塩野七生『ローマ人の物語24・25・26 賢帝の世紀』(新潮文庫、2006年8月)
初の属州出身の皇帝で、ローマの最大版図を確保したトライアヌス、治世の大半を帝国各地の巡行に費やしたハドリアヌス、そして「ピウス」(=慈悲深い人)の称号を得たアントニヌス・ピウスと、この巻では五賢帝のうち真ん中の三人の事績を追っています。
一番印象に残ったのはハドリアヌスの巡行ですね。巡行といっても単なる物見遊山ではなく、その地域ならではの問題を発見してその解決を図るということをひたすらやっており、有名なイギリスのハドリアヌスの長城も彼の巡行の賜物だったといのことです。
私の専門とする西周期の王も3~4箇所の拠点を中心にあっちこっち動き回っていたことが知られていますが、西周の王の政治もあるいは自分の目で各地域の問題を実感し、その解決を図るといったようなものだったのでしょうか。ただ、ハドリアヌスの次のアントニヌス・ピウスは、今度は逆にほとんどローマを離れることがなかったようですが……
初の属州出身の皇帝で、ローマの最大版図を確保したトライアヌス、治世の大半を帝国各地の巡行に費やしたハドリアヌス、そして「ピウス」(=慈悲深い人)の称号を得たアントニヌス・ピウスと、この巻では五賢帝のうち真ん中の三人の事績を追っています。
一番印象に残ったのはハドリアヌスの巡行ですね。巡行といっても単なる物見遊山ではなく、その地域ならではの問題を発見してその解決を図るということをひたすらやっており、有名なイギリスのハドリアヌスの長城も彼の巡行の賜物だったといのことです。
私の専門とする西周期の王も3~4箇所の拠点を中心にあっちこっち動き回っていたことが知られていますが、西周の王の政治もあるいは自分の目で各地域の問題を実感し、その解決を図るといったようなものだったのでしょうか。ただ、ハドリアヌスの次のアントニヌス・ピウスは、今度は逆にほとんどローマを離れることがなかったようですが……