子どもを抱いた母親とその夫が、優先席に座った。
すぐに子どもが泣き出す。
座るのが嫌だったのだろう。
しばらくあやしていたが泣き止まず、
仕方なく母親が再び席を立った。
その直後、怒声が聞こえてきた。
「今、うるせえって言っただろ?」
夫が優先席の端に座っていた老人を怒鳴りつけていた。
「赤ん坊が泣いてうるせーって言ってただろ」
「言ってないよ」
「そういう目で俺を見てただろ!
お前も泣かせてやろうかっ!」
恫喝する夫の腕を、「止めないよ」と妻が引く。
するといつの間か泣き止んだ子どもが言った。
「なんで怒ってるの?」
「お前が泣くからだろ」
一連の光景を見て、夫にも老人にも思うことはあるが、
一番怖かったのは子どもの様子だ。
なぜ、平然としている?
父親があんな大声で突然怒鳴りだしたら、
普通、自分が叱られているわけではなくても、
もう少し動揺するはずだ。しかしその様子はまるでない。
なぜか?
おそらく見慣れているのだ、父親が怒鳴る姿に。
「なんで怒ってるの?」
そう考えると、
無邪気な子どもの姿が、だんだん怖くなってきたのだ。