2017/09/16
「買い置きし白川静の著わせる初期万葉を論じたる書をひもとける期待して読み出したるもなかなかに手強くスッと残らないまえがきはなくあとがきに『万葉』するは本願で中国古典は準備だとあまりに寄り道したといいやっと本願万葉に帰りきたれど今日の万葉学の全貌にうかがい知れるは難しくこの著で言えるは試論だとおっしゃるけれど難しいしかしこのまま捨て置くは何にもならず情けなしここは一丁要約をして後のため役立てん1まず始めには人麻呂の位置を尋ねてみたという人麻呂すなわち万葉の全体問うと同義だと2次には各巻冒頭の歌を取り上げ問題に巻頭歌には規範的意味ありそれが内容の改編などもするという3またその次は万葉の前期の歌の本質がなお呪歌的であるという例えば安騎野の冬猟は日並皇子の御霊その現出と受霊する儀式だといい呪歌的と4さらに言えるは叙景歌を取り上げ論ず叙景歌のよき歌人には人麻呂や赤人の歌優れると叙景歌すなわち呪歌なりしわれらが思う自然詠一線画して味わえと5また前期万葉の呪歌性は挽歌において顕著なり挽歌も人麻呂主役にてその様式を完成しその死と共に衰退す6最終章の課題とて万葉たどるその軌跡人麻呂死ねばどうなるか死したあとにも伝承歌なお生き続け人麻呂属す一族はすなわちそれは柿ノ本・依羅神や本宗の丹比の人ら集団をなして歌えるその中で生れるが『人麻呂歌集』だとやがては伝承脱皮して歌の創作する時代むかえるというこれが肝かな()」
2017/09/16
「武蔵野や大きく出たる昼の月(M28)」
「武蔵野は子規にとっては魂が解き放たれる特別な地と()」
「武蔵野や月大空のただ中に(子規)」
「気分とか周りの景で出る月も大きさ変わるそんな気がする()」
「まだあるか月見の団子や野菜など勝手に取るもかまわぬ習い
(『月見泥棒のわけ』)」
「子供等は月の神様の使いだと大事にされる村のありたり
(子供が育たず子孫の絶えた家系があったらしい)」