「こんにちは どちらまで?」
「ハイ ちょっとそこまで」
「それはそれはご苦労さまです お気をつけて」
日常の挨拶であって、どこにも違和感を覚えることはないが
よくよく考えてみると おかしな挨拶である。
「ちょっと そまで」とは いったいどこのことだろうか?
もしかしてこれから泥棒をしにいくのかもしれない。
あるいは密会へ急いでいるのかもしれない。
たしかなことは何も分りはしないのに
それを「ご苦労さまです」とは おかしな話ではないか。
しかしこの曖昧な挨拶によって私たちは
普段のコミニュケーションがしっかりとれているのである。
「日本ニッポン」が正しいのか「日本ニホン」が正しいのか
母国の呼び方さえ曖昧で 自分がニッポン人なのか
ニホン人なのかはっきりしない。
このような民族が他にいるだろうか・・・・
「善処します」 「そこのところをなんとか」
いつか誰かに「ショウ・ザ・フラッグ!」右か左かはっきりせい!
と責められて返答に困惑した日本だが
日本はもともと曖昧な玉虫色を美徳としてきた。
否! と拒絶して相手を傷つけてしまうことを好まない
深い情緒と配慮を持ち合わせている。
モナリザの魅力は あのミステリアスな微笑であって
それは日本人に通じる曖昧さなのである。
春夏秋冬の微妙な季感の中でつちかわれた私たちの文化。
谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」などは曖昧の極め付きではないだろうか。
もっと自信を持って曖昧さを貫こう!
如月の日は淡々と豆腐売り やす