心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

5月のスケジュール(オンライン有り・対面有り)

2022-05-17 00:34:42 | 教室のスケジュール・場所

5月・・

季節はいよいよ夏に!

 

暑さ本番前には

じめじめした梅雨もあります。

 

気功を取り入れて

元気に過ごしていただきたいと思います!

 

 

 

どこでもお待ちしております!

 

 

 

ーー ピックアップ ーー

 

新・養生気功・90分単発クラス!!

6/30(木)13:30~15:00
テーマ:仙人長寿功のススメ

【参加費】3000円

【募集人数】12名

【品川・大井町の会場】

お申込
https://www.kokuchpro.com/event/yojo10/

 

 

 

** 5月の予定 **

 

品川・漢方スクールさま

「養生気功」

5月は「震動臥功」
じっくりポイントとコツをやります!

6月は「気功の梅雨対策」!!

 

05月 震動臥功

5/1(日)10:30~12:00

5/27(金)13:30~15:00
満席(キャンセル待ち)

06月 気功の梅雨対策

6/5(日)10:30~12:00
6/10(金)13:30~15:00

 

お申込は以下まで

5月の養生気功

6月の養生気功
*6月分受付開始!

 

<お知らせ>

漢方スクールの「養生気功」
スクール移転に伴い
6月までとなります

それに代わるクラスを
月に一度
平日に開催予定!


第1回目

6月30日(木)
13:30~15:00

【参加費】3000円
【募集人数】12名
【品川・大井町の会場】
*和室のお部屋です*

テーマ:仙人長寿功のススメ

 

第2回目

7月15日(金)
10:00~11:30
*会場の都合で午前中になりました

【参加費】3000円
【募集人数】12名
【品川・大井町の会場】
*和室のお部屋です*

テーマ:睡眠の質を高める


お申込
https://www.kokuchpro.com/event/yojo10/

 

参考ブログ
養生気功・90分単発クラス!!

*満席の場合
薬師寺東京別院にもぜひ!

 

 

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養生気功塾 基礎クラス

大井町で「養生気功」

会場 大井町駅から徒歩圏内の会場
各1時間の練功(仙人長寿功・養生アドバイスなど)

5月25日(水)9:15~10:15と10:40~11:40(第2会議室)

6月8日(水)9:15~10:15と10:40~11:40(第2会議室)

6月22日(水)9:15~10:15と10:40~11:40(第*会議室)

7月6日(水)9:15~10:15と10:40~11:40(第5会議室)
7月は第1週です

7月**日(水)9:15~10:15と10:40~11:40(第*会議室)

*都合で変更になることもございます

参加費
月謝会員 3,000円/月(2回参加可)
体験参加 2,000円/回

お申し込み・お問い合わせ
メール:yojokikou@mail.goo.ne.jp

 

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五反田・薬師寺東京別院さまの

「こころとからだの気功」

2022年はすべて週末開催!

06/04(土)11:00~12:00
満席(キャンセル待ち)


07/02(土)11:00~12:00
08/06(土)11:00~12:00
09/03(土)11:00~12:00
10/08(土)11:00~12:00
11/05(土)11:00~12:00
12/03(土)11:00~12:00

*都合で中止になることもございます
ご了承ください。


会場は、薬師寺東京別院さま

東京都品川区東五反田5丁目15番17号

三階の和室が会場になります!


参加費:2000円(当日払い)

参加申込はメールでお願いします。
yojokikou@mail.goo.ne.jp

 

 

 

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オンラインクラス

 

「節目の開運気功」
二十四節気の朝を気功で迎える

夏の節気

立夏5月5日 小満5月21日
芒種6月6日 夏至6月21日
小暑7月7日 大暑7月23日

各6:20~7:00(早朝開催)

 

 

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「仙人長寿功エッセンス」

開催日(各水曜日)
5/11、5/25、6/15、
6/29、7/13、7/27、8/10、8/31
各6:00~6:50(早朝開催)

 

仙人長寿功ステップ2」

開催日(各火曜日)
5/10、5/24、6/14、
6/28、7/12、7/26、8/09、8/30
各6:00~7:00(早朝開催)

 

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気功師養成クラスも有ります

 

ーーーーー

 

 

どこでもお待ちしております!

初心者の方大歓迎!

 


「自分に向き合うこと、はじめませんか?」

 

 

 

 


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イタリアで気功を…

2022-05-16 04:28:00 | 感謝♪

2年半前にはじめて気功を学びに来てくださって

その後…

オンライン授業と

日々の実践を積んでもらって

がんばってくださった方がいます!

 

 

今回、

来日して

集中授業を受けていただき

晴れて

養生気功塾公認の

気功指導者になってくれました!!

 

イタリアからの生徒さん!

 

おめでとうございます!!

 

これからのご活躍を楽しみにしています!

 

 

 

 

 


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気功6000年の歴史 その3(06~08)

2022-05-14 03:14:40 | 気功の話

気功の歴史

津村喬さんの整理された内容を

ご紹介

その3

 

 

十項目でわかる気功の6000年の歴史

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
03 丹田・命門等が発見とされ五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  随  
06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
08 劉貴珍北戴河療養院、陳濤上海気功研究所が現代気功の始まりになった  中国建国後
09 民間の気功が大流行になり、法輪功ではじけた。  2000年まで
10 健身気功が国の気功として作られた。  2004年以降

 

参考までに
気功6000年の歴史 その1(01~02)

気功6000年の歴史 その2(03~05)


ーーーーーー

 

 

06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
 この時期は中医学全体の発展が非常に迅速であり、学術の空気が盛んで、理論上の飛躍も多々あった。臨床上の成果も気功に影響した。印刷技術の革新があり、気功の専門書や道藏などの関連書がどんどん印刷された。内丹術は発展してひとつの流派を形成し、また新しい価値ある功法もさまざまに提唱された。
宋金元の医師たちの気功への貢献
 金元四代家と言われるのは「主寒涼派」「攻下派」「補土派」「慈引派」である。
 「主寒涼派」の劉完素は六字訣の体得について深い体得をして『素問玄機原病式』などの書で「吹は腎の寒を取り除いて熱を生ずる。呵は心火を取り去って寒を生ずる」などの仕組みを解明している。
「攻下派」の代表である張従正は『儒門事親』のなかで導引按摩と五禽戯について論じている。
「補土派」の代表李杲[りこう]は脾胃の調理を最も重視した。服薬と同時に静坐による養気を提唱した。「夜半にしばらく収心静坐することで元気を発生させる」と言っている。
「慈引派」の朱震亨は「陽は常に余り、陰は常に不足する」と唱え、病気を治すには陰を養う事が大事と、薬物とともに気功による内観養神を説き、症状に応じて導引も用いた。
 宋代には医学書の編纂、執筆、印刷が非常に重視された。『諸病源候論』『千金要方』『金櫃要略』なども印刷されて広く読まれるようになった。1117年『聖済総録』全書200巻が出された。皇帝の命令で医官に収集編纂をさせたのである。それは道家の修練を集大成し、神仙導引、神仙服気、神仙煉丹などを内容としていた。具体的な導引服気の方法もあり、断食や食餌療法のこともあった。
内丹術の盛行
 内丹術は唐代の発展の基礎の上に、宋金元の時期には一大気功流派を形成した。南方の張伯端、北方の王哲などの内丹を実践し著述する人びとが現れた。張伯端は北宋の学者で1075年に『悟真篇』を書いた。全体が内丹修練を論じたものである。詩の形をとって儒仏道が一つに統合された思想を説き、とくに内丹術について詳しくやり方を書いた。内丹の経典的な書物としては『周易参同契』と並び称されたのがこの『悟真篇』である。王哲[重陽]は北方の内丹術を代表し、『重陽全真集』『重陽立教十五論』『重陽教化集』などを書いた。
 南北ふたつの流派の違いは同じ内丹功法でも性[人格陶冶]から入るか、命[健康作り]から入るかにあった。南宗は主として命功を重視して「先命後性」を主張した。それに対して北宗は上丹田の元神から入手して「先性後命」を唱えた。元代には両者を結びつけて「性命双修」の考えが強調されるようになった。
気功法の発展
 六字訣の応用はこの時期発展し、覚えやすい歌の形で普及されもした。元代の『修真十書・雑著捷経』の中に「袪病延寿六字法」などがあるのがその例である。
 宋代に出現した八段錦は、覚えやすく簡単で運動量も大きくないし、治療効果もいいので、大衆的に広がった。その中で南北両派に分かれた。北派は岳飛に名前を托して、わりと難しい、剛を主として馬歩を多用するもので、武八段とよばれ、あまり広く普及しなかった。南派は粱世昌が伝えたもので、やわらかく、やさしく、文八段とよばれた。文八段は立式のものと坐式のものがある。

 

 

07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
1    明清の医師たちの気功発展への貢献
(1)気功理論の方面では
 明清の時期、気功理論は従来の基礎の上に新しい発展をとげた。
 明代の傑出した医学者に李時珍がいた。彼は自分の鍛錬の体験をもとに積極的に気功鍛錬を提唱した。彼は特に気功と経絡の関係の問題に多くの貴重な見解をもたらした。その内容は『奇経八脈考』に集中的に反映されているが、『本草綱目』のあちこちにも見られる。李時珍は奇経八脈の人体における重要性を非常に重視した。かれは「内景隧道、惟返観者能察之」(体内の気の動く道はただ深く瞑想して自分の中に入った人だけが見ることが出来る)という名言を残したが、それは実際に体験した人にしか言えないことばである。
 明代の著名な鍼灸家楊継洲は『鍼灸大成』を著して、それまでの鍼灸学説の全面的な総括と、自己の鍼灸実践を結びつけた。とくに任脈督脈からしていく大切さを説き「久しく之を行なうとツボは自ら開き、経絡は疎通し、どんな病気も起らない」と言った。この時代、とくに命門学説に発展が見られた。
(2)気功養生学の発展
 16世紀の龔廷賢は養生の道を重視し、その代表作である『寿世保元』の中で「内を養う者は、臓腑を滞り無くし、血脈を順調にし、全身の気の流れを調和させることが出来、病気になることがない」と書いている。万全は『養生四要』で静坐を詳しく論じ、胎息、静功について詳しく述べている。
 明代の医師たちは唾液を飲む気功の重要性について繰り返し書いている。李時珍は唾液を飲むことで「臓腑を灌漑し、肢体を潤沢にする」といい、張景岳は「久しく之を行なうと下丹田が討ち固められる」といい、程国彭は咽津法は「陰虚を治す無上の妙法」と言っている。
(3)気功治療学の発展
 導引によって病気を治すことが重視され、『普済方』では数百の導引処方がされている。用いている功法は『諸病源候論』が主だが、『備急千金要方』『聖済総録』なども使っている。16紀中葉の徐春莆は『古今医統大全』100巻の中で中風、風痺、咳、消渇などについての静功と動功を提案している。李梃の『医学入門』は気功功法を動功、静功のふたつに分けて,必ず動静結合でないといけないと書いている。
 沈金鱉(1717-1776)は『雑病源流犀燭』で知られている。とほうもない博識で著作も多く、古代の気功もよく研究している。雑病は外患内傷いつさいのことで、それを六部門に分けて詳述し、薬と導引・運動による治療法をつけている。
(4)練功の副作用と偏差についての研究
 明清の時期には、気功は遣り過ぎたり間違ったやり方をすると偏差が生ずることが研究され始めた。李梃は「丹田に運気が過ぎると尿に血が出る。肝臓に気を集めていると腹脹となる。六字訣は中虚者、有汗者にはよくない。八段錦は気血をよく運動させるが、中虚有火の者は向かない」などと論じている。
2 内丹術の発展
 伝統内丹術は明代に成熟して、功法も次第に決まったパターンが出来て来た。その代表的な人物と著作は張三丰の『玄機直講』『道言浅近』『玄要篇』『注百字碑』、尹真人『性命佳旨』、陸西星の『玄肤論』、『金丹就正篇』などである。
3 功理功法面の学術的達成
 明清の時期、少なくない功法を主要内容とする著作が出てきた。明初の冷謙の『修齢要旨』には六字訣、長生一十六訣、十六段錦、八段錦、導引袪病歌訣などの功法が集録されている。1506年に本になった『保生心鑑』の中には二十四節気に合わせた功法が収められている。周履靖の『赤風髄』には華山睡功十二図、古仙人導引図などがイラストとともに紹介されている。徐文弼の『寿世伝真』には数多くの功法が紹介されている。明代に作られた功法で最も有名なのは易筋経である。
4 武術気功の発展
 武術の中でもとくに内家拳は気功と切り離して考えられない。站椿、導引、行気などは常に武術の基礎功夫とされてきた。易筋経も八段錦ももとは武術の鍛錬過程で作られたものである。太極拳の創始者である陳王廷が『黄庭経』をずっと枕から離さなかったのは有名な話だ。刑意拳の十二形拳は古代の五禽戯を全面的に継承したものである。
5 その他の達成
 明代の有名な僧の一人である憨山は禅宗と華厳宗の融合と、仏教道教儒教の一致を説いた。禅家の悟りと気功の静、定を結びつけてとても分かりやすく説明した。
 明代には『道藏』が編集出版されたが、これによって古代の気功を研究するための大量の文献が提供された。これを本当に全巻読破して整理し、「仙学」を作ったのは陳攖寧になってからである。

 

 

08 引き裂かれた周恩来
 中国共産党をリードして来たボロディンのコミンテルン路線と、中国伝統の孫文の路線とがあって、建国当初はボロディンの「自由連邦制」が中国共産党の中では圧倒的に強かった。「連合政府論」はそれを反映していた。これをひっくり返したのが、周恩来ら新たな国家官僚だった、らしい。1949年の中国人民政治協商会議共同綱領では「各民族がしたしく合作する大家庭にする」とされ、54年9月に公布された中華人民共和国憲法では「我が国の各民族は団結して、一つの自由で平等な民族大家庭となった」
 政治協商会議では多くの代議員がソ連に見習って連邦共和国を作るべきだと主張したが、周恩来がそれを斥けた。
 「国家制度については、われわれの国家は多民族連邦制を採用するか否かの問題が存在する。いかなる民族もすべて自決権を有している。これには少しも疑問の余地はない。しかし帝国主義者は今、われわれのチベット、台湾、さらに新疆までも分裂させようと狙っている。こうした情況にあるから、各民族は帝国主義者の挑発に耳を貸さないように希望する。このことから、わが国家の名称を中華人民共和国とし、連邦とはしないのである」
 チベット、モンゴル、ウィグルについては当時既に強い独立要求があったが、それは無視された。朝鮮族についても白頭山の北や遼東半島の朝鮮人居住地区が朝鮮領と認められればその後の朝鮮人の苦悩を多少はへらすことが出来たはずだが、それも問題にならなかった。
 1949年の少数民族自決権について第二野戦軍に送った指示はこの問題でよく知られた文献だ。
 「今日に至っては各少数民族に関する「自決権」問題を再び強調するようなことがあってはいけない。過去の内戦期では、わが党は少数民族を取込むために、国民党の反動統治に反対し、この自治権容認というスローガンを強調したことがあった。当時としては完全に正しい政策であった。しかし現在では情況が根本的に変化した」
 こういう態度もひとつの現実だった。しかし当の周恩来が同じ時期、苦悩に満ちた談話をだしている。
 「わが国の歴史では,各民族の矛盾はとても大きかった。漢族は少数民族との関係において、少数民族にすまないことをしてきた。今後はわが漢族同志はそれを代わって受け止め、彼らに謝罪しなければならない。今日の中国は、過去の中国は、過去の中国とは違って、二度と少数民族を圧迫することはないと説明しなければならない。一度ではすまず、何度も説明しなければならない。ひとびとは最後にはあなたの話が本物であるということを理解してくれるだろう」
 周恩来は本気でそう思っていたに違いない。だが、チベット、ウイグル、モンゴル、などの無惨な弾圧は続いた。

 

 

 


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気功6000年の歴史 その2(03~05)

2022-05-14 03:13:15 | 気功の話

気功の歴史

津村喬さんの整理された内容を

ご紹介

その2

 

 

十項目でわかる気功の6000年の歴史

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
03 丹田・命門等が発見とされ五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  随  
06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
08 劉貴珍北戴河療養院、陳濤上海気功研究所が現代気功の始まりになった  中国建国後
09 民間の気功が大流行になり、法輪功ではじけた。  2000年まで
10 健身気功が国の気功として作られた。  2004年以降

 

参考までに

気功6000年の歴史 その1(01~02)


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03 丹田・命門等が発見され五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
 張仲景と華佗に代表される漢代の医科たちは気功の応用の範疇を大きくひろげた。
 張仲景は『金櫃要略』の中で気功による治療のメカニズムを詳しく説明した。その中で「丹田」「命門」などの重要概念の基礎が据えられた。
 華佗は「流れる水は腐らない。戸の枢(くるる)は虫がつかない」という思想で動功の大切さを説き、五禽戯を作り上げた。弟子の呉普はこれを実践して90歳を超しても耳目聡明で歯もすべて元気だった。惜しいことにそのままの形は失われ、後生さまざまな流派が華佗のやりかたを想像して五禽戯を起こした。
 馬王堆の墓から出た「導引図」「却谷食気篇」「養生方」などは当時の気功の発展状況を繁栄している。導引図の色の付いた布に書かれた44人の男女が体操をしているイラストが残されている。「却谷食気篇」の食気は呼吸法のことで季節に合わせた呼吸法や養生の知恵を書いている。「養生方」は気功養生の原則と方法を論じている。
 東漢の初年にインドから中国に仏教が入ってきて、気功にも大きな影響を与えた。仏教もまた気功から大きな影響を受けた。禅定を論じた『安般意守経』はさまざまなお経の中でも古代の気功ともっとも密接な関係がある。サンスクリットのアンナパンナの訳で「呼吸の出入りを念ずる」意味である。
 道教の系統では『太平経』『周易参同契』という二冊の大切な本が現れた。
 『太平経』は原始道教の経典で守一法とよばれる静功と五種の顔色を観察する方法などを説いた。
 『周易参同契』は魏伯陽が書いたもので仙学の分野を統括したものであり、『周易』を説明の道具として煉丹の過程を詳しく書いた。「万古丹之王」と呼ばれて内丹術の始まりとなったが、比喩・韜晦が多くて読むのは困難を極めるので、のちにたくさんの注釈書が出された。老子の読み方として最も有名な『老子河上公章句』もこの時期に書かれている。『淮南子』は西漢淮南王劉安が食客を集めて編集したもので古代の養生しそうも反映されている。ここには五禽戯と違う動物模倣が伝えられている。

 

 

04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
 魏晋南北朝とまとめて言われる時代。曹操と息子たちは気功の愛好者で大いに気功を広めた。曹操は華佗を幽閉してそのまま死なせたが、16人の気功師に動物模倣や呼吸法の授業をさせた。どんな食べ方をすれば長生きできるかという討論には曹操自身が参加している。息子の曹丕は気功による偏差について初めて記述している。
 この時期、三冊の本が出現して大きな影響を持った。
 ひとつは魏華存女史による『黄庭経』である。またその外景経は王羲之の手になるといわれる。『黄庭経』は人体の黄庭(庭も黄色も中央の意味。丹田、脾臓の意味)と各臓器には皆それを司る神々がいるとし、中医学の臓腑理論とそれを結びつけた。神々を存思ことで内臓を活性化する方法を提唱して、今日まで影響を与えている。
 晋代の医学者葛洪は『抱朴子』を書いて古代の気功の発展に大きく貢献した。葛洪は導引の作用は「まだ病気になる前に治療し、不和の気を通す」ことにあり、寿命を延ばすことができるとした。気功法の面では三つの大きな仕事をした。ひとつには胎息法であり、またひとつには『太平経』の守一法を発展させて、初めて明確に三丹田の理論を出したこと,また多数の動功功法を収集整理したことである。しかし不老長生につながる服食金丹についてはあいまいなものや誇張が多い。
 張湛の『養生要集』は晋代の気功養生学のひとつの水準を示している。養生で大切なことは一に心を散らさないこと、二に気を愛する、三に形を養う、四に導引する、五に言語を慎む、六に飲食に節度を、七に房室で乱脈にしない、八に俗世間に背を向ける、九に医薬、十に禁忌[タブーを尊重する]の十か条だとしたが五まで、あるいは八までは気功そのものと言ってもよい。精気神を守るために閉気法が大切だと考えていた。
 練功者が気を出すという外気はこのころ布気といわれていた。『晋書』には患者と向き合って坐り、一緒に瞑目しただけで患者が歩けるようになった例が書かれている。たくさんの人を救ったが報酬を受け取らなかったとある。内丹という言葉は許遜の『霊剣子』に初めて書かれた。
 南北朝時代の陶弘景は道教の理論家で医師でもあったが、『養性延命録』を書いた。気功は動静結合するが、静を主とする。服気療病篇では静功を導引按摩篇では動功を扱っている。静功については閉気法、吐気法、引気攻病法、六字訣を詳しく紹介している。動功はさらに詳しく、五禽戯、保健功など。黄庭経の影響もあり、それまでの気功養生の知恵を集大成したといってよい。 
 この時代にインドから達磨が来て少林寺に住んで大きな影響を与えたという伝説がある。長く坐禅をし、495年に嵩山少林寺を作ったとされる。

 

 

05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  隋唐五代 
 隋唐の時期の気功はいくつかの特徴がある。
◇医療の方面で広く利用されるようになり、たくさんの医学の名著が気功について書いていること。
◇伝統内丹術が勃興した時期であること。
◇気功の理論体系がかなりまとまったものになってきたこと。
気功の臨床応用に付いて
 大医署の中でやられた。この時代は導引の中に含まれる按摩療法が非常に重視された。政府の医学部門にも按摩科が整備された。当時の按摩科にはいまの「推拿」「気功」「整形」の三部門が含まれていた。
 隋唐の三大医典とされるのが『諸病源候論』『備急千金用方』『外台秘要』であり、どれも気功と密接な関わりがある本である。
 隋朝の太医令である巣元方の『諸病源候論』は610年に出された中医の病因・病機の専門書で、67部門1739 の病気を論じているが、その多くに薬だけでなく「養生法」を支持した。重複を除くと213種類の導引法が紹介されている。ひとつの症状について多い時は十数種の導引法を指定している。それは医学気功功法大全といってよい。[病名を確定した本として医学生が黄帝内系に次いで学ぶべき本になったが、長いことこの導引処方は軽視されてきた。最近になってその専門的研究が現れた]。『備急千金用方』も『外台秘要』もその内容を継承し採録している。
 孫思邈は偉大な医学家で道教学者であり、また「功高徳崇、造詣極高」と最大限の褒め言葉で呼ばれる気功家だった。『備急千金用方』は漢から唐までの医学の達成をふまえ、診断治療法から鍼灸、導引、按摩、養生の術まですべてを総括している。
 孫氏は修身養生の中で「性を養う」道徳修養を最も重視した。「およそ医師が治療する時は、必ず安神定志し、無欲で何も求めない境地になり、観音の大慈悲の惻隠の心を持ち、すべての人の苦しみを救うということでは、貴賎の別もなければ年取っているか幼いか、怨みがあるか親しいか、中国の人かよその国の人か、知性のある人かどうかを区別せず、みな同一平等に接する」と言っている。孫氏の気功は『諸病源候論』を継承しているほか、「調気」「閉気法」を主とする静功、「天竺按摩法」「老子按摩法」などの自己按摩法も詳しく紹介している。
 王燾于は752年に『外台秘要』40巻を出した。『諸病源候論』の養生導引法を引くとともに,若干の鍛錬方法を補充している。
 内丹術がさかんになった。
 内丹は外丹と一対の言葉である。歴史の中で少なからぬ皇帝や大臣が長生きのための丹薬を求めて中毒死したため、煉功することによって自分の中に「内部の丹」を生み出して防治疾病、延年益寿の効果を得ようとした。初めは内丹術の方法は比較的簡単で、胎息の基礎の上に意念導引を加えていた。唐末五代に鐘離権、呂洞賓という内丹の先駆者が現れたので、これを鐘呂派ともいった。内丹術の興隆によってそれまで重視されていなかった『周易参同契』が内丹の指導書として重んじられ始め、さまざまな解説が書かれた。
 気功の理論体系が発展した。
 この時期には社会の発展と科学の進歩を反映して、気功の基本理論体系に比較的大きな発展があった。
 『太清中黄真経』『太清調気経』『延陵先生集鍼灸服気経』などは内煉を主として呼吸鍛錬を重視している。また今で言う外気に当たる布気も論じている。今使われている気功の言葉はこれらの本で使われている。
 隋の智顗の『童蒙止観』[天台小止観]の気功理論体系への影響は極めて大きかった。気功の基本である調身・調息・調心はこの本に由来する。また練功中に出現する八触[八つの反応。練功の深まりの指標としての違和感]についても体験にもとづいて先駆的に整理している。

 

 

 


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石菖蒲・九節菖蒲のお茶とお風呂

2022-05-13 11:48:40 | 季節の話(二十四節気他)

2022年の端午節は

6月3日(金)だそうです。

 

季節にあわせて…

粽も作ろうと思います。

 

 

また・・・

以前ご紹介した

「気功薬餌療法与救治偏差手術」の

心臓に良いとされるレシピから

 

その中のひとつを

参考までに

 

【菖蒲茶的处方】

 

九节石菖蒲 五分切片   百花露或石泉 一盏   酸梅肉 二枚   
大枣肉 二枚   赤砂糖 适量

 石菖蒲在五月端阳节采取,最合时机,须选择九节的为上品,把节间附生的须茸,剖刮干净,洗净阴干,不可用太阳曝晒。旧说认为经过晒会“走气失香”,而以科学观点分析它,因为太阳放射的紫外线,能够破坏菖蒲的性味的含量,这一点关系“采取及时”和“保存如法”的原则,须要注意,否则影响疗效。

 水的火候,不论用花露或者石泉,一律用虾须沸水,先把大枣和酸梅、赤砂糖一齐放入水内烧沸,然后倾入茶杯,杯内先放入五分菖蒲片,将茶盖密盖着,一会儿即可开始饮茶了。酌配松子仁,甜杏仁,胡桃肉一类的干果点心吃着下茶,其味美妙无穷。

 

 

メモを兼ねて参考までに

 

「百度百科」さまより

九节菖蒲(石菖蒲)

性味:辛;温
归经:心、胃经
功能主治:开窍化痰,醒脾安神。用于热病神昏,癫痫,耳鸣耳聋,胸闷腹胀,食欲不振;外治痈疽疮癣。
用法用量:内服:煎汤,1.5-6g;或入丸、散;或鲜品捣汁服。外用:适量,煎水洗;或鲜品捣敷;或研末调敷。
注意:阴虚阳亢、烦躁汗多、精滑者慎服。

 

 

「ウチダ和漢薬」さまより

古来、端午の節句にショウブ湯に入ると、邪気を払い、また健康を保つことができるといわれています。このショウブ湯に使用する植物は、サトイモ科のショウブ Acorus calamus L. に由来します。

ショウブは、日本からアジア東部において、池のふちや小川などの水辺近くに群生しており、葉の長さは50~90cmと細長く、また、横にのびる太い根茎を持つことが特徴です。根茎部分は、精油成分であるasaroneを含むことが知られ、生薬「菖蒲根」という名で、鎮痛、鎮静、健胃、駆虫薬として用いられます。また、葉にも同様の芳香性成分を含むことが知られているため、健康を保ち、強くたくましく成長することを望んで、浴湯料として用いられます。

また、ショウブと同属植物にセキショウブ Acorus gramineus Sol. があります。この植物の根茎に由来する生薬は、「石菖蒲」の名称で、鎮痛、鎮静、健胃、駆虫薬として用いられています。本植物は、主として中国各地に分布し、精油成分であるasaroneに由来する特異な芳香を持ち、味は清涼で、やや辛く、わずかに麻痺性があります。

 

 

「やなぎ堂薬局」さまより

石菖蒲(しょうぶ)はショウブ属ーさといも科(昔はさといも科と言われていたが、近年はしょうぶ科に属する
植物と言われる。)に属する植物で、分布地として北海道から九州の日本各地や朝鮮半島から中国大陸の
東アジアからインドの池や沼地、浅瀬の溝などに群生しながら生える多年草の植物です。

古代中国では菖蒲には邪気を払う魔除けの力があると信じられており、端午節に枕の下に菖蒲を敷いたり、
菖蒲酒を飲んだり、ヨモギで作った人形を飾ったりしました。

5月5日の端午の節句の前後に昔行なっていた菖蒲にまつわる風習があります。
① 軒菖蒲(のきしょうぶ)・・・5月4日の夜に菖蒲やヨモギを束にして玄関の軒につるし、5月5日の朝に
取り除きました。
これは家に邪気や災厄が入り込むのを防いだり、火事よけの為に行いました。

② 菖蒲枕・・・5月4日の夜に菖蒲を枕や寝床の下に敷いて、翌朝に菖蒲湯として使用する。
菖蒲を枕と入浴剤として使用して無病息災祈りました。

③ 菖蒲湯・・・菖蒲枕に使用した菖蒲を熱めの湯に入れて入浴します。
入浴することにより穢れや厄を落として身を清めます。

④ 菖蒲酒・・・菖蒲の根茎を刻んで、お酒に入れて飲みます。根茎が無ければ葉でも代用されていました。
お酒の力と菖蒲の力で体内に居座っている邪気や病魔を退治する作用があると言われます。

 

 

「和じかん」さまより

菖蒲湯のルーツは、旧暦の5月5日(現在の6月上旬)に行なわれていた神祭です。
その起源は中国に由来し、中国ではもともと端午、つまり5月ごろ、菖蒲を玄関に飾ることで邪気を払う風習がありました。また同時期には、蘭を浮かべた蘭湯に入り身を清める“浴蘭節”も行われており、この二つの風習が日本に伝来したのです。
ただ昔の日本には蘭が少なかったため、石菖蒲と呼ばれる菖蒲の仲間で代用したことから菖蒲湯が始まりました。
人々に浸透したのは江戸時代です。

 

菖蒲湯に入ると体が芯から温まり、痛風や腰痛にも効果があり、菖蒲の茎を煎じて飲めば胃を丈夫にしてくれます。そして菖蒲の独特の香りにはアロマセラピー効果もあり、心身ともリラックスできます。

 

 

 


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大根饅頭

2022-05-12 11:46:40 | 食関係(気功食療法・素食)

 

 

 

素食実践者の私にとって

安心して使える食材はありがたい!

 

そして、手軽なものもありがたいのです!

 

この冷凍まんとうも

重宝しています。

中華食材屋さんで買っています。

 

具無しのまんとうの方を

よく使うのですが…

たまにはこういうものも買います。

 

 


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プラントペースバーガー(戸越公園)

2022-05-11 11:47:40 | お店

嬉しいことに…

近くのパン屋さんにプラントベースパンメニューが!

 

このパン屋さんは

丁寧でおいしいパンを作ってくれます!

 

中の具は…

私が自分で作るときのものに似ていて

とても私好み!

 

 

戸越公園にある

「練粉屋(ネコヤ)」さん

 

東京都品川区戸越6丁目7-17

営業時間:
水~日 08:00~19:00

 

 

安心して楽しめるパンは

ありがたいですね!

 

 

 

 


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気功6000年の歴史 その1(01~02)

2022-05-10 17:19:26 | 気功の話

気功家・津村喬さんが残してくださった文章をご紹介。

 

このブログでも何度か文章をお借りして

その都度許可を得るために連絡差し上げると

自由に使って構わない

役立ててくださいと

いつもおっしゃってくださいました。

 

気功の歴史部分について

津村さんの文章をご紹介させていただきます。

 

ーーーーーー

十項目でわかる気功の6000年の歴史

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
03 丹田・命門等が発見とされ五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  随  
06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
08 劉貴珍北戴河療養院、陳濤上海気功研究所が現代気功の始まりになった  中国建国後
09 民間の気功が大流行になり、法輪功ではじけた。  2000年まで
10 健身気功が国の気功として作られた。  2004年以降


ーーーーーー

 

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
(1)書物に書かれているのは
 『尚書』には4000年前の中原地帯が洪水で洪水でかなりの部分が水没したとある。『呂氏春秋』がその洪水の時期に湿気で気が停滞して筋骨が緊張し全身の関節病が流行し、舞踊を用いて気血を動かして治療したという記載がある。この舞いは導引の先駆形態と見られる。
(2)医学書の記載では
 『黄帝内経素問・移精変気論』には「昔人がけものの間に住んでいるような時代、動作をして寒さを逃れ、陽の当たらない所に住んで住んで厚さを避け、内にはあれこれ思い悩まないよう、外には疲れすぎずに、こだわりなくくらしていると、邪におそわれないことがわかっていた」とあるが、これは原始的な気功法の描写である。
(3)考古学からわかることは
 1975年に青海省で出土した彩色の壷には膝を曲げて両手を腹の脇に当て、口を開けて上を向いている人の姿が描かれていて、服気吐納をしていると見られる。これは5800年前に気功が既にあったことを表している。発見地点の岷江のすこし下流には鼈の名前を王に付けた王国が存在しており、これこそ亀の呼吸だとも主張されている。
 1957年にやはり青海省で発掘された「踊る人の描かれた盆」には五人一組で手をつないだ人が三組踊っている姿が描かれている。これは舞踊・気功の起源の形であると見られる。
(4)シャマニズム起源説
 宗教の古い形であるシャマニズムは気功の起源のひとつと考えられる。夢見心地の時に霊魂が肉体から遊離するなどの実感を得たのかもしれない。原始的な分かはみなこのシャマニズムと結びついている。『黄帝内経』にも「祝由」「移精変気」という言葉でシャマニズムの心身医学的応用について書かれている。これについては漆浩著、池上正治訳『中国養生学の神秘ー医学・巫術・気功』がある。

 

 

02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
 中国気功はゆったりした原始的萌芽の時期を経て、殷周時代になると、社会の生産力の高まりと文化的発展に連れて、一門の学説をなすようになった。特に春秋戦国の時期には百家争鳴となって、医、儒、道、法などの諸家が気功の発展に貢献した。
(1)『黄帝内経』が気功学の基礎を作った
 春秋戦国時代にまとめられた『黄帝内経』は気功学の基礎を据えた。内容はあちこちに分散しているが,理論方法から治病までみな書かれている。『黄帝内経』は一種の社会医学で「社会=心理=生物学」を統合する考えがあった。導引・按摩・行気を論じた「霊枢・病伝」、養生原則を説いた「霊枢・本神」、腎虚証の患者に対して午前五時から七時南を向いて入せいし唾液を飲むことを説いた「素問・刺法論(遺篇)」,気功が脳の開発に通じることを論じた「素問・生気通天論」などなどがある。
(2)道家思想の気功学への貢献
 道家を代表する老子は紀元前577ー477ころ生きた大思想家である。道徳経・老子五千言を残した。その中には「守一」「守中」とよばれる瞑想法、「虚其心、実其腹」という入静法、「専気致柔」という吐納導引法から「道法自然」の天人相応観まで、気功の基礎理論はここに出尽くしている。荘子には導引から周天、踵息、坐忘、心斎などの功法が具体的に紹介され、また気功のイメージ操作をさまざまに言葉にしている。
 老荘は気功養生学の基礎を据えた。だから後生の人は気功を「黄老の学」と呼んだ。
(3)儒家の場合は
 孔子の有名な「八目」ー格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下は気功の修練と言ってもよい。『中庸』は養心と養気について書いている。『中庸』『大学』の中では「慎独」という日常の中で自己点検をして行く一種の気功法が説かれている。
 孟子が「浩然之気」をいい、荀子が「治気養生之術」を説いたように、儒家も一貫して気の修練を論じる。荘子の書いている顔回の坐忘は静坐法の始まりと言われる。
(4)その他の思想家たち
 『管子』の「心術」「白心」「内業」などの著作で主として静坐の方法とその効能を説いた。韓非子もまた「虚静」のレッスンを通して「長生久視」が可能になると説いた。儒家では専ら静功が重んじられた。『呂氏春秋』には動静結合の視点が見られる。
(5)行気玉佩銘をめぐって
 戦国時代の《行気玉佩銘》はひすいの十二面体の玉に45の文字が刻まれたもので天津博物館にある。「行気、深則蓄、蓄則伸、伸則下、下則定、定則固、固則萌、萌則長、長則退、退則天。天幾春在上、治幾春在下。順則生、逆則死」がその全文。古来さまざまな解釈がなされてきた。

 

 


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中国発祥の食文化・素食について

2022-05-09 17:59:07 | 食関係(気功食療法・素食)

素食に興味を持ってくれる方は多く

 

参考までにご紹介。

 

 

「ウィキペディア」さまより

歴史
中国では精進料理を「素菜」、「素食」などと呼ぶ。中国の精進料理は後漢時代(1世紀)の仏教伝来と同時に生まれた訳ではなく、仏教伝来よりも1000年以上早い殷(商)代より、祭祀または重大な儀礼に際し、神への畏敬の念を払う意味で、沐浴をし、一定期間肉食を断つ習慣がもともとあったとされる。また、1日と15日には肉を食べないという風習もあった。記録に見られるものでは、周代の儀礼についてまとめた『礼記』「玉藻」には「子卯稷食菜羹」(子と卯の月にはウルチアワを食べ、野菜のあつものを飲む)とあり、『礼記』「大喪記」には「期終喪,不食肉,不飲酒」(期、喪を終えるに、肉を食べず、酒を飲まず)、『周礼』「天官冢宰」には「大喪則不舉,大荒則不舉」(葬礼時、凶作時は肉食など贅沢をしない。)という文章がある。これらは常時の食習慣ではないが、斎食、斎戒の風習や、意図的に肉類を使わない料理を作ることがあった事実が分かる。

後漢の明帝時代に伝えられた、インドの仏教では、托鉢によってのみ食べ物を得ることを求めていたため、当時は三種の浄肉であれば食べた。また、食事は午前中に限って行うことが求められ、最終的に植物を傷めることになる農耕は禁じられていた。漢に招かれた僧侶も、当初は国王など有力者の支援で、この様な戒律に従って食べることができたが、農耕社会である中国で、托鉢はなかなか受け入れられず、有力者の支援を得られなくなると、僧侶たち自らが山野で山菜などの採集をしたり、農耕を始めざるを得なくなった。同時に殺生を戒める立場から、肉を食べることは大乗慈悲に反すると考えた。殺生の戒めは中国にあった儒教の「仁」の考えとも通じるものがあり、広く受け入れられた。同時にこの時代は西域から新しい野菜やウリ類が導入され生産量が増えたとともに、石臼が普及し、小麦粉、大豆、植物油などが利用できるようになったため、醤油、豆豉などの加工品を含め、植物性のものだけを食べても必要な栄養や風味を確保できる条件が整った。

南北朝時代になると、仏教徒も増え、精進料理も普及してきた。梁では、熱心な仏教徒であった武帝蕭衍が、511年に僧侶を集めて作成した『断酒肉文』を出し、僧侶に肉食、酒を断つことを指示した結果、菜食が定着した。北魏の賈思勰が549年までに著した『斉民要術』にも「素食」という項目に精進料理31種が記載されている。

唐代には禅宗が信者を増やし、勢力を拡大したが、逆に戒律を守らない僧が出るなど、乱れも見られた。このため、百丈懐海が『百丈清規』を定め、インド仏教の戒律を基礎に、中国の地理、風土に合った、農耕、勤労を求める戒律を整備した。また、植物でも臭いが強いものは修行に影響を与えることを嫌い、禁葷食とした。こうした禁葷食は、中国独自の宗教である道教にも影響を与え、宗派にもよるが、同様の基準で制限が行われることが主となった。他方で、チベット仏教の寺院では禁葷食の考えはなく、偶蹄類の肉や乳製品を食べるが、馬や鶏や水中生物は食べないなど独自の禁忌がある。

隋代において、施主をもてなすために作られた精進料理は、キノコや野菜を煮た「羹」と呼ばれるとろみのあるスープが主で、これに茶請けの菓子(点心)を添える程度であったが、唐代には徐々に山菜や野菜に手間をかけて出すようになった。また、宮廷で皇帝のために豪華なものを作ることもあり、肉食に似せたもどき料理も考案された。宋代には調理方法や料理の種類もさらに豊富になり、市中に精進料理専門店も現れた。清代は精進料理の最盛期となり、さまざまなもどき料理の出来を競うようになった。当時の『随園食単』や『調鼎集』にも「素焼鵝」などの精進料理が載せられている他、薛宝辰の『素食説略』のような専門書も著された。一方で、味を競った結果、動物性の出汁を使う例も生まれた。

中華人民共和国成立後、文化大革命などの宗教迫害によって、寺院、道観で豪華な精進料理は作れなくなった時期もあるが、現在は、大規模な寺院や道観の多くで、信徒や観光客向けの精進料理が供されている。簡単なものでは、きのこそばの様な麺類と饅頭程度のすぐに食べられるものから、数日前に予約が必要な凝った宴会料理まである。宴会料理が食べられることで著名な寺院、道観の例をいくつか挙げると、五台山、上海の玉仏寺、武漢の帰元寺や長春観、アモイの南普陀寺、香港の寶蓮寺などがある。他に大都市には精進料理専門のレストランがある。

種類
中国における精進料理は、供される場所により次の4つに分けることができ、使う素材や調理方法などの内容に違いがある。

寺観素菜
仏教寺院や道教廟観で出されるもの。僧侶、道士が作り、自身が日常食べる質素なものと、専門の料理人が作る法事、接客用の特別なものがある。殺生をしないこと、禁葷食が基本であり、ショウガも用いないことが多い。道観では道教の養生論により食材や生薬が選ばれる点で違いがあり、仏教素菜と分けて考える場合もある。

宮廷素菜
唐から清の宮廷内で出されたもの。専門の料理人が作り、清代には皇帝、皇后などが敬虔な信者となり、特別に「素局」という部門を設置し、寺観素菜と同じ基準で作られた時期もある。また、皇帝によっては、単なる気分転換に食べた場合もある。また、健康維持の薬膳として食べる場合は、栄養、効用重視で作られ、庶民が手に入れられない生薬を使うこともあった。

市肆素菜
いわゆる「素菜館」、「素食処」、「素飯館」、「蔬菜館」など、市中の精進料理店で出されるもので、料理人が作る。宋代に宮廷料理人出身者などにより出現したが、味や見た目を重視するため、手間をかけたり、材料を吟味した料理が多く、素材は野菜やきのこであっても、肉、魚、エビなどの出汁や酒、ラードなどの動物性油脂を使うことがよくある。また、鶏卵や冬虫夏草の使用も行われる。

民間素菜
民間の家庭で出されるもの。野菜を煮たり炒めただけの簡単で質素なものが多い。仏教、道教の信者が常時食べるものと、季節的健康維持などの理由で短期間限定で食べるものがある。例えば、清の袁景潤の『呉郡歳華記麗』に記述があるように蘇州など華南では旧暦6月を斎月とする習慣があった[10]。

材料、調理法
野菜、きのこ、豆腐、麩、蒟蒻など、日本と共通する素材の他、日本ではあまり使われていないものとして、緑豆、念珠藻(「髪菜」)、黒慈姑(「荸薺」)、ワスレグサの蕾(「金針菜」)、棗(つぶして餡にする)などがあり、香辛料では華北山椒(「花椒」)、小茴香、トウシキミ(大茴香、「八角」)などがある。また、出汁は大豆もやし、ニンジン、広東セロリ、大根、シイタケの石突き(軸)を使うもの、シイタケの石突きに少量ソラマメを加えるもの、大豆もやし、サトウキビに少量ナツメとシイタケを加えるもの、白菜の葉、大豆もやし、ニンジンの皮、大根の皮、広東セロリを使うものなどがある。日本の精進料理でよく使う昆布などの海草、特に出汁用のものは、中国では使用は限られ、風味が異なる。

調理法では煮物、蒸し物のほかに、揚げ物、炒め物が多用され、さらに揚げてから煮たり、揚げてから蒸すなどの複合した調理法を用いる場合が多いなどの違いがあるが、普茶料理ではこれらの調理法も取り入れている。

 

 

 

「中国trendexpress」さまより

もともと中国から入ってきた精進料理

 

日本と中国の精進料理では、異なる点がいくつかあります。日本の精進料理は仏教と共に中国から伝わりましたが、中国の精進料理はインドからの仏教伝来以前からあったといわれています。

また、日本の精進料理は、仏教の信仰からきていることから、殺生を禁じる仏教の教えに基づき、肉や魚を食べないという、仏道修行に励むための質素な料理のことを指すのが一般的です。

一方、中国の精進料理は、「素菜」「素食」と呼ばれる物で、仏教伝来よりも約1000年以上昔、「殷」の時代からあったと言われていました。

祭祀などで、決められた期間は肉食をしないという習慣があったことがその始まりだと考えられています。その後仏教が伝わると、精進料理が広く受け入れられるようになりました。

 

 

中国での精進料理は、仏教徒が日常的に食べる物と、一般の人が健康維持などを目的に一時的に食べる物とがあります。

日本と比べると、中国では精進料理が身近な料理として楽しまれており、「寺観素菜」「宮廷素菜」「市肆素菜」「民間素菜」の4種類に分けることができます。

使われる食材は、日本と同様に野菜やキノコ、豆腐、麩、そして中国独自の物としては緑豆や念珠藻などがあり、調理法は煮物や蒸し物、揚げ物、炒め物が多いようです。

中国でも観光客が精進料理を体験できる寺院があり、気軽に食べられる麺類から予約が必要な手の込んだ宴会料理まで、様々な精進料理を味わうことができるのです。

 

 

 


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キンモクセイ(桂花)の・・・

2022-05-09 10:35:34 | 食関係(気功食療法・素食)

少し前に買った

「糖桂花」

キンモクセのシロップ漬け

 

 

豆花にかけたり

マントウにつけたり

 

いろいろ使っています!

 

 

 

参考までに

「汕头市卫生健康局」さまより

桂花

桂花是木犀科植物木犀的花。以花、果实及根入药。秋季采花,春季采果,四季采根,分别晒干。桂花也称银桂、木犀、九里香。

  桂花作为中药最早被收入《唐本草》中,言其皮“治百病,养精神,和颜色…”。而明代李时珍在《本草纲目》中云:“其花有白者为银桂,黄者名金桂,红者名丹桂。有秋花者,春花者,四季花者,逐月花者。……惟花可收茗、浸酒、盐渍,及作香擦发泽之类。”

  桂花味辛香,其性温,入肺、脾、肾经,功能温肺化饮、散寒止痛,可用于痰饮咳喘、脘腹冷痛、经闭腹痛、牙痛等。《陆川本草》称桂花“治痰饮喘咳”。果:暖胃,平肝,散寒。用于虚寒胃痛。根:祛风湿,散寒。用于风湿筋骨疼痛,腰痛,肾虚牙痛。

 

桂花四大功效

1.健胃

适用于慢性胃炎、慢性肝炎、炎症性肠病之人。可辅助治疗虚寒性的胃痛,比如:秋冬季节胃疼加重人群。

2.生津

适用于高血压病、糖尿病属阴津亏损证之人,可缓解头晕、腰痛、畏寒、大便溏、小便清长、脉沉细等症。对腹痛、拉肚子、肠鸣下泻、便血等都有一定的帮助。

3.化痰

适用于肺津不足,慢性咳嗽、喘症之人。有辅助稀释痰液、平喘的功效。

4.化瘀

适用于女性经期痛经之人,有美容养颜、滋养肝血、调节月经等功效。

 

桂花子
性味辛、甘,温,有暖胃、平肝、散寒功效。用于虚寒胃痛。


桂根
性味甘、微涩,平,有祛风湿、散寒的功效。用于风湿筋骨疼痛,腰痛,肾虚牙痛


枝叶及根煎汁敷患处,可活筋骨止疼痛,治风湿麻木等症

 

 


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