帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

沖縄帰還

2018-02-05 15:10:00 | 沖縄ねた
ひっそりと。

もう読者もいないとは思うが、ちょっと仕事ができたので沖縄へ。

このところ続く東京の異常な寒さに弱り果てて(なにしろ14年間の生活で身体が沖縄仕様に順応して)いたので、那覇空港に着いたときのムワっとくる南国の空気感を期待していたんだけど。

あれ? なんだか結構寒いぞ。
モコモコのダウンジャケットをそそくさとトランクから引っ張り出して着る。

あれ? こうなるとちょっと暑い。
まったくもう調子が狂うな。


               ただいま戻りました~


汗を拭き拭き浦添に住むジジババの家へ行ったらば。

ジジは

「インフルエンザで高熱が出て、ボーっとしてたらアクセルとブレーキを踏み間違えてブロック塀に衝突してエアバックが膨らんで救急車で運ばれた」
「でも事故った車をレンタカー屋が当日に新車と交換してくれて、これがまたオートドアでラクチンだよ!」

ババは

「膝が痛いから人工の関節を入れたいの。でも入院は嫌だから日帰りで帰れないかしら」

などと、それぞれが猿のような言動をするものだから、せっかくの沖縄再上陸日から頭がクラクラする。

それにしても一度事故った危ない高齢者にさらにグレードの高い新車を貸すなんて、どうなってんだ沖縄は。

でも、、そこがいいんだよな。 
この瞬間が、なんとも沖縄的だ。とちょっと懐かしく思った。


気を取り直し、岡星宅へ。

奥さんの焼く絶品餃子をつまみにオリオンビールを飲み、息子の学生生活の活躍を聴きながら泡盛の杯を重ねていると、ようやく身体のチューニングが合ってきた。


サクサクと仕事を済ませ、帰りの空港ラウンジで新聞を読んだら、昨日の名護市長選挙で基地移設反対候補が惨敗していて、社説で

この選挙結果は民主主義の敗退だ!

と、わけわかんないことを言っており、

あ、この瞬間もまた沖縄(タイムス)だな。と思った。




小禄の馴染みの酒屋で300円で天国へ行ける液体を購入す








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橋頭保任務終了

2017-03-10 09:12:00 | 沖縄ねた

このところ沖縄は陽気がいいので、錆び灰皿に植えた100均多肉植物たちがいい気になっている。
こないだまでひょろひょろと徒長しておったのに、植物というものは環境が良いとあっという間に育つ。


さて、沖縄の事業の譲渡が無事に完了し、よしざるはこの地を離れることになった。

12年間が、これまたあっという間に過ぎてしまった。


ほぼ同時期に移住した岡星の息子も俺の身長をとうに超え、連れてきたスタッフYとKはともにりっぱな3児の母になり、沖縄の姓を名のっている。

橋頭保として着任したが、もはや防人というべきだったか。

スタッフたちと最後の打ち上げをし、満を持して記憶をなくし、ああ、そういえば沖縄に赴任したばかりの2004年8月もそうやって置き引きに遭い、全財産を失ったっけ。

などとくだらないことばかり駄書いてきた沖縄特派員報告もこれにて終了である。

月日は百代の過客であり、俺もあちらこちらを漂泊することになるであろう。

三里に灸をすえ、まずはバンコクにでも行くか。


それではみなさんまた逢う日まで、さようなら、さようなら。













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フィリピンと沖縄のつながり

2017-02-15 15:28:00 | 沖縄ねた


どう読んでもいいんだと。

シーは「酸っぱい」 クワシは「食いもん」という意味。

フィリピンではカラマンシーというそっくりさんが流通してます。
シクワサーよりちょっと酸味が弱いかな。





スクガラスも瓶の裏を見るとフィリピン産って書いてあるものが多いので気をつけて。

むこうではスクガラスを潰して「バゴーン」という調味料にします。

なにが違うっていわれても、ちょと違うとしか言えないレベルですが、フィリピンのは少し臭いがきついのですよ。

あと、海ぶどうもフィリピン産のものを養殖している業者さんが多いらしいです。

まあ、どれもこれがなきゃ死んでしまう、というものでもないので大勢に影響はありませんが、フィリピンと沖縄はけっこう似ているところが多いですね。

他には

フィリピンではA1ソースでステーキを食べますし、ちんすこうもお菓子で食べます。
家の上に給水タンクがあるところもそっくり。

南沙織もフィリピンのハーフだったような。

あー、豚の丸焼き食べたくなってきた。。












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沖縄的光景

2017-02-05 16:26:00 | 沖縄ねた
浦添市議の選挙が始まった。

沖縄的選挙ポスターの特徴はカタカナ表記の候補者が多いこと。



もう、見慣れてしまって違和感はないが、漢字フルネームが一人しかいない。

なぜこうなったのかしら。

答えはここにあった

wikipediaの手の届かないところにある、レファ協。ありがたや。
でも、答え方がsiriみたいなロボ調は、怖いからやめて。

選挙カーは相変わらず爆音で替え歌を流している。
PPAPのずばりそのものをかけている車などもあって、JASRACはピアノ教室なんかよりもこっちを相手にしてほしいものだが、沖縄は公職選挙法の特区なので手が出せないのかしら。



畑ではさとうきびの刈取りが始まった。




道路に落ちたおこぼれをちゅーちゅー吸って、ほんのりとした甘みを楽しみながら歩いていたら、向こうからきた女子中学生が「こんにちは!」と大きな声で言った。






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那覇 1950年代の8ミリ

2017-01-26 23:28:00 | 沖縄ねた
ここ数日、身体のチューニングがおかしい。

こういうときは、カレーを食べてデトックスするとバッチリなんです。

カレー粉はないけど、冷蔵庫の上にこんなんあってな。




原材料をみたところ、赤唐・グローブ・ローレル・タイム・ナツメグ・カルダモン・etc・・・

まあ、カレー粉とほとんど変わらので久々にとろみのないスープカレーいってみよう、具材と塩と一緒にスティック状の粉を3本ばかりぶち込んで味見をしたところ、まったく美味くない。

追加でもう3本いれたけど全然ダメ。
色がドブ。 味も辛いだけでぼんやり。 なぜだ。。。

答えは、たぶんターメリックが入ってなかったから。

なので、ウコンの錠剤を砕いていれてみたけど、こんどは苦くて食べられない。
カレーごときで失敗するなんて。(20年ぶり・2回目)

もう泣きながら飲みましたよ。
おかげさまで今日は体調、絶好調です。。



さて、先程You Tubeで1950年代の沖縄の動画(カラー!)を見つけたのでUPしておくよ。

50年代のはほんとに珍しい、国際通り周辺の映像です。

沖縄のスーパーマーケットの筆頭「サンエー」の創業者もこの時代、ここらへんでリヤカー引いて行商していたというから、もしかしたら写っているかもね。





良い記録ですわぁ。
それにしてもこの時代にカラー8ミリとは、どんだけ金持ちだったのでしょうか。








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