本多勝一『アラビア遊牧民』(朝日文庫、1981年)
『極限の民族』シリーズの最終作です。
今回は遊牧を生業とするベドウィンのある部族に入り込みます。著者は当初は彼らから手厚い歓待を受け、また宴会の席次を互いに譲り合う姿を見てベドウィンを親切で慎み深い人々だと感心しますが、次第に何だかんだと理由をつけて大金をせびってきたり、また金をふんだくるために平気で嘘をついたり、ミスを犯しても絶対にそれを認めず、逆に相手に責任をなすりつけたりといった、略奪に罪悪感を感じない文化の中で生きてきた彼らの本当の(?)姿を目の当たりにすることになります。
そして著者はアラビアでの体験によって、自分がミスを犯した時にすぐに誤ることが美徳とされるのは日本人や、著者がかつて出会ったカナダ・エスキモーやニューギニアのモニ族などごくごく少数の民族に限られ、世界的にはベドウィン(あるいは彼らを含めたアラブ人)のような考え方や態度を取る民族の方が多数派であることに気付きます。
著者はその理由を、日本人やモニ族などが異民族との接触によって侵略などの悲惨な体験にあまり遭っていないしていないからだろうとしていますが、この辺りは議論の余地がありそうです。
ただ、最近は日本でもベドウィン式の考え方や行動がだんだん広まってきているようですが、これは日本人の感性が国際標準に近づきつつあると喜ぶべきことなのでしょうかか、それとも嘆くべきことなのでしょうか……
『極限の民族』シリーズの最終作です。
今回は遊牧を生業とするベドウィンのある部族に入り込みます。著者は当初は彼らから手厚い歓待を受け、また宴会の席次を互いに譲り合う姿を見てベドウィンを親切で慎み深い人々だと感心しますが、次第に何だかんだと理由をつけて大金をせびってきたり、また金をふんだくるために平気で嘘をついたり、ミスを犯しても絶対にそれを認めず、逆に相手に責任をなすりつけたりといった、略奪に罪悪感を感じない文化の中で生きてきた彼らの本当の(?)姿を目の当たりにすることになります。
そして著者はアラビアでの体験によって、自分がミスを犯した時にすぐに誤ることが美徳とされるのは日本人や、著者がかつて出会ったカナダ・エスキモーやニューギニアのモニ族などごくごく少数の民族に限られ、世界的にはベドウィン(あるいは彼らを含めたアラブ人)のような考え方や態度を取る民族の方が多数派であることに気付きます。
著者はその理由を、日本人やモニ族などが異民族との接触によって侵略などの悲惨な体験にあまり遭っていないしていないからだろうとしていますが、この辺りは議論の余地がありそうです。
ただ、最近は日本でもベドウィン式の考え方や行動がだんだん広まってきているようですが、これは日本人の感性が国際標準に近づきつつあると喜ぶべきことなのでしょうかか、それとも嘆くべきことなのでしょうか……