はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

伊藤道郎とリトミック

2020年07月20日 | リトミック

2020/07/20

 

今朝のBSプレミアムカフェで「異国と格闘した日本人~舞踊家・伊藤道郎」(2007年)をやっていました。

冒頭は見逃しましたが、途中からじっくり見ました。

「第一次大戦から太平洋戦争にかけ、欧米で活躍した舞踊家・伊藤道郎。

東洋的な体の動きは多くの芸術家にインスピレーションを与え、ハリウッドのショーでも成功を収めたが、一方で米国FBIにスパイ容疑で逮捕され家族と引き離されるなど、波乱万丈の生涯を送った。常に夢を見続けた彼の人生をたどる」

 

伊藤道郎といえば、ドイツ、ドレスデン郊外のヘレラウにあったジャック=ダルクローズ音楽院でリトミックを学んだ初期の日本人です。



1911年にジャック=ダルクローズはこの音楽院を設立しているので、1912年といえばまだ創世期の頃に入学したのですね。

伊藤道郎はオペラを学ぶためにドイツに留学しましたが、本場の歌手たちの声量に圧倒されて歌手になることをあきらめた時、ドイツにいた山田耕作に「君はダンスが向いている」と言われて、ダルクローズ学院を紹介されたというのです。


当時、ダンスといえばクラシックバレエのことでした。

ジャック=ダルクローズ音楽院は型にはまらない音楽やダンスを学ぶ学校でした。


昔のダルクローズ音楽院の建物、初めて知りました。


ダルクローズの孫の方だそうです。



先進的な学校だったのですね。

あのニジンスキーもこの学校で学んだことがあるそうですよ!

その後、ダルクローズ音楽院はジュネーブに移っています。

現在の音楽院のリトミックの様子が映し出されました。



レッスンの様子、大人の生徒たちがピアノにあわせて動いていました。

知っている先生が映っていたのでびっくりしました。

日本人らしい人が映っているなと思ったら、レッスンを受けたことのあるO先生でした。2007年頃、ジュネーブで学んでいたのですね。ピアノ演奏もきれいで理論もしっかり教えて下さる先生です。

それにしても2007年のこの放送は知らなかった。今、こうして見られてよかった。


伊藤道郎がごく初期にリトミックを学んだ人、というのは知っていたけれど、私には昔の人、歴史上の人物という感じだったのです。

それが2011年、仕事の仲間が、子どもの頃に伊藤道郎にダンスを習っていたというので、びっくりしたことがあります。

私より少し年上の人でしたが、そんなに年が離れていないのです。短い期間だったらしいのですが、晩年の伊藤道郎は日本でダンスを教えていたということです。

伊藤道郎はイギリス、アメリカで成功をおさめ、当時のジャポニズムの流行も相まって、日本的な踊りを演じることもあったそうです。




「惑星」の作曲者ホルストは、伊藤道郎の依頼で「日本組曲」というバレエ曲を作曲しています。

伊藤道郎から聞き取った日本的メロディを曲の中に入れています。


欧米で成功を収めた伊藤道郎ですが、スパイと見なされ捕らえられたり、世界大戦によって翻弄された人生でした。


でも大正、昭和期に海外でダンスで活躍していた日本人がいたことは、素晴らしいですね。


(写真はすべてテレビの画面撮りです)

 

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徳岡孝夫著『五衰の人 三島由紀夫私記』②

2020年07月19日 | 三島由紀夫

2020/07/19

 

『五衰の人 三島由紀夫私記』の続きです。

 

第11章「死後」では、三島の自決の1週間前に行われた評論家・古林尚氏との対談で、自分を「ペトロニウス」になぞらえている部分が取り上げられています。(p.149)

この対談は『太陽と鉄 私の遍歴時代』(中公文庫)に、「三島由紀夫最後の言葉」として収められていますし、You Tubeにも音声録音があって聴くことができます。

 

ペトロニウスはローマ皇帝ネロの側近の政治家で、信頼を受けていたが、最後にはネロへの痛烈な批判の書をしたためて自殺した人物。

ちょうど、この部分を読んだ翌日、BSシネマでハリウッド映画『クオ・ヴァディス』の放映がありました。皇帝ネロの統治時代とペトロニウス、キリスト教迫害の物語でした。偶然とはいえ、いいタイミングの放送で、雰囲気が理解できました。

このペトロニウスの死に絡めて、徳岡氏が 書いている部分。

「ペトロニウスがローマ的な死を択んだように日本式に、静かに介錯人に動脈を切らせた。彼の言葉を神託のごとく聞き、美しい肉体を持った青年が、すすんで死出の旅に同行した。三島さんを譬えるのに、シェンキエビチのペトロニウスほど適切な人物は他にいないのではないか」(p.255)

※シェンキエビチはポーランドのノーベル賞作家で『クォ・ヴァディス』の原作となった小説を書いた。

 

「美しい肉体を持った青年が、すすんで死出の旅に同行した」・・・森田必勝と共に自決した三島。

森田必勝についても様々な逸話があり信奉者もおり、どこまでが本当なのか・・・。森田のほうが積極的だった、森田が誘った、という意見があるのです。

これについて徳岡氏は〈「森田必勝氏の主導権」という疑問〉(p.275)と書いています。

「(無責任な推測だが)三島さんと励まし励まされ合い、引きずり引きずられつつ、のっぴきならぬ結果に到達した原動力の一端は森田氏にあったという印象を、今も捨てきれない。」(p.276)

私は全くわかりませんが、森田には当時恋人がいたこと、将来代議士になる夢を持っていたことから、自殺願望はなかったと思われます。こんな結果になってしまったとしても、森田が引きずったというのはどうなのだろうと思います。

ただ「親とも慕う三島先生をひとりでは行かせない」と言っていたそうですから、義侠心の強い性格であったようです。

私は森田必勝のことをほとんど調べていないので何とも言えません。というより、三島を論じたものですら数えきれないほどあって、とうてい森田まで網羅できないのです。

単純に力関係ということを考えても、三島と森田、どちらが上位か、指導的役割はどちらかと考えれば、おのずと答えは出ているのではないかと思うのです。

ただ、三島のパワーが弱まっていた時期に血気盛んな若者のエネルギーが三島を刺激し、徳岡氏の言うように「励まし励まされ合い」という関係になったのかもしれません。

でも、三島はもう死にたかった・・・どのように考えても、死にたかったに違いない。それが、ああいう芝居がかったことをして、将来ある若者を道連れにしたというのは、死後50年経っても許されることではないと思うのですよ。

森田は後世に名を残した、名誉なことと言われても、将来ある青年にかわいそうなことをしたとしか思えません。

晩年の三島が陽明学に傾倒していたことが重要であると徳岡氏は書いています。私は陽明学の理解までは頭が回りませんが、言行一致(知行合一)を旨とする儒学の一派という程度の知識です。

三島の自決の翌日の新聞には司馬遼太郎氏の寄稿が載せられました。

本書から引用しておきます。

司馬遼太郎 毎日新聞寄稿(11月26日) 死の3時間後には書かれたもの。

「思想というものは、それ自体で完結し、現実とは何のかかわりも持たないところに思想の栄光がある。ただし、まれに現実世界と亙(わた)りあおうとする思想家がいて、たとえば吉田松陰はその一人だが、現実と相亙る方法はただ一つ、大狂気であり、待っているのは死のほかない。そういう人は日本史に松陰一人で十分である。

彼(三島)の死は文学論のカテゴリーにとどめられるべきもので、死に方は異常だが本質的には有島武郎、芥川龍之介、太宰治の自殺の同系列のものとして位置づけるべきものである。政治的な死ではない」 

この寄稿の評判は高かった。しかし司馬さんは『行動学入門』以後の「革命哲学としての陽明学」を読んでいない(p.266) 

と徳岡氏は不満を持ったそうです。

「思想を書斎の中で完結させなかったことの、どこが悪いのか」(p.272)

徳岡氏は、三島の死は陽明学に基づく「政治的な死」と解釈しているのだと思われます。

 また次回に。

 

 

 

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徳岡孝夫著『五衰の人 三島由紀夫私記』

2020年07月18日 | 三島由紀夫

2020/07/18

 

三島由紀夫自決事件の時に檄文を託された新聞記者・徳岡孝夫氏の書いた『五衰の人』(文藝春秋1996年)を読み終えました。

 

徳岡氏は、三島から最も信頼されていたメディア人だったといえるでしょう。が、これを読むと徳岡氏は記者という立場で、一定の距離をおいた付き合い方をされていたように感じます。

「3年余の浅い付き合いだった」「私以上に彼を深く知っていた人は、数えきれないほどいるだろう」と書いています。

「少なくとも私の見るかぎり、三島さんはごく健全な常識人の一面があった。ただ時として、些細なことだが、あの人には友人を当惑させる言動がないわけではなかった。」(p.12)

新聞記者らしい、事実に即した書き方がわかりやすいのです。いつ、どこで、どんな状況の時に三島と会った、その時の様子、社会情勢、三島の態度・行動の考察、そして自分の感想などが書かれています。

 

「やあ、徳岡さん、あなたとはいつも太陽の下で会う!」という気障な言葉のことは前回に書きましたが、あの話には続きがあります。

第1章「死者と対話するように」から部分的に抜き書きします。

三島宅で、庭でのインタビューを終えたのが、ちょうど昼時。「用意しておいたものを食べていって下さい」と三島は丁寧な口調で言い、「じゃあ、ぼくは」と家の中に引っ込んだ。入れ替わりに一流の鰻屋のものらしい鰻重が運ばれてきた。

「一瞬、不愉快に近いものを感じた。一家の主人が一緒に出て食うのならともかく、庭で客だけに食事させるのは、(私の常識で言えば)植木屋に対する扱いだった。辞退しようと思ったが同行者が、「いいじゃないですか」ということで、黙ってすわって、私は植木職人のように鰻重を頂戴した。」(p.32)

こういう些細な話や心の動きがおもしろい。

記者から見た三島はどんな人だったのでしょう。

自衛隊への体験入隊翌日、取材に行きインタビユーをした。そのことを話したくてたまらない様子の三島を見て、「この人は孤独なんだなあ」と感じた。(P.46)

 

第7章「林房雄にからむ謎」では、自決の年の9月、三島に呼び出されて銀座の割烹店に行った時のことが詳しく書かれています。(p.149)

三島は畳に寝ころんだまま、「林さんはもうダメです」
それまで私が見たことのない、世間の人が三島由紀夫に想像したこともない、投げやりな姿と言葉遣いだった。そのうえ執拗だった。何度も「向こうから金を貰っちゃったんだ」と、まるで私に向かって訴えるかのように繰り返した。綿々とかき口説いた。
むずかる幼児を扱いかねる親のように、私はただ途方に暮れて三島さんを眺めていた。どうやって泣く子の機嫌を取ればいいのか。
愚痴をこぼしたいなら私よりもっと適当な聞き手がいるだろうに、と思った。(P.165)

・・・・・

詳しい説明は省きますが、三島が心酔していた林房雄が左翼からも右翼からも金を貰ったことに失望し、憤っていたらしいのです。

徳岡氏は、それが本当のことなのか知らない、資金の少ない団体ではお金をもらうこともあったかもしれない。そして、そのことでどうして自分を呼び出すのかと当惑したのです。

「彼の苦しみ様の尋常でないのを見て言葉を呑んだ」

このときに、同時に三島は「自衛隊に対する深い失望」についても語っていた。 

「私はあの日、バルコニーから自衛隊に決起を促す演説をする三島さんを見上げながら、奇異の感にうたれた。ろくに信頼もしていない有象無象を集めて檄を飛ばしてみたって、空振りは先刻承知のはずじゃないかと不思議だった。クーデターなんて三島さんは起こす気はなかったし、ムダを覚悟の上だったはずだと思っている。」(p.159)

かえってクーデターなど起こされたら困る、何の準備もないのだから。ただ自分が死ぬための芝居を打っているのです。

第10章「11月25日」決起当日。

徳岡氏の見ていない部分の三島の行動は、死後に行われた裁判の公判で楯の会会員の証言をもとに書かれています。徳岡氏自身の行動も時系列で書かれています。やはりこれを読むと、緊迫感と共に胸に迫るものがあります。

若い学生たちはどんな気持ちだったのだろう。

続きは次回に。

 

 

 

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渦巻き

2020年07月17日 | 花・植物

2020/07/17

 

雨で涼しいです。

私は昨年の暑さに懲りたので、このくらいの涼しさが好き。仕事に出かける予定がないので、雨でも気楽なものです。

ふと目に留まったベランダの植物を接写してみました。

ゴーヤのツルです。

自然にこんなに巻くなんて、おもしろい。

ゴーヤの花

 

 

 

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コロナ拡大の中でGo To

2020年07月16日 | 政治

2020/07/16

 

東京都は昨日、警戒レベルを最も高い「感染が拡大している」に引き上げました。

今日の東京都の感染者数は286人だそうです!これはびっくりですね。8日連続で100人超え。過去最多だそうです。

そんな中、Go Toキャンペーンが取り沙汰されています。

GoToキャンペーンは経済のV字回復を目指す安倍政権の看板政策だそうで。

「Go Toキャンペーン」は、旅行代金の半額分を補助したり、旅先の飲食店や土産物屋で使用できるクーポンを配布したりして、観光や飲食業の消費活性化を狙うもの。そのほかイベント振興策や商店街の販促事業への補助なども盛り込まれ、予算は約1.7兆円に膨れ上がった

事業を取り仕切る事務局への事務委託費の上限が3095億円と予算の18%を占めていることが判明。

こんな状況なのに推し進めようとしているのは、旅行・観光業者のためというより、またどこかとの利権の癒着、業務委託に目が向いているのでは・・・。

持続化給付金で電通に業務委託をしたのは、東京オリンピックが延期になって、この夏に電通に入るはずだった利益をこんな形にして補うためだったらしいという話を聞きましたが・・・本当なんでしょうか。

午後、参院予算委員会をテレビで見ましたが、児玉龍彦東大名誉教授のお話は説得力があった。

具体的に予算を提示して、国会を開いて迅速にコロナ対策に予算を入れれば、1か月後には百倍の価値があるとのご意見。

とにかくPCR検査を多くやって感染集積地をはっきりさせること。感染集積地には医療を重点的に投下。

もっと、マスメディアはこの先生の発言を多く取り上げてほしいと思いました。

それにしても、西村経済再生担当大臣はよく登場しますが、安倍首相はほとんど登場しなくなりましたね。そして加藤厚労大臣も2月のコロナの頃はよく答弁に立っていましたが、もうあまり出てこなくなりました。

これが私には不思議なのです。素人考えですが、コロナは疾病だから厚労省の管轄では?と思うのです。経済再生担当大臣は、コロナに関しては3番手くらいのイメージなのですが・・・

経済再生が最優先ということなんでしょうね、医療よりも。

安倍さんは森友、桜、ステイホーム、マスク、検察官定年延長法案で失策続き、もう追及されたくなくて表に出なくなったのかな。

 

【追記】

Go Toキャンペーン 東京は除外ということになりましたね。埼玉、千葉、神奈川、大阪もかなりの感染者が出ていますが、東京だけでいいんでしょうか。

そして、交通機関、旅館の予約キャンセル代は補償しないということです。

 

 

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