もう1年以上前の訪問になりましたが、
今日は宜野座村にある、
漢那ウェーヌアタイ遺跡をご紹介。
「ウェーヌアタイ」とは
「森」や「墓所」のことなのだそう。
この遺跡のポイントはグスク時代まで遡る
鍛冶屋跡があること!
ここで鍛冶屋集団が鍛冶を営んでいました。
600年前!グスク時代!琉球戦国時代!
各地の按司たちがしのぎを削っていた時代。
戦いに使われた火器や武器は
もしかしたらここで作られていたのかもしれません。
もしかしたら、攀安知や尚巴志も…。
実際の鍛冶場跡は残念ながら見られません。
ここかな?
あのあたりかな?
と想像を膨らませつつ、進みます。
どんどん緑が深くなっていきます…。
奥には漢那ウェーヌアタイ遺跡のもう一つの
重要スポット「風葬墓」があります。
古琉球の時代、
崖下のくぼみなどに葬られていた風葬墓。
こちらもグスク時代、1350年頃・察度の時代(!)のお墓です。
でもスゴイのは、↑にもあるように、
1912年までは墓として使われていた、ということ!
500年以上にも渡って使われ続けていたお墓なのです。
洞窟の中には木製家型墓があり、
調査が行われた結果、
170個体以上の骨や、
遺物が入っていたことが分かっています。
この木製家型墓はなんと、
良好な状態で残されており、
宜野座村立博物館で見ることができます。
(現在この場所にある木製家型墓は復元されたものです)
当時をしのぶ、石積みの囲い。
現在はその周りを更にブロックで囲っています。
ちなみに、鍛冶屋集団とこのお墓の関連性は
よく分かっていないとのことでした。
参/「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓」(宜野座村立博物館)