顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

刀剣のイロハ(茨城県立歴史館)

2017年08月16日 | 歴史散歩
何故か背筋がすっと冷たくなる刀剣を見るこの季節にピッタリの企画が、9月24日まで茨城県立歴史館で開催されています。
日本刀の観賞の仕方について、刃文や姿、種類や変遷を歴史館所蔵の刀剣類(主に一橋徳川家のもの)を主体に説明されています。

太刀 銘 光忠

「光忠」「備前長船」「虎徹(乕徹)」「兼定」など門外漢でもその名だけは知っている名刀を、造られた時代や所有者を思い浮かべながら見ていると、外界の盛夏を忘れるひとときが楽しめました。

刀 無銘 貞宗

その中で、日本刀の太刀と刀との違いについて、認識を新たにしました。
太刀は平安時代頃から使用され、当時は馬上での戦いに使用したため長大なものが多く、抜いたり斬ったりしやすくするため反りも大きくしたと言われています。
は、正確には打刀(うちがたな)といい、室町時代後期頃から戦いに足軽などの徒士兵士が活躍するようになると、振り回すために刀身は短くなり、突きやすいように反りも小さくなったものです。
その区別は、太刀は、刃を下向きにし、紐や器具を使い腰に吊るして携帯します。そして展示の際にも刃を下向きにします。太刀を腰に佩く(はく)と言います。
一方、打刀は、刃を上向きにし、腰の帯に差して携帯します。そして展示の際にも刃を上向きにします。刀を腰に差すと言います。
平安、鎌倉、室町中期頃は太刀、戦国時代は太刀と刀の両方、江戸時代から幕末は刀が主流で使われたようです。

短刀 銘 備前国長船住左衛門尉藤原兼光

展示品の中の脇差し、銘常州広次の刃文の説明です。意味はよく分かりませんが、まるで流れるような切れ味鋭い文体です。
「直刃(すぐは)調の互(ぐ)の目に丁子交じり、匂口(においぐち)しずみごころに、砂流しかかり、小足(こあし)入り、物打(ものう)ちあたりで沸(にえ)崩れかかる」

(写真はパンフレットより拝借しました)