「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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交番に行きました…(×_×)

2005-05-21 | ●介護録(~2015.2月)
午後から不穏が続き、あれこれ妄想に振り回され、切れかかりベットで泣き伏している時に、母が出て行く音がした。三度目。
また戻るだろうという思い半分、マズイかもという思い半分……でも追いかける気力喪失。
やられました。1時間経過…これは迷子にか、またタクシーでMへ行ったか。
そして携帯がなる…S交番から。(車で5分程度)

S交番にお世話になるのは初めて。いつものH交番に比べると優しい対応。
引き取りの手続きは同じでも、言い方一つでこんなに気持ちが違うものだと知られされる。

H交番の電話はとても事務的「印鑑を持ってきてください。時間はどのくらいかかりますか」。
また、「あなた、なにやってたの?」とか「まだらボケか。もう顔覚えたからいいけどな」と言われて警察がキライになった。捜索依頼をした時も「Mにいってるかも」という私の話を取り合ってくれなかった。認知症者が一人でそこまでいくはずないと思っていたのだろうか?。

S交番の電話は「じゃ、迎えにきてくれますか」という感じ。そして最後に「気をつけて来てください。お母さんは元気ですから」と付け加えた。
書類に印鑑を押したり、いろいろ聞かれるのは同じだけど、冷たい言葉はなかった。たったこれだけのことだけど、こっちの気分は大きく違う。ここだけしか知らなかったら「おまわりさんは優しいなー」と思うだろうなー。
ただ、いつもどういう経緯で出て行ったのかの説明がムズカシイ。
おそらく「なぜ一人で外に出すのか」ということだろう。でも、私が他人になり同行を拒否されるフクザツな状況は一言では説明出来ない。
「8割がた、自分で帰ってくるし何度も出たり入ったりしていたので様子を見ていたら……」てな話でやめておく。別にこれも嘘ではないし。

さて今回、最後に警察官が「おばーちゃん、娘さんのとこに帰ろう」と言ったとき、母は「おばーちゃんなんてあんまり言われたことない」とちょっと反論を試みた。
その気持ち、私は分かるゾ。
だって、その警察官はどうみても50代。そんな年代の他人に「おばーちゃん」と言われるのはイヤだよね。
春山社長の話ではないが、保育所言葉なのだ。認知症の高齢者だから?
でも、見当識障害はあっても、他のところはそんなにボケてないのよ、うちの母…とお巡りさんに言いたくなったのでした。