画像↑の新聞記事の見出しを見て、
「えっ!!??!!!Σ 」
ってなった方、
ご安心ください(笑)、
60年前の話です。
今日は、復帰前、中城グスク(建物)再現の計画があったという話。
中城グスクの再現って、首里城みたいに?
それっていいじゃん♪
と思うでしょ?
その築城プランと言うものがこうです。
●大きな観光資源として、沖縄の観光事業振興に寄与するのがねらいである。
ふむふむ。
●中城公園は自然環境に恵まれ、
完全に残された古城が強みで、観光地としては最適の条件である。
ふむふむ。
●本丸(一の郭)からの展望が特によく、
東海岸、西海岸、慶良間列島、遠くは国頭の連山も良く見える
うん、そうだね。
●…ので、本丸跡に5階建ての中城城を再現して
…ん!?
●屋上には展望台を設ければ更に眺めはよくなり、
本島全体が展望できるので沖縄名物になること間違いなし!
いやいやいやいやいや!!
●(建物の)設計は文化財保護委員会の研究によって
努めて中城城をそのまま再現したい!
5階建ての時点でそれはもう中城城じゃないし(汗)
5階建てって…絶対本土の天守閣を備えた城をイメージしてるよね…。
(記事内の城の写真は"築城ブームで再建された彦根城"と…)
その頃本土では築城ブームだったらしく
この中城城の「再現」計画も
必ずブームを巻き起こすだろう、と
陸運課観光課係職員は賛同していた、とのこと。
この計画を打ち出したのが
高良一氏。
はい、中城高原ホテル(廃墟ホテル)の創立者です。
文化財保護委員会の許可が下りれば
すぐにでも着工したいと自信満々。
計画通り実行するために、最悪の場合は
重要文化財の指定解除もやむなし!
と強硬姿勢だった高良氏。
この件は観光(経済)か、史跡保護か、と
大きな論争が繰り広げられたらしいのですが、
結局、一の郭へのトンデモ中城城の建設はなくなり、
時を移して作られたのが、
あの中城高原ホテル
ということになります。
そして、その後の結末は、皆様ご存知の通りであります。
参/『写真が語る護佐丸の居城―中城城跡とその周辺』(中城村教育委員会/平成16)
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観光と、文化財の保護と、活用と。
何に価値を置くのか、
何が大切なのか、
何が求められているのか、
これからも考えていかないといけない大切な視点です。