がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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『THE★SATTO』

2020年01月13日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

このマンガは、実は、むかーしにこのブログで描いたことのある漫画を
キラキラバージョンで描きなおしたもの。

 

1コマ目、
琉球史で存在が証明云々とあるのは
察度が同時代史料(『明実録』)に名前が出てくる最初の琉球人だから。

察度の前の王統、英祖王もだいぶ確実視されているようですが、
「記録」という意味では察度が初です。

 

2コマ目の
明人スタッフの琉球永住願いとは、
「久米三六姓」のこと。

久米村の始まりは、察度から、なんですね。

 

 

 

 

3コマ目の察度が建てた高い塔は、
「高よぞうり高世層理(殿)」といい、
高さが数十メートルもあったといいます。
(『中山世鑑』)


現・首里城京の内から建物の礎石や瓦などが見つかっており、
「高よぞうり」の
跡だとされています。



首里城は尚巴志が遷都して建てたというのが通説ですが、
それ以前から、察度がすでにこの土地を利用してた可能性もあります。

よって「首里城」の始まりがいつなのか、
「首里」に「城」を作ったのは察度なのか尚巴志なのか…。

どちらにせよ、
いわゆる「首里城」になる前から
この地は何かしらの立派な建物や拝所などがある
好エリアだった事が想像できます。



また、察度が高よぞうりでのたまったセリフ(3コマ目)は、
「球陽」を参考にしましたが(「予、此の楼に居る。誰か敢えて害を与へんや」)、
他の歴史書では
「常にこの楼上に居れば、毒蛇などおそれないものを(中山世鑑/諸見友重訳)」
「ここにいれば、ハブも咬みつけないだろう(中山世譜/原田兎雄訳)」
などとハブに言及していて、
球陽と微妙~にニュアンスが違うのが面白いですよね。



なお、このエピソードは察度晩年の頃のものですが、
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガでは
キラキラ超法規的措置として
本と変わらぬ姿でお送りしていますw


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