がじゅまるの樹の下で。

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長寿宮・長寿寺跡

2019年07月20日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

夜の歓楽街として有名な、那覇市松山。

窓のない大きな建物に囲まれた
そんな一角、

 

 


セクシーなお姉さんの幕が掲げられている、
そんな場所のすぐそばにたたずむ、

ひとつの史跡碑。

 

 

「長寿之宮」

 

 

尚金福王の時代、
当時"浮島"だった那覇と本島を繋ぐ海中道路、
いわゆる長虹提の建設計画が上がる。

国相・懐機は
海を埋め立てて道をつくるという難工事は
神仏の力なくしては成し遂げられないとし、

祭壇を設け、
二昼三夜祈ったところ、
水が引き海底が表れた。

いまだ!と人民を総動員して
(そのイメージ写真がこちら

みごと長虹提を作り上げることができた。

懐機は神仏に感謝し、
長寿宮を建てて天照大神を祀った。
また、長寿寺を建てた。

 

参/『球陽』

 

 

実際、この場所は長虹提のそばにあたります

 

当時は神社お寺は二つセットだったので(神仏習合)
長寿宮・長寿寺が同じ場所に建てられた(併設)、
ということですね。

 

銘には「長寿之宮」とあるので
長寿宮(長寿神社)跡なのですが、
同時に長寿寺跡でもあるのです。
(本によってはここを長寿寺跡として紹介しているものも)


また、長寿寺は懐機が私邸を喜捨して造られたとあるので、
まさにここは

懐機のおうち跡

とも言えると思います。

 

なお、長寿寺は明治に廃寺になり、
長寿宮は浮島神社と名前をかえ、色んな経緯をたどって
現在は波上宮に移されています。

戦前までは祠が残っていたそうなので、
今あるこれは、それを元に建てられたものなのでしょう。

 

参/
『沖縄の神社』(加治順人著)
『沖縄は仏教王国だった』(川上正孝著)
『三十六の鷹』(亀島靖著)

『沖縄大百科事典』


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