日本経済新聞 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞の社説 (3月1日~3月23日)
見出し記録
日経新聞以外は 五十音で新聞を記録しています。
くらべる社説
日本経済新聞HPより 社説(3月1日から23日)▼
3月1日付 国際社会はリビアでの「悲劇」どう防ぐ
ネットの悪用から入試守れ
3月2日付 民主党は内紛を繰り返している場合か
国民の声に耳塞ぐ中国当局
3月3日付 物価と政治に揺れる新興国経済モデル
アジア中間層呼び込む翼を
3月4日付 世界で競える個性豊かな「人」づくりを
3月5日付 親子上場を解消し効率向上ねらう企業
利上げ探るユーロの「二速経済」
3月6日付 中国の新計画が映す国内の不満増大
雇用改善、次は物価のFRB
3月7日付 外相辞任で崖っぷちに立たされた菅政権
ハーグ条約加盟を決断せよ
3月8日付 パフォーマンスに終わった規制仕分け
原油投機膨張が示す異常さ
3月9日付 地域・学校の創意生かし「出る杭」伸ばせ
3月10日付 日本の外交力の底割れをどう防ぐか
なお不公平感強い年金救済
3月11日付 市場の変化見すえ東阪証取の統合急げ
甘すぎる政治家の領土意識
*
3月12日付 未曽有の巨大地震の救援に全力注げ
3月13日付 津波と原発事故の国難 直ちに総力結集を
3月14日付 震災の拡大防止へ できることを今すぐ
3月15日付 子ども手当など削り被災地救援を急げ
電力と原発の危機を止めよ
3月16日付 原子力事故の拡大阻止に総力あげよ
3月17日付 原発の最悪事態も想定し万全の対応を
食料・燃料の不足解消を急げ
3月18日付 被災者への医療・住宅支援を一刻も早く
経済危機にも一体で対応を
3月19日付 合理的な節電で停電の混乱を最小限に
市場安定の協調体制万全に
3月20日付 飲食物の放射能 監視を強め実態示せ
みずほはATM復旧 万全に
3月21日付 ボランティアと義援金をどう生かすか
政治リスクも残るリビア空爆
3月22日付 外国人の支援にも力と知恵を尽くそう
命綱の通信を太く多様に
3月23日付 被災地の企業支援をいち早く全力で
原発情報、海外の不信解け
朝日新聞HPより 社説(3月1日から23日)▼
3月1日付 入試問題投稿―ネット時代の不正防止は
英語教育―Are We Ready?
3月2日付 予算案通過―修正こそ民意に応える道
リビア争乱―民主化勢力への支援を今
3月3日付 原油100ドル―中東ドミノへ不安と期待
アイルランド―ケルトの虎の険しい道
3月4日付 参院議長発言―二院制をかき乱す浅慮だ
特捜調べ録画―誰のための可視化か
3月5日付 予備校生逮捕―若者の失敗、どうみる
中国国防費―不透明さが懸念を呼ぶ
3月6日付 外相の進退―まず調べ説明してから
規制仕分け―全面公開テコに大胆に
3月7日付 主婦の年金―政争の具とは愚の骨頂
中国全人代―民意ほほ笑む国造りを
3月8日付 前原外相辞任―いつまで続く泥沼か
前原外相辞任―外国人と政治献金
3月9日付 米高官発言―沖縄への許し難い偏見
米高官発言―沖縄への許し難い偏見
3月10日付 自殺者3万人―心を開ける場所もっと
3月10日付 企業の合併審査―世界競争下の新基準を
3月11日付 リビア内戦―人道監視で流血を防げ
3月11日付 東証・大証統合―国際競争が変革求める
*
3月12日付 東日本大震災―国をあげて救命・救援を
3月13日付 大震災と原発爆発―最悪に備えて国民を守れ
3月14日付 マグニチュード9.0―救助と水と食料と薬を
3月14日付 マグニチュード9.0―原発情報、的確に早く
3月15日付 原発また爆発―大量被曝を回避せよ
3月15日付 計画停電―我慢と共助のときだ
3月16日付 原発危機―「最悪」の回避に全力を
3月17日付 津波被災地から―救援の物資を、人を
3月17日付 原発との闘い―現場を十分に支援しよう
3月18日付 原発との闘い―最前線の挑戦を信じる
3月18日付 自治体の連携―被災者を支え、迎えよう
3月19日付 大震災予算―危機対応へ大転換せよ
3月19日付 ボランティア―拠点づくりを急ぎたい
3月20日付 電力不足―停電より「計画節電」を
3月20日付 リビア介入―市民の保護を最優先に
3月21日付 震災から10日―人の強さを信じて進む
3月22日付 放射能と食品―監視と説明を徹底せよ
3月22日付 統一地方選へ―自治の役割かみしめて
3月23日付 放射性降下物―長い闘いを覚悟しつつ
3月23日付 医療支援―分かち合いの精神こそ
毎日JP 社説 アーカイブより ▼
3月1日 衆院区割り見直し その場しのぎは限界だ
入試ネット漏えい 会場から携帯排除を
3月2日 与野党に訴える 予算修正で歩み寄りを
3月3日 プロと大学野球 雪解けを歓迎したい
主婦の年金 不公平感をなくそう
3月4日 企業結合審査 独禁法の原点も大切に
入試投稿逮捕 情報倫理教育の徹底を
3月5日 リビア情勢 軍事介入はまだ早い
公務員制度改革 「協約権」着実な一歩を
3月6日 論調観測 予算案と国会 どこに打開策はあるか
中国全人代 政治改革は不可避だ
3月7日 日本国債 暴落を心配するのなら
前原外相辞任 菅政権最大の危機だ
3月8日 保護司の仕事 社会がもっと手助けを
短命「半年」外相 損なわれた外交の信用
3月9日 外国人の献金 与野党で冷静に議論を
主婦の年金救済策 批判合戦より救済急げ
3月10日 女性の起用 「埋蔵資産」開花させよう
米高官の暴言 これで対日責任者とは
3月11日 東証・大証統合 日本市場再生の一歩に
元少年3人死刑 厳罰化が強まるものの
*
3月12日 東北沖大地震 救出、復旧に総力挙げよ
3月13日 東日本大震災 原発制御に全力尽くせ
3月14日 世界最大級地震 力合わせ立ち向かおう
3月15日 東日本大震災 経済の底力発揮する時
東日本大震災 情報は危機管理の要だ
3月16日 高濃度放射能漏れ 住民守る体制に全力を
3月17日 東日本大震災 物資はまず被災地に
東日本大震災 的確なリスク情報を
3月18日 東日本大震災 冷却にあらゆる手段を
東日本大震災 医療総動員で命を救え
3月19日 円売り協調介入 G7の存在感示す時
原発の危機 現場を全面支援したい
3月20日 大地震安否情報 知りたい、知らせたい
危機管理と内閣 与野党総力態勢を築け
3月21日 リビア軍事介入 新たな泥沼にせぬよう
原発と放射能 リスク伝達に専門官を
3月22日 電力節約 長期化に備えた対応を
自治体の支援 被災者の受け皿さらに
3月23日 災害弱者の救済 孤立させない支援を
読売新聞HPより 社説(3月1日から23日)▼
3月1日付 国際社会はリビアでの「悲劇」どう防ぐ
ネットの悪用から入試守れ
3月2日付 民主党は内紛を繰り返している場合か
国民の声に耳塞ぐ中国当局
3月3日付 物価と政治に揺れる新興国経済モデル
アジア中間層呼び込む翼を
3月4日付 世界で競える個性豊かな「人」づくりを
3月5日付 親子上場を解消し効率向上ねらう企業
利上げ探るユーロの「二速経済」
3月6日付 中国の新計画が映す国内の不満増大
雇用改善、次は物価のFRB
3月7日付 前原外相辞任 窮地に追い込まれた菅首相
スギ花粉症 「国民病」の対策は根本から
3月8日付 主婦年金問題 与野党が協力し立法で救済を
外国人客誘致 観光ニッポンの魅力高めたい
3月9日付 規制仕分け 政治主導で思い切った改革を
企業トップ襲撃 卑劣な暴力団テロを根絶せよ
3月10日付 米高官沖縄中傷 同盟関係損なう不穏当な発言
NZ地震教訓 耐震強化を急がねばならない
3月11日付 東証・大証統合 日本市場の復活へ実現を急げ
元少年3人死刑 「厳罰」支持した最高裁判決
*
3月12日付 東日本巨大地震 被災者の救助と支援に全力を
3月13日付 東日本巨大地震 原発事故の対応を誤るな
3月14日付 救助と支援 被災者へ十分な生活物資を
日本経済痛撃 復興急ぎ景気の後退を防げ
3月15日付 福島第一原発 相次ぐ爆発にも冷静な対処を
計画停電 説明不足が招いた首都大混乱
3月16日付 福島第一原発 放射能拡散を全力で阻止せよ
株価急落 政策総動員で不安の解消を
3月17日付 燃料不足 買いだめせず被災地に物資を
震災復旧予算 バラマキやめて財源にあてよ
3月18日付 円戦後最高値 投機的な為替変動に歯止めを
福島第一原発 あらゆる冷却手段を活用せよ
3月19日付 震災1週間 医薬品供給と診療充実を急げ
G7電話会談 協調介入が円急騰を止めた
3月20日付 官邸の危機管理 「複合事態」克服へ司令塔作れ
交通網寸断 陸海空で輸送手段の確保急げ
3月21日付 放射能漏出 監視を強化し「食」の不安防げ
リビア軍事介入 虐殺防ぐための正当な行動だ
3月22日付 自治体間協力 被災者受け入れを広げよう
自衛隊派遣 行政と連携し効果的支援を
3月23日付 つなぎ法案 協調維持へバラマキ撤回急げ
みずほトラブル 復旧と再発防止に万全を期せ
(写真だけ)
東大寺勧進所
東大寺勧進所 東大寺HPより ▼
1686年(貞享3)、露座のままだった大仏の修理、大仏殿の再建のため、公慶上人(こうけいしょうにん)は東大寺勧進所を建て、復興の寺務所とした。ここを拠点にして全国にくまなく行脚し、勧進に命をかけた。勧進所内には、同年建立の阿弥陀堂のほか、国宝僧形八幡神像を祀る。八幡殿や公慶上人を祀る公慶堂がある。
通常は中には入れないが、10月5日の転害会の折には、国宝僧形八幡神像が秘仏開扉され、拝観することができる(時間制限あり)。
*平成22年より、公慶上人を祀る公慶堂が開扉されることになった。
期日は、4月12日と10月5日の法要終了後から16時まで。入場無料
Feペディアより ▼
勧進(かんじん)とは、仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。 直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。
勧進とは
勧進とは、寺院の建立や修繕などのために、信者や有志者に説き、その費用を奉納させることをいう。そのことにより人びとを仏道に導き入れ、善行をなさしめるのが元来の意であったが、のちには寄付を集める方法として興行を催し、観覧料の収入をもってこれに当てるという意味としても広く用いられた。中世においては、橋や道路の修理・整備から官寺(鐘や仏像、写経をふくむ)の建設や修造など、本来は朝廷(国家)や国衙(地方行政機関)がおこなうべき公共事業も、勧進によってなされた。勧進をおこなう者は、勧進帳(後述)をたずさえて諸国を遍歴したり、橋のたもとや寺社の門前、関所などで「一紙半銭」[1]の寄付を募った。
勧進聖らの活動
初期の勧進は主として勧進聖(かんじんひじり)・勧進僧(かんじんそう)・勧進上人(かんじんしょうにん)と呼ばれる僧侶によって担われていた。彼らは各地を遍歴しながら説法を行い、人々から銭や米の寄付を受けた。彼らは必要経費のみをそこから受け取り、残りを事業達成のための寄付に充てた。こうした勧進聖としては、奈良時代の行基や平安時代の空也・行円などが著名である。また、尼の中にも勧進活動に加わるものもおり、これを勧進比丘尼(かんじんびくに)と呼ぶ。ただし、勧進比丘尼の中には神仏習合の影響を受けて尼の形態をした[2]巫女なども含まれており、また近世に入ると遊女的な行いをする者も存在したため、純粋な尼とは言えない者が多かった。それでも戦国時代の清順のように勧進活動によって寺院を再興した勧進比丘尼も少なからずおり、その活動も評価されるものであった。
勧進の普及
こうした勧進があまねく庶民に受容され、広く社会に浸透していくのは、およそ12世紀以降のことである。鐘については、保延7年(1141年)に大和国(奈良県)の金峯山寺の鐘が勧進僧道寂の勧進によって作られており、国家管理の橋であった山城国(京都府)の宇治橋や近江国(滋賀県)勢多橋も、12世紀に入ると勧進によって管理・維持がなされるようになっている。また、近江関寺の再興は治承3年(1179年)の南無阿聖人[3]の勧進によるものである。
東大寺大勧進職
治承4年(1180年)の平氏政権による南都焼き討ちによって東大寺は灰燼に帰した。後白河法皇は直ちに復興の意思を表し、勧進聖らに東大寺再建のための勧進活動への協力を求め、養和元年(1181年)、その責任者として重源を大勧進職(だいかんじんしょく)に任命した。
当時、61歳だった重源は勧進聖や勧進僧、土木建築や美術装飾に関わる技術者・職人を集めて組織して、勧進活動によって再興に必要な資金を集め、それを元手に技術者・職人が実際の再建事業に従事した。また、重源自身も、京都の後白河法皇や九条兼実、鎌倉の源頼朝などに浄財寄付を依頼している。途中、いくつもの課題もあった[4]ものの、重源と彼が組織した人々の働きによって東大寺は再建された[5]。なお、重源は東大寺再建に際し、西行に奥羽への砂金勧進を依頼している。
以後も東大寺の施設の再建や管理維持のための役職として大勧進職は継続され、栄西(2代目)・行勇(3代目)・円爾(10代目)・忍性(14代目)・円観(24代目)らが任命され、戦国時代に財政難によって一度は廃絶されるも江戸時代の再建時には公慶が大勧進職を復興して東大寺の再建を果たしている。
勧進職の普及とその変質
東大寺を再建させたこの制度は他の寺院にも用いられて、有力寺院の再建には勧進職(かんじんしょく)が任命されるのが恒例とされた。特に鎌倉時代に律宗(真言律宗含む)が再興されると、律宗が僧侶の私利私欲を戒めて、利益を得た場合にはその公平な配分を義務付けたこと、更に新しい律宗が従来の教学研究専念を脱却して、布教による職人階層との関係を強めたことで評価を得て、勧進職に律宗僧を任じる傾向が増加していった。
だが、時代が進むにつれて朝廷や幕府などが勧進職に対して直接的な寄付を行うだけではなく、所領などを与えて(東大寺の周防国一国など)その収益から再建費用を捻出させるように取り計らったために、勧進職は一種の利権の絡む役職となり、更に律宗の衰微も加わって、勧進職を巡る寺内の抗争や、その収益を私する勧進職が出現するなど問題も生じた。また、熱心に再建に尽くした僧侶の中にも再建のための財源を勧進活動には依存せずに、朝廷や幕府、その他の有力者との政治交渉による再建費用獲得などに力を入れる者もいた。このため、勧進職と勧進聖らとの関係は希薄になることもあった。勿論、そのような時代になっても全国各地を回って勧進に尽力する勧進聖らも少なくなかったが、反面勧進聖を名乗って実態は物乞いなどの行為を行う者も現れる(前述の勧進比丘尼の遊女化もその1つである)ようになり、結果的に寺院内部(勧進職を含めて)や世間一般から蔑視されるような状況も生まれた。
後にこの「勧進」のスタイルを基にした様々な「勧進○○」と称されるものが出現することとなる。
勧進帳
勧進帳(かんじんちょう)とは、勧化帳(かんげちょう)とも呼ばれており、勧進の目的について書かれた巻物形式の趣意書を指す。
勧進の発願趣旨に始まり、念仏・誦経の功徳、寄付・作善に関わることによる功徳(現世利益・極楽往生)などを説いている。勧進聖は説教を聞くために集まった人々に対してこれを読み上げ、あるいは閲覧させて、寄付・作善を通じた結縁を呼びかけた。なお、勧進帳とは対として寄付の実績などを記した奉加帳がある。
これは、重源の東大寺再建時の勧進帳である。
東大寺勧進上人重源敬って白す。
特に十方檀那の助成を蒙り、絲綸の旨に任せ、土木の功を終へ、仏像を修補し、堂宇を営作せんと請う状
右当伽藍は風雨を天半に軼べ、棟甍の竦櫂を有ち、仏法恢弘の精舎、神明保護の霊地なり。原夫れ聖武天皇作治の叡願を発し、行基菩薩知識の懇誠を表す。加之、天照大神両国の黄金を出し、之を採りて尊像に塗り奉る。菩提僧正万里の滄海を渡り、これを崛して仏眼を開かしむ。彼の北天竺八十尺弥勒菩薩は光明を毎月の斎日に現じ、此の東大寺の十六丈盧舎那仏は利益を数代の聖朝に施す。彼を以って此に比するに、此猶卓然たり。是を以って代々の国王尊崇他無し。蠢々たる土俗帰敬懈るに匪ず。然る間、去年窮冬下旬八日、図らざるに火あり。延て此寺に及び、堂宇灰と成り、仏像煙と化し、跋提河の春の浪哀声再び聞え、沙羅林の朝の雲憂色重て聳え、眼を戴いて天を迎げば、則ち白霧胸に塞りて散せず。首を傾けて地に俯すれば、亦紅塵面に満ちて忽ち昏く、天下誰か之を歔欷せざらん。海内誰か之を悲歎せざらん。底露を摧かんより、成風を企つるに若かず。玆に因って、遠く貞観延喜の奮規を訪び、近く今上宣下の勅命に任せ、須らく都鄙をして、以って営作を遂げしむ可し、伏して乞う、十方一切同心合力、家々の清虚を謂ふこと莫れ、只力の能ふ所に任す可し。尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も、必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んでよ。然らば、即ち与善の輩結縁の人、現世には松柏の樹を指して比算し、当来に芙蕖の華に坐して結跏せん。其福無量得て記す加からざるもの乎。敬うて白す。
養和元年八月 日 勧進上人重源 敬白
別当法務大僧正大和尚(在判)
なお、歌舞伎の演目として知られる『勧進帳』も武蔵坊弁慶が富樫左衛門の前で勧進帳を読み上げる場面に由来している。
【勧進】小学館百科事典より ▼
1 人々に仏の道を説いて勧め、善導すること。
2 堂塔・仏像などの建立・修理のため、人々に勧めて寄付を募ること。勧化(かんげ)。「―して本堂を建立する」
3 僧の姿で物乞いをして歩くこと。また、その人。また、単に物乞いのこと。
(写真だけ)
華厳宗総本山 東大寺指図堂
東大寺HPより ▼
寺院暦(沿革)
東大寺は天平十三年(741年)聖武天皇の勅願により、大和国金光明寺を前身とし、国分寺として創建され、奈良七大寺の一つで、大仏殿は若草山麓に魏然として聳え、「金銅廬舎那仏」は世界に名高い。
指図堂は大仏殿の西方100m、勧進所に南面しており、堂内には「草鞋ばきの法然上人御画像」が奉祀してある。
東大寺は治承四年(1180年)、平清盛の命をうけた嫡男重衝の兵火によって、興福寺と共に焼失したが、法然上人の推挙により東大寺復興の大勧進職についた俊乗房重源が源頼朝の支援を受け、鎌倉期の大仏殿再建に全力を注がれた。その後、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、大仏殿が焼失し、その100年余り後、三度目の再建する気運が持ち上がった。
この辺り一帯は、復興事務所ともいうべき勧進所の建物群が立ち並び、大仏殿の計画図面を(指図という)を展示するお堂が立てられた。
指図堂という名称は、このことに由来している。
寛政3年(1791)、そのお堂は大風で倒壊したが、浄土宗の熱心な方々の助力を受けて、嘉永5年(1852)頃、完成したのが、現在の指図堂である。
堂内に奉祀されている「草鞋ばきの法然上人御画像」を参拝することで、当時の颯爽たる法然上人の御姿が見えるようで、自然と頭が下がる思いがする。
また建久元年(1190年)大仏殿上棟後、法然上人が後白河法皇の宸命による重源の請を容れて、大仏殿の南廂において勧経曼荼羅と浄土五相の御影を供養して、重源上人が中国から持ち帰った善導大師の影像を前に三日にわたり「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の「浄土三部経」等を説かれた。
こうして南都に念仏門興隆の縁を布かれ、この事跡を永く記念せんがために建立された勧進所の阿弥陀堂に五劫思惟の阿弥陀仏が祀られている。
今年もふきのとうが出てくれました。
二、三週間前、
二度天ぷらを楽しみました。
そして今年は蕗味噌はつくらず、
プライパンでちゃちゃっと味噌焼きにしてみました。
ふきのとうの味噌焼きは
ふろふき大根やコンニャク(田楽)に…
早春のほろ苦さは美味でした。
今はそのふきのとうも花を咲かせています。
山茶花が咲いていました
今年も真っ赤に咲きました。
毎日毎日花びらが落ち、毎日毎日お掃除しました。
山茶花は終わりの季節です。
二月末、満開の花を咲かせてくれたご褒美に
寒肥をあげました
山茶花は一ヶ月以上の間笑顔を投げかけてくれました。
来年もきれいに咲いてくれるはずです。
薄ピンクの方が好きだなんて言って、ごめんなさい。
赤いピンクも好きですよ☆
J-CASTニュース HPより ▼ (J-CAST)
安定ヨウ素剤「服用対象は40歳未満」 福島県いわき市15万人に配布
福島第1原発事故を受け、市内の一部が屋内退避エリアとなっている福島県いわき市が「万一に備え」、国の配布指示がない段階で安定ヨウ素剤の独自配布を実施している。対象は、「国の基準により40歳未満(妊婦は40歳以上でも配布)」。同市はサイトで「市民の不満に思う気持ちに応えた」としている。
安定ヨウ素剤は、予防的に服用すれば、体内被ばくによる甲状腺がんのリスクを低減するなどの効果が高い一方、服用量に注意が必要で「飲み方によっては危険」との指摘もある。市販では買うことができないため、ヨウ素を含むうがい薬を飲もうとする人が出たことで、関係機関が「効果はなく、かつ有害」と注意を促していた。
「甲状腺以外の臓器への防護効果はない」
日本医学放射線学会が2011年3月18日にサイトで公開した「放射線被ばくなどに関するQ&A」によると、安定ヨウ素剤は、「本当に手の付けられないような大惨事に人が巻き込まれたとき」に、医師が「若い方への投与を判断します」と説明している。
投与の対象は、いわき市サイトにもあるように原則40歳未満。国の原子力安全委員会の「原子力施設等防災専門部会」が02年4月に示した「原子力災害時における安定ヨウ素剤予防服用考え方について」によると、「40歳以上については、放射性ヨウ素による被ばくによる甲状腺がん等の発生確率が増加しない」ことが、「原則40歳未満」の理由だ。また、安定ヨウ素剤は、甲状腺以外の臓器への防護効果はないとも指摘している。
原子力災害対策特別法では、国の指示後に地方自治体が住民に配ることになっているが、今回いわき市は独自に配布しており、対象の「全15万人に配布している」と産経新聞が3月20日に報じている。備蓄していたものという。
厚労省「医師立会いで飲むように」
いわき市の渡辺敬夫市長は3月18日、市サイトの「市長メッセージ」で、原発事故を受け同市へ避難してきている人の中に、出身自治体から安定ヨウ素剤が配られているのを知ったいわき市民の間で不安が広がっている、と指摘。「なぜ配らないのかという市民の不安に思う気持ちに応え、万が一、高い濃度の放射能物質にさらされた場合に備え」て配布したとしている。
服用のタイミングについて、渡辺市長は「市から指示があった時以外は絶対に服用しない」ことを求めており、「服用いただく際には、私から『服用してください』とお知らせをいたします」としている。
一方、厚生労働省は3月18日、ヨウ素剤は医師らの立会いのもとで飲むようにと福島県や県内自治体に注意喚起した。いわき市以外にも自治体が住民にヨウ素剤を配っているところがあり、中には医師が介在しない形で住民が飲んだケースも出ているという。
2011年 39
『続観世流百番集』から 「鷺」
観世左近 著
檜書店
『続観世流百番集』
昭和50年4月 5日 第1版発行
昭和50年4月21日 第21版発行
王朝の歌人 9 『乱世に華あり 藤原定家』に出てきた「鷺」を楽しむ。
鷺 公益財団法人 HP 能楽事典より ▼
神泉苑に御幸あった天皇は、池の洲に遊ぶ鷺を見て、蔵人に命じて生け捕らせる。鷺は忽ち逃げ去るが、勅諚との声を聞いて舞い戻ってくる。蔵人は官位を、鷺は五位の爵位を賜ったという純粋無雑の極致を描く名曲。
鷺 大辞泉より ▼
謡曲。四番目物。帝の命で鷺を捕らえようとした蔵人(くろうど)が「勅諚(ちょくじょう)ぞ」と言うと、鷺は自ら地に伏したので、帝は蔵人と鷺とを五位に叙する。元服前の少年か還暦後の老人が直面(ひためん)で演じる。
以前K上先生の公開講座で苑地のお話を聞く機会があった。
苑地の池や桃等の薬になる植物やその美しさを想像。
能楽の「鷺」では紅葉狩りの帰り、【神泉苑につきにけり】とある。
神泉苑の秋の夕暮れ。
歌舞伎の「鷺娘」とは全く違う筋書き。
まだ聴いたことも見たこともない能楽「鷺」を簡単に抜き出してみた。
【湖水の波の上……鷺のゐる。……あら面白の池水や。】
……………………。……………………。
【あの州崎の鷺をりから面白う候。誰に手もとりて参れと申し候へ】
……………………。……………………。
【彼ハ鳥類飛行の翼、如何ハせんと休らへばよしや何處も天下の下……】
……………………。……………………。
【勅諚ぞや。勅諚ぞと。呼ばはり掛ければこの鷺立ち帰って本に飛び降り。羽を垂れ地に伏せば。抱き取り叡覧に入れ……】
……………………。……………………。
【仰ぐ心も癒しました。御酒を勧めて諸人の。舞楽を奏し面々に。鷺の蔵人召し出され……ともになさるる五位の鷺さも嬉し気に立ち舞うや】
【州崎の鷺乃。羽を垂れて 松も磯なるる。気色かな。】
……………………。……………………。
【……鳥類蓄類も王威の御徳のがれぬ身ぞとて。勅に従ふこの鷺ハ。神妙神妙放せや放せと重ねて宣旨をくだされれば。げに忝き(かやじけなき)宣命を含めて。放せばこの鷺、心嬉しく飛び上りて。行方もそらずぞ。なりにける。】
『続観世流百番集』「鷺」より 写す
見て下さいましてありがとうございました。
お礼申し上げます。
花が咲いていました
七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出ずる萩の花かな
上の歌は、狂言「萩大名」(世阿弥作の狂女物)です。
なかなか褒め言葉が覚えられず、扇を広げながらの 七重八重九重…で悪戦苦闘ですね。
思いだしても、まぁ!おかしい☆
萩の花は秋の七草。
写真は梅の八重です。
スイセンの二月から三月に見かけますね。
スイセンは雪中花とも言うそうです。
水仙の 香やこぼれても 雪の上 加賀千代女(かがのちよじょ)
そういうと越前海岸では毎年二月に越前水仙まつりがあります。(とは言え、道路で幕を見ただけですが。)
イランでは十二月、路上でスイセンの束を売って歩いておられる人を見かけます。
カメラの調子が悪く?以前にもましてぶれぶれ
見苦しく申し訳ありませんm__m
見ていただきまして、ありがとうございました。
とっても嬉しいです。
38; 王朝の歌人 9 『乱世に華あり 藤原定家』 久保田淳著 集英社 1984年
王朝の歌人 9 『乱世に華あり 藤原定家』
久保田淳 著
久保田 淳(くぼた じゅん、1933年6月13日 - )は、中世文学研究・和歌史研究分野の権威といわれる国文学者である。
東京大学文学部名誉教授。白百合女子大学文学部教授。
東京生まれ。
集英社
1984年 10月
256P 1,470円
王朝の歌人 9 『乱世に華あり 藤原定家』を読了。
とりあえず気になるところのほんの一部だけメモしたいと思います。
初め手女性に送った歌 (42)
はじめての人に
かぎりなくまだ見ぬ人のこいしきは昔や深く契りおきけむ
秋の三夕 (57)
小学生の頃、親戚の家に一週間程泊まった時、となりの高校生のお兄さんが教えてくれた。
というか、覚えなさいと言われ、一生懸命分けもわからず覚えた。
偶然とういか不思議というか、その頃のわたしは定家、西行、寂蓮の順で好きだった。
今は…内緒です。
須磨の海人の袖に吹きこす潮風のなるとはすれど手にもたまらず(64-65)
男性歌人も女性を謡うのは当たり前
あぢきなく…も、その一例
江戸時代の音曲「須磨の海辺で潮汲むよりも、主の心は汲みにくい」(長唄「鷺娘)」
近世の演劇で、女形が本当の女以上に女らしさを表現するのと同じ芸術の不思議さ
鷺のゐる池のみぎには松ふりて宮子のほかの心地こそすれ (69)
「鷺のゐる」は後の能の「鷺」では神泉苑の描写
「鳥」「獣」「虫」9和歌ではほとんど見られなかった) (77)
漢文『古今和歌六帖』
大和ことばにラ行で始まる音はない (82)
漢字音を用いて逃げる
漢詩的風韻 仏教的色彩豊かなもの
長すぎるので、ここからあとは省略(*^,^*)
気になることや知らないことが多く、付箋だらけです^^;;
今回も記録のみにて失礼申し上げます。
37; 『種まきもせず』
星野富弘 絵・文
偕成社
2010年5月
95ページ 1575円
中学教師クラブ中に頸椎を痛められ、口で筆を持ち描かれる星野富弘さん。
わたくし個人の 色彩や文体の好ききらい的な感想は、この場合ここでは控えたい。
一般的多くの方々に好まれるの大人向け絵本。
ハンディキャップがあり護符中にお暮らしの方々の希望となられますでしょう星野富弘さん。
ただただ星野富弘さんにはがんばっていただきたいと感じる。
今回は記録のみにて失礼申し上げます。
奈良の中高校生の義援金募集活動
薮用で久しぶりに出かける。
東北地方太平洋沖地震義援金募集の声が響き渡る。
奈良駅では 奈良女子付属中高校の男女が美しい音楽を奏でながら、募金活動をされている。
他にも多くの高校生が活動しておられた。
某寺では 中高校生が十余名、大きな気持ちの良い声で活動されていた。
制服がない事も手伝ってか、寺の法被を着た学園中高校生と お二人の先生方。
東◯◯学園の生徒たちを見て、ここで琴線に触れる。
義援金以外にも、何かせねば……。
2011年 36
『観世流百番集』から 「桜川」「田村」「箙」(えびら)「屋島」「富士太鼓」
『続観世流百番集』から 「梅枝」(うめがえ)
観世左近 著
檜書店
『観世流百番集』『続観世流百番集』
昭和50年4月 5日 第1版発行
昭和50年4月21日 第21版発行
「桜川」作者 世阿弥
「田村」【作者】不詳 (時代から考え、世阿弥とも言われている)
「箙」「八島/屋島」とともに、勝修羅三番のひとつ
春宵一刻価千金(しゅんしょう いっこく あたいせんきん)
『日本国語大辞典』より ▼
(蘇軾の「春夜詩」にある「春宵一刻直千金、花有清香月有陰」から)花は盛りで月はおぼろ、しかも気候の快い春の夜は、そのひとときが千金にあたいするように思われるということ。
*光悦本謡曲・田村
「箙」(えびら)
二番目物。世阿弥作。「箙の梅」の故事に基づく。
生田川を通った旅僧に、梶原景季(かじわらかげすえ)の霊が修羅道の苦しみのさまを見せる。
歌舞伎では『箙の梅』で、梶原景季が小粋。(*^.^*)
秋風に草木の露を払わせて君が通れば関守も無し
えびら‐の‐うめ【箙の梅】とは ▼
1 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季(かじわらかげすえ)が梅の枝を箙に差して戦った故事。
神戸の生田神社に遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となった。
2 梅の一品種。花は淡紅色で大きく、桃の花に似ている。
箙とは
1 矢を入れる武具。矢を差す方立(ほうだて)とよぶ箱と、矢をよせかける端手(はたて)とよぶ枠からなる。
この左右の端手に緒をつけて腰につける。
2 《1に差す矢の数が24本であることから》連句の形式で、二十四節気にかたどったもの。
24句で一巻をなす。二十四節。
「梅枝」と「富士太鼓」は類曲
この二曲には浅間、富士というふたりの楽人の名前が出てくる
見て下さいまして、ありがとうございます。
記録のみにて失礼申し上げます。
「被災者のため相撲を」と、伊藤理事は場所再開に前向きなようす。
被災者に相撲を見せることで社会的責任を果たすべきだ、との見解を示し、
「東北(出身)の力士は多く、避難所のお年寄りが一番楽しみにしているのが相撲」
と話されたと言う。
以前の問題はどうなったのかなといったような なんだか釈然としない気持ちもないではないが、被災地のお年寄りが少しでもお喜びになられるなら やっちゃって下さいませませ。
宮田登ほか複数の民俗学者によると、相撲といえば地鎮祭の意味もあるとの事。
今でも奈良の春日大社 おん祭 後宴祭では相撲が行われる。
ウィキペディアによると、地鎮祭とは
地鎮祭(じちんさい・とこ しずめ の まつり)は、土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式がある。一般には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。
一般には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建築業者・施主の参列の上で執り行う。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ)を立てて祭壇となし、酒・水・米・塩・野菜・魚等の供え物を供える。また、関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もある。祭壇の左右に、緑・黄・赤・白・青の五色絹の幟に榊をつけた「真榊」を立てる場合もある。この五色絹は五行説における天地万物を組成している5つの要素、つまり木・火・土・金・水を表している。
農業における地鎮祭
一般的にその土地の神に対して豊作と農作業の際の事故防止を祈願する。春先は主に豊作と無事故祈願、秋口に行われるのは豊作への感謝(不作においては来年の豊作祈願)と無事故(事故が発生した年は来年の無事故祈願)の感謝を捧げている。一般的に農業関係者等が中心となり行われ、これに関しては宗教的行事というよりも地域の安全祈願も含まれている為に例え「仏教徒」だろうが「キリスト教徒」だろうが宗派関係なく参列するのが一般的であり、例え普段宗教行事に厳しい考えを持つ者もこの行事には関係なく出席している事が多い。会場には町内会館に隣接した社(管理は町内会)や岩にしめ縄を締めた場所等で行われ、その場所には幟が立てられる。
仏教における地鎮祭
仏教では、地鎮法、鎮宅法(じちん、ちんたく・ほう)、安鎮法(あんちんほう、安鎮国家不動法の略)、地天供(じてんく)、あるいは俗に地祭り、地堅めの法などともいう。密教の場合は不動明王を本尊として行う鎮宅不動法という儀式があり、堂宇や仏塔、墓碑を建立する前にその土地を結界して、地天を本尊・中心として諸天の天神や、横死した霊魂なども含めて、それらを供養し鎮霊して、永久に障難が及ばないように修する。
堂宇などの場合、まだ板敷きを敷かずに土壇を鎮める修法を鎮壇法といい、地鎮と鎮壇を個別に修する。なお略式で同時に修する場合もある。壇の中央に五宝や七宝をなどを入れた賢瓶を埋めて、鎮石と呼ばれる平らな石を置き、再建する場合も決して動かさない。八方に輪や橛(くい)、五玉を埋める。
日蓮正宗でも「起工式」という形で行われ、本尊の力で土地を清め、工事の安全を祈願する意味合いがある。敷地中央に祭壇を組み、寺院の常住本尊を掲げて住職の導師により読経・唱題の上、鍬入れの儀式が行われる
地鎮祭 や問答の意味合いのある相撲。
お年寄りの楽しみに加え、ここはひとまず相撲八百長問題などはうっちゃっておくんなさいまし。
相撲は皆目わからないわたくしですが、
一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
時事通信 3月18日(金)23時7分配信より ▼
「被災者のため相撲を」=伊藤理事、場所再開に前向き-大相撲
日本相撲協会の伊藤滋外部理事(早稲田大特命教授)は18日、本場所の再開に向け積極的な意向を明らかにした。この日、報道陣から夏場所開催に関する理事としての考えを問われ、「相撲協会は何らかの形で(東日本大震災の被災者の期待に)応えなければならない。本場所かどうかは分からないが、巡業でも」と述べた。
伊藤理事は私見と前置きした上で、相撲協会は八百長問題を抱えているが、被災者に相撲を見せることで社会的責任を果たすべきだ、との見解を示し、「東北(出身)の力士は多く、避難所のお年寄りが一番楽しみにしているのが相撲」と話した。