戦後の拡大造林時代では、山の中に小屋を建て、山の中で泊まり込んで、植栽作業を行うこともありました。
山の中で泊まることを「山泊(さんぱく)」と言い、
師匠が「昔は、山泊して、木を植えたなー」と、当時のお話をいろいろしてくれました。
きっと、今の若い方達には、「昔は、三泊して、木を植えたなー」って、解釈するんだろうなー、とジェネレーションギャップ?を勝手に感じます。
山の中で泊まり込む小屋のことを「造林小屋(ぞうりんごや)」といい、今も各地で造林小屋、またはその残骸が残されていると思います。
師匠は、食事やお風呂などの当番は、交代制だったり、みんなで協力して生活をしていたと言ってました。
時々、買い出しのために下山し、購入した物資を架線で送ったりしていたそうです。
師匠は、写真の造林小屋の近くにある小川の滝壺みたいなところに、アマゴを放ち、養殖していたと言ってました。
ちなみに、写真撮影当時(2016年)では、すぐ手の届く範囲で、アマゴが泳いでました!
たぶん、網がすくえます。そこまで、行くの大変ですけど・・・。
さて、造林小屋の中はこんな感じです。
ここは食事するところかな?
たぶん、寝室?、みんなが集まる場所的な部屋?
アンテナは無線?、もしかしてラジオ?
食事、寝室、風呂もすべて共同です。
ある日、師匠が食事当番で、ご飯を炊いたとき、炊飯器の中にネズミがいて、一緒に炊いてしまったそうです・・・。
それを聞いた作業員さん達は、大笑いしながら、「さぞ、出汁が効いて、うまいやろなー」と言っていたそうです。
衛生的にとんでもない環境ですが、そんな失態を笑って許してくれる環境が、とてもうらやましいと思いました。
造林小屋は、道沿いに残っているものもありますが、やはり、山のど真ん中にある造林小屋が一番好きですね
中に入って、「お宝ないかな~」って、探したくなるかもしれませんが、建物の傷みが激しく、大変危険なので、造林小屋の中には、決して入らないで下さい。
あと、所有権の問題もあるので。
昔の林業は、造林(植栽)のために小屋を作っていたという事実がすごい。
昔の林業は、山村地域を支える重要な産業で、そこから生産された木材が都市を支えていた…と言っても過言ではないと思ってます。
そして、戦後、職にあふれた人や帰国した兵隊の雇用や労働の確保という問題に、林業が一役をかっていたというお話もあります。
伐採の仕事。
伐採後の植栽の仕事。
植栽に必要な苗木を作る仕事。
これらが、戦後を支えた労働の1つだったと。
以前、和歌山県田辺市の元苗木生産者(すでに引退)の方から聞いた話です。
「戦後は、ここに来たら仕事をくれると聞いて訪ねてきた人が、たくさんおったんや。
大阪からわざわざ訪ねてきた人もおったよ。
でも、追い返すわけにもいかんから、仕事を作って与えたり、仕事を紹介したりんや。
中には、妊娠中の妻を、家に置いてきて、単身で来た人もいたし、乳のみ子を抱えた夫婦もきたなー。」
今でこそ、大阪-田辺は特急電車で片道2時間半くらいですが、戦後は大変な道のりだったと思います。
インターネットもスマホもない時代、人の噂を頼りに大阪から和歌山県田辺市まで足を運ぶほど、当時は深刻な状況だったんだなーと思います。
こういう事実は、当時、現場に関わった人達しか知らない事実であり、決して、統計数値などから読み取れる話ではありません。
林業は収穫まで30年、40年、50年という長い時間がかかる産業です。
現場を知るだけでなく、引退した先代や先輩達の話を聞くことも大事だと思います。
今の価値観では、不要とか時代遅れと思われる技術や知識であったとしても、後世に引き継ぐことは重要だと思います。
そこに、問題や課題解決のヒント、技術発展のヒントがあるかもしれません。
もしかすると、今、起こっている問題の中には、過去の積み上げをないがしろにした結果、生まれてたものがあるかもしれませんね。
昔のことを書いているうちに、色々書きたいことが出てきたので、今回は、師匠に連れて行ってもらった現地でのお話を・・・。
下の写真、左側に長方形のような伐採跡地があります。
決して、小規模伐採した跡地ではありません。
当時、奥深い山など、架線を張って、1発で木材を搬出することができないときは、一度、別の場所に木材を搬出し、再び、そこから木材を搬出するという風に2回に分けて木材を搬出したそうです。
今も、やっている現場はあるかと思いますが・・・。
で、二段集材の名残のなる跡地へ行ってみました(って、10年前の話ですが・・・)
見えていた現地は、こんな様子。
集材機がどこにあったかは、分かりませんが、所々に作業の名残が。
燃料缶・・・かな。
これは、今(H28)から10年くらい前の話です。
この現地を見たくて、崖のような道なき道を登りました。
よくこんな所で、伐採したな&植栽したな・・・と思うくらいの急斜面。
当時は20代前半。
行き方は覚えているけど、体力的に、今は、絶対無理
でも、当時の師匠より、今の僕の方が全然若いけど・・・
だから・・・、昔の人たちって、本当にスゴイ
木馬道に続き、森林鉄道について。
森林鉄道は、木材運搬を目的とした林業専用の鉄道で、明治時代~昭和40年代にかけて、林業業界で活躍されていたそうです。
これは、和歌山県の大塔山国有林にある森林鉄道の名残り。
当時、小学校が授業の一環で、森林鉄道に乗って転落し、先生と生徒が犠牲になるという悲劇が起こりました。
そのことを追悼するように、現地では当時のことを書かれた看板などが設置されています。
次に、奈良県の大峰山に残る森林鉄道。
森林鉄道・・・というよりトロッコ道の方が正しいのかな?
下の写真がその車輪。
この森林鉄道?は、完全に山の中で作られたもので、木材を集材機まで運搬するために作られ、動力は人力だったと聞いてます。
木材を積み込んで、ひたすら押したんでしょうね。
当時は、谷を跨ぐために橋まで作っていたようです。
現地には、橋の支柱が残っていました。
で、これが集材機。
この集材機から林道終点まで、直線にして約1400mだったかな?
1000m架線
現地に3.2ミリ(かな?)のワイヤーロープも残ってます。
林道終点から山に登ると、当時の集材機の名残もあります。
これは、資材運搬用だったかな・・・?
大峰山に残る森林鉄道を歩いたことは、僕自身、とても良い経験になりました。
ここまでして木材を搬出する価値が、当時の木材にはあったんだと、実感できたから
僕が生まれてから、木材価格は下がる一方なので、これまで、木材価格の高騰みたいな感覚を実感したことがありません。
しかし、森林鉄道を歩いて、昔の木材の価値、林業という産業の規模という大きさを、初めて、実感・体感できたように思います。
以下、個人的な所感ですが・・・
森林鉄道のような搬出方法は、今の時代に合わないやり方ですが、一方で、今の時代のやり方に変換すれば、逆に生産性の向上やコスト縮減につながる可能性があるかもしれないと思っています。
発想の転換で、昔の技術を現代にアレンジすることは、とても大切だと思います。
そのためには、昔の技術を知らないといけない
とはいえ、僕には、そういった技術の発想力も妄想力も、全然足りていない
ので、いつまでも搬出技術を見て歩くだけでなく、そろそろ、実践しないといけないかな~
今のところ実践している搬出って・・・・「人肩小出」だけ
最後に、森林鉄道は主に国主体で作られたものが多いので、森林鉄道の概要を詳しく知りたい方は、林野庁のHPをご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kouhou/eizou/sinrin_tetsudou.html
余談ですが・・・昔、長野県は、森林鉄道の1駅毎に、営林署があったと聞いたことがあります。
先日、有田川町(旧清水町)で山を歩いていたら、昔の木馬道(きんまみち)に出ました。
真っ直ぐ伸びた針葉樹と木馬道って、個人的に美しく感じるので、歩くのが大好きです。
そして、昔の人が木材を搬出した技術や道づくりの技術に感心しつつ、勉強になるので、とても楽しい。
崩れずに原型が保たれている所がすごいな~と思います。
もちろん、全部が全部、保たれているわけではありませんが・・・。
こんな岩石も人力で砕いたんでしょうね。
すごいな~
ちなみに、「木馬(きんま)って何?」と思われた方へ。
この木馬は、模型ですが、昔はこのようにして、木材を搬出していました。
引いてみてもなかなか動かないし、下り坂は恐ろしいな~と思いますね・・・。
いや~、ホント、昔の山行きさんはスゴイ
ちなみに、木馬を”きうま”って、書いている書籍とかもありますが、たぶん、紀伊半島では”きんま”で統一されていると思います。
というか、”きんま”が正しい
トチノキは高木性落葉広葉樹で、5〜6月頃に開花します。
樹高は20〜30mになり、山を歩いてると、人目につかない場所でひっそりと、直径100cmを超すような巨木が生えてることもあります。
巨木が多いためか、テーブルの天板として売られていることも多いです。
材質的には、広葉樹の中では軽くて軟らかい方なので、主に家具、漆器木地、くり物、彫刻、ベニヤに使われています。
昔は、パルプ用にたくさん伐られたそうですが、直径100〜150cmの物は銘木として扱われ、それ以下はパルプに…という話を聞いたことがあります。
トチノキは北海道(札幌市、小樽市以南)から九州と、広く分布していますが、渓畔林の主要構成樹種の1でもあり、また、民俗的にも深い関係のある樹木でもあるため、植栽されたことも多く、正確な自然分布はわからないようです。
感覚的な話ですが、谷筋に多い。
特に、何かしらの形で水が流れているような谷筋でよく見かけますし、谷の名前に「栃」とついてる谷は落石や崩土などの形跡が多い…気がします。
なので、トチノキが生えてるような谷に林道や作業道を通すと、崩壊するリスクが高い…と勝手に思ってます。
でも、実際、崩れてるところがあるので、あながち間違いではないと思っていますが。
話は変わって、トチノキの花は両性花。
長く突き出たものが雌しべ。
先にオレンジ色のものがついてるのが雄しべ。
雌しべは自分の雄しべの花粉が付かないように長く突き出してます。
あと、トチノキは、優秀な蜜源植物の1つですね。
この花が、あんな丸い実になるんだから不思議~。
果実は朔果(さくか)といい、10月頃に熟し、栃もちの原料として使われます。
アクが凄いので、灰汁抜きが大変です。
でも野生動物は、灰汁抜きせず食べるからすごいわ…
ちなみにトチノキの種子はどこから根と芽を出すのか?
答えは…
・・・・
・・・・
ココ!
無事、マイホームは完成したんですが・・・
実は、家族みんなで食事を囲む「食卓」が、この家にはありません
木材にこだわった家なんだから、食卓もこだわりたい
ということで、ミズメの一枚板を買って、自分で作ることにしました
で、今日は、その1枚板を引き取りに。
本当はヤマザクラが欲しかったんだけど、手に入らなかったので、ミズメに。
個人的には、ミズメも美しいので、好きなんですけど、知名度的にはヤマザクラの方が高い。
ミズメって、聞いてもどんな木か、イメージできる人少ないと思うし、イメージできる人なら「サロンパス」って言うからな~
でも、美しいからいいけど。
長さ310cm、幅65~70cm、厚さ7cmが1枚。
長さ310cm、幅55~60」cm、厚さ5cmが1枚。
合計2枚で、108,000円(税込み)。
値段はこちらからの言い値。
先方も、いくらにしたらいいのか、よく分からなかったようなので。
そもそも、これで安いのか高いのか、よく分かりませんが・・・。
製材所で積み込むときは、フォークリフト使ったけど、家に着いてからが大変やった・・・
重た過ぎて、おろすの大変やった・・・・。
あとは、天板の長さ180cmくらいに切って、切り端の残りで脚を作る。
問題は・・・手持ちの道具で、無事、完成できるかな~?
今日は、和歌山県と環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠB類」に指定される希少な植物「コウヤシロカネソウ」を見に行って来ました。
案内していただいた方のお話によると、4~5年前に来た時よりも数は減少しているとのこと。
すぐそばにスギの人工林があって、そこが間伐されたことで光が当たるようになり、以前よりも乾燥が進んだため、数が減少した可能性が考えられます。
間伐は大事ですが、希少種に悪影響を与えるということも考える必要があるかと思います。
そのためには、希少種の存在を知らないといけないわけですが・・・。
希少植物が絶滅に追いやられる原因の1つとして「盗掘」が挙げられます。
この盗掘を防ぐため、生育場所などの情報は学術的な関係者に限られていますし、あまりオープンされていないことが多いです。
しかし、学術的な関係者の高齢化や減少が進んでいます(こういう分野でも高齢化と減少が問題になってます・・・)。
これからは、希少植物の情報を共有し、地域を含めた管理体制を整えていく必要もあると思います。
「言うは易し」ですが、管理体制とか、そんな堅苦しいものではなく、企業などが取り組む保全活動(CSR活動)と結びつけてもいいですし、観光資源として管理してもいいと思います。
たかが植物ですが、ストーリー性を生み出せば、1つの取り組みにもなるな~と、いつも妄想している所。
そして、こういう希少種に配慮した森づくりや林業経営を行っている山から木材を生産しています・・・みたいな営業もアリやと思うんですが。
FSCなどとは異なった見える形でのPRにも使えるんじゃないかと・・・
それにしても、こんなに小さくひっそりと咲く姿。心が和みます。
あと、こんな植物も
クジャクシダ。
タニギキョウ。これは普通種。
イワタバコ。天ぷらにすると美味しい。
ウワバミソウ。実は、自生種は初めて見た。これも山菜。
ミヤマスミレ(たぶん)。