア高地のどこかの事と考えられているにもかかわらず、現在のアララト山頂から見つかった古い時代の木の化石や、航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとし、ノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいる。[1]
アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまった。このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人虐殺として国際的非難を浴びたが、トルコ政府は虐殺の事実を否認しており、長らく論争となっている(アルメニア人虐殺問題)。
その後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人がアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家を独立させる運動に乗り出したが、旧オスマン帝国領側に獲得した領土はトルコ革命軍によって奪還されてしまい、ロシア側も赤軍の侵攻によってソビエト連邦に組み入れられた。これ以降、アララト山はトルコ領となるが、1991年のソ連解体によって独立したアルメニア共和国はこのトルコとソ連によって引かれた国境を承認していない。アルメニア・ソビエト社会主義共和国時代においてもアルメニア人のシンボルであることは変わらず、国章にアララト山が用いられていた。現在の、独立後のアルメニアの国章についても盾の中央にアララト山をあしらっており、アルメニア人虐殺問題とあいまって、領土要求を警戒するトルコとの間で水面下の対立が続いている。
国際的な環境保護団体グリーンピースは、2007年6月現在、アララト山腹にノアの方舟の模型を建造中である。地球温暖化問題で、早急な対策が必要であるというメッセージを送るためという
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マークー郊外 夕日の生神女マリア聖堂とバールーン湖  2010年(8景)

2011-01-16 | イラン2007~2010(6回)



               マークー郊外 
               

         夕日の生神女マリア聖堂とバールーン湖

               







 以前『イランのアルメニア人修道院建造物群』聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂を記録しました。

 今回は 生神女マリア聖堂とバールーン湖にしぼって残しておこうと思います。

 ここは夕方と朝の二回音連れ真下が、今回は夕日の中の夕日の生神女マリア聖堂とバールーン湖です。

 ここは観光客は誰もおらず、ドライバーを含めて私たち三人だけでした。

 車窓から撮った写真も多く、お見苦しい点をお許し下さい。

 静けさを感じていただけましたら、うれしいです。
































                      2010年12月 イラン マークー郊外にて





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪道頓堀の 浮き世小路  (9枚)

2011-01-16 | 乱鳥徒然 Rancho's room.




              大阪道頓堀の 浮世小路

































 大阪道頓堀の松竹座近くには、浮世小路という細くて短い路地がつくられています。

 ここは以前にも簡単に記録した事があります。

 この路地を奥まで進むと、何と!パチンコの景品交換所が(たぶん)あります。

 まさに、浮世☆小路ですね。

 







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑   1/24

2011-01-16 | 乱鳥徒然 Rancho's room.









 一晩、窓ガラスがたがたの刑にあう。

 冬の夜の奈良は夏の夜のようには夢見心地でいられない。

 おまけに家族は休み返上。早朝の出勤で、今朝は寝不足。

 乱鳥、すこぶる眠い。



 気がつくと一月も半ば。

 一年の 1/24がすぎる。

 この二週間、わたしは何をして過ごしたのか…。

 みなさんとお話をしたり、博物館,芝居に行ったり、お料理で遊んだり…。

 いくらかは本も楽しんだ。

 思い起こすと、楽しい思い出が多い。幸せ者だ。



 ここに何としてでも付け加えたいのが散歩と 完璧に近い家事と 事務処理。

 この寒さでは散歩はつらいし、完璧に近い家事は主婦なら無理と知った上での理想論。

 ここ二週間冬ごもりと決め込んで、一年間の貯めた事務処理でもこなそうか。

 うん!それならなんとかできそうだ。



 今年は寺を参りたい(本当は 観光)と思っていたところに、隔週雑誌(CD付き)『日本の古寺・仏像』が発売される。

 早速アマゾンで注文しようと思うたが、古本として 最高値では 1,790円で売られていた。けしくりからん(←って言葉、ありかしらん?)

 発売元なら定期購読。これはちと不都合。

 仕方が無いので寒いが本屋直行。初回「法隆寺」で 790円也。1000円の節約だと、お気楽者の計算法。

 これで「法隆寺」は完璧だとにんまり顔で机上に積んどく。

 まぁそのうち暖かくなれば、法隆寺を極めたいと、今朝もノーテンキにほくそ笑む。






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする