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寒牡丹とはよく聞きますが、冬牡丹はその別名だと思っていましたが、調べてみると春と秋の二季咲きの牡丹の春咲きを正月に咲くようにしたのが寒牡丹で、春咲きの普通の牡丹の開花時期を人為的に早めたのが冬牡丹と出ていました。
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冬牡丹は、二季咲きの寒牡丹より花も大輪で、緑の葉も出ているのに対し、寒牡丹は花が小さく葉もほとんどないという見た目の違いがあるそうです。
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ここ笠間の市原観音は花の寺として名を知られ、この時期は冬牡丹約30株の藁囲いが並んでいます。
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霜よけなど温度管理には相当手間がかかるようですが、冬の寒さの中で健気に咲いているというより咲かされていると感じてしまいます。葉は寒さで萎れ、花は花期の終わりのせいか今ひとつ元気がありません。
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この市原観音の正式名称は三嶋山 明星院 如意輪寺という天台宗のお寺で、その歴史は古く推古3年(595)、地元の豪族伊知波良氏が嵐によって打ち上げられた仏を拾い、御堂を建てて供養、その後天武天皇9年(680)に天武帝の勅願寺となったと伝わっています。また、関東三十三観音の第三十二番札所、また東国花の寺百ヶ寺の茨城第4番札所としても知られています。
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ところで偕楽園の梅に、白牡丹という大輪で八重の花があり、遅咲きの開花ですが、満開の様子には思わず歓声があがります。
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なお、俳句では上記の違いは気にせずに、寒牡丹、冬牡丹と同じように詠んでいるようです。
人とゐてひとの恋しき冬牡丹 環 順子
囲はれておのれを尽す寒牡丹 佐藤信子
囲はれておのれを尽す寒牡丹 佐藤信子