「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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ネットの功罪

2006-04-04 | ▼ユルユル日常
小学生を15階から投げ落とした、あの事件の犯人が書いていたメルマガの内容がニュースで何度も取り上げられていた。

ある番組で出演者が、ネット批判というかブログ批判的な話をしていた。(実際はブログではなくメルマガだったわけだけど)

その方はモノを作りだす仕事をしているから、当然のことながら、世に出した作品について、公にというか、正式にというか、反応やら評価やらが目に見える形で返ってくる。
そういう人から見れば、一方的に流すだけの素人による記事なんて意味がないと思うのかもしれない。
確か「自分で何かを書いても、共感も得られていない」という言葉を使っていた。ちゃんとした評価を得ることもなく、コミュニケーションも取れないから、ブログやっているうちにコミュニケーションの出来ない人間になると言っているように聞こえた。

ネットで事足りる…という現実は、確かに、手紙や電話の頻度を減らして、メールですませるという生活を作っている。
私たち世代は、十分大人になってからネット社会になったけど、子供の時からメールをする世代は、果たしてどうなのかしら?なんて思わないこともない。

でもね~ブログの存在を「自己実現とは言うが、一方的に発信しているだけ」という言葉のみで語るのも、どうかな~と思う。

何にでもプラスとマイナスがあると思うけど、私にとって、はっきりしていることは、ネットやブログがなかったら、「介護」という同じ重さを背負ったみんなと出会えなかったということ。
そして、けして一方的な発信ではないということ。
なにも、作家のように日本中の人に読んでもらって評価をもらおうなんて思ってないんだし。

私、この発言をした方の話に、大抵、反発を覚えるみたいです。
対韓国の話も、WBC時のイチローの話も。