博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ゲド戦記3 さいはての島へ』

2006年09月28日 | 小説
ル・グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記3 さいはての島へ』

ローク学院の大賢人となった壮年のハイタカ(ゲド)のもとに、エンラッドの王子アレンが助けを求めに来た。彼の国では魔法使いが魔法を忘れてしまい、人々が魔法の存在を信じなくなるという現象がおこっていると言う。ハイタカとアレンはその原因を探るべく旅に出るが、この現象はエンラッドのみならず、アースシー世界全体におこっていることがわかり……

というわけでいよいよ映画版のベースとなった三作目です。基本的にハイタカとアレンの二人連れが旅をしているうちにアレンがハイタカの言動や能力に疑問を抱くものの、そのたんびに何らかの事件がおこってアレンがハイタカを疑ったことを恥じ入るという展開が繰り返されます。二人の会話も何だか哲学的で、文章としてじっくり読むならともかく、映像化して面白い作品になるとは到底思えません(^^;)

ラスボスは映画版と同じく「クモ」という魔法使いです。原作ではこの「クモ」が死者を蘇らせたりして宇宙の均衡を崩したことがアースシー世界の異変につながっており、従って「クモ」を倒せば世界の均衡が回復され、異変も収まるということになっています。しかし映画版では世界の異変と「クモ」との関係について何ら説明がなく、元々わかりにくい話が更にわかりにくくなっております……

映画版冒頭で龍が共食いをしていたシーンの意味もようやくわかりました。原作の設定によると、人間の魔法使いだけでなく龍も魔力や知恵を失ってしまい、ほとんど野獣と変わらない存在になってしまったということです。あと、いろんな所で散々語られていることですが、アレンが父親を殺すというのも映画版のオリジナルです。

次の四作目ではいよいよテルーが登場します。映画公開もぼちぼち終わるかというのにいつまでやってんのやと自分でも思いますが、この際ですから最後の6作目まで読み進めていきたいと思います。
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