「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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物語はあざやかに…

2005-05-29 | ●介護録(~2015.2月)
午後、母が家を出た。すぐに追いかけると、わりと早い段階で気づかれたのだが、その時の反応が
「どこいくの?」だったので、拒否反応がないとわかり、適当なことを答えて一緒に歩いた。
母曰く…
「さっき、M町の友達が近くに来ているって電話が来たの。私はいなかったんだけど、お父さん(故人、私の父、母には旦那のことだ)が出て、言っておくからってことだったんだけど、今、そのひとの家に電話したけど出ないから、入れ違いになったのよ。とにかく捜さなきゃ」
ということらしい。

例えば、この話に私が「電話なんて来たかな?」というような勘違いではないかと指摘するような方向で話をもっていくと、しっかりと、それに対して理屈をつけて別な物語を作る。
「いや、それは○○だったから、××なのよ」という感じで…。
何を言っても途切れることなく、物語はどんどんと作られているのだ。
こっちが、詰まって何も言えなくなるくらいに、早い回転。

もちろん、その物語は時間の経過とともに忘れられまったく別な内容になってるのだけど、常にこんな調子なので、今日初めて聞くはずのニュースだって、母には、昨日聞いた話だし、新しく出来た観光施設だって、この間行ってきた所なのである。

これらはみんな「思いこみ」って症状なんだろうけど、でもね、どうしてそこまで、なんでも聞いたことがあって、行ったことがあって、知ってなきゃならないんだろ??
別に新らしい観光地なんて、私が「いいな、行ってみたいね」って言ったら「そうだね、行きたいね」でいいんじゃない??…分かんないなぁ~