がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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百十踏揚行脚~勝連グスク/四脚門跡~

2011年02月27日 | ・『百十踏揚』を読ム

「テンペスト」に負けずとも劣らない、
MY fovorite book「百十踏揚」

テンペスト三昧の今日この頃ですが、
久しぶりに「百十踏揚」から、行脚記事を書いてみましょうか。


■勝連城跡/四脚門跡■

「何年ぶりか……」

二度目の京旅は、豪壮絢爛たる寺々、公家館などにも見覚えがあり、
こんどはゆっくりと、それらを眺め渡す心のゆとりもあった。

公家の館や門構えなどを見上げて、

「立派な門だな。こんな門を、勝連にも構えたいものだな」

と、阿麻和利が呟くのへ、
すかさず津堅が、

「帰国したら、勝連城に建てましょうぞ。
このような門を構えれば、勝連城はまた一段と、
見事なものになりましょうぞ」

勝連城内に、大和の公家館の四脚門に似せた、
檜の楼門が建ったのは、それから間もなくであった。

公家館の門は板屋根であったが、
こちらは高麗系の大瓦を乗せ、
門柱や棟は赤と黄の彩色を施した。

これによって、勝連城はまた見違える豪壮な趣を備えた。

 

「百十踏揚 191-」(与並岳生著/新星出版)

天下を揺るがした「梟雄」阿麻和利。

―――これを討ち滅ぼして、鬼大城の武勇は、また一段ととどろき渡った。

勝連凱旋後、鬼大城にはまず戦功として、
勝連城から持ち帰った戦利品の中から、

阿麻和利の「錦緞衣装」と
勝連城の楼門が授けられた。

 

「百十踏揚 569-」(与並岳生著/新星出版)

勝連グスクからは瓦が出土しています。

当時、瓦は非常に高価なものであり、
瓦が出土するのは5箇所のみだそうです。


首里城、

首里城隣の崎山御嶽、

前王都である浦添グスク、

久米村のあった那覇、

そして勝連グスク。

そのことからも当時の勝連が
いかに特別で、力を持っていたのかが分かるのです。

ちなみに勝連グスクから出土した瓦は
グスク下の資料館でも見ることができますよ。

 

そして、
過去記事「その後の大城賢雄」でも書いてますが、

勝連戦後、この四脚門を賜ったのは
大城賢雄なんですねー。

わざわざ門を解体して、首里まで運んだんですね。

勝連グスクの四脚門が、
それほどのものであったということが、想像できますね。

 

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コメント (4)
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名護城公園入口

2011年02月27日 | ・琉球歴史/文化風景

桜もすっかり青々とさわやかな、名護城公園なり。


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