2019/12/01
NHKBS1で、吉田都さんが引退するまでの最後の1年間をドキュメンタリーで撮ったものを見ました。
『LAST DANCE 吉田都 引退までの闘いの日々』
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21162
今年8月の吉田都さんの最終公演は残念ながら見に行きませんでした。1度も見ないうちに現役を引退されてしまったなと思います。
ドキュメンタリーを見てわかったのは、もう体力の限界、怪我と戦う1年だったのですね。
53歳での引退ですが、練習風景でもスリムな体つきと動きからは、とてもその年齢には見えません。しかし、股関節の疲労骨折、「一般の人だったら松葉杖ついて、リハビリやっててください」と言うほどのお医者さんの言葉。そんな中での「エスメラルダ」と最終公演の2公演。
1983年、英国ロイヤルバレエに入った当初は劣等感ばかり。「見た目ではかなわない。踊りなんて見た目やラインが大切ですから」「立っているだけできれいな人ばかりなので、もうかなわない。醜いという感じで、とにかく自分の持っているものすべてが嫌でした」
「楽しいお稽古をしてきていない、大変な思いをしてきているので、負けたくない、だって悔しいじゃないですか」「一緒のレベルにいたらかないっこないので、違う見せ方をする」
しかし、「一番大変だったのは、自分の居場所があると思えないこと」「いつも怖いし不安だし、追われている感じで厳しかった」
自分の居場所がないと感じるのはつらいですね・・・。今から20年前、海外のトップバレエ団のプリンシパルを日本人が務めることはほんとう大変だったのですね。日本人バレエダンサーの先達です。
しかし、バレエ団監督ケビン・オヘアは「彼女のステップやターンは桁外れ、誰もあんなふうに踊れない」と言います。
元監督ピーター・ライト氏は「都の踊りは音楽とぴったり、一体となるのです。」「頭も素晴らしくよい。なんでも簡単に踊ってみせますが、裏にはものすごい努力がある」とべたほめ。そんな努力家だったから、日本人初のプリンシパルになれたのです。
吉田都さんの「やっぱりチャレンジしたいんですよ、限界に挑戦したい」という言葉。
私は吉田都さんの言葉の数々が羽生結弦さんに重なりました。それまで日本人がなし得なかった分野で世界のトップに立つ人は、そう考えるからこそ、その地位に立てたのだと思います。
痛みをこらえて、今年1月に「エスメラルダ」を踊った時、「恐怖しかなかった。本当に怖かったです。だって想像できないんです。トウシューズで舞台に立つってことが。あまりにも遠かったので」という。ですが、そんなことは微塵も感じさせずに踊るのです。
吉田都さんは9歳までリトミックを習っていたそうです。吉田都さんの音楽同調性、リズム感は、その頃にも養われていた部分もあるのでしょうか。 同じ学習者としてはうれしいことです。
吉田都さんが長い間トップの座を維持できたのは、努力だけでなくチャーミングで愛される人間性があったからこそと感じました。
これからは新国立バレエ団の次期監督としてのお仕事をされるそうです。
なお、この番組は12月2日(月)BS1午後7時から再放送があります。