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白鳥の飛来地として有名な古徳沼の北西側の勢揃山と呼ばれる小高い丘は、比高約20mの中世の城郭、古徳城の跡です。
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永和元年(天授元年(1375))常陸大掾氏7代大掾義幹の次男で、足利義満に仕え軍功によって古徳庄を領して従五位上に列し古徳氏を称した民部大輔義純によって築かれたといわれます。
古徳氏は代々城主としてこの地を支配しましたが、応永29年(1422)大掾幹幹が江戸氏に水戸城を奪われると江戸氏に仕えるようになリます。しかし永正11年(1514)、江戸氏の内乱に巻き込まれた古徳氏は、江戸氏の大軍に四方から攻められることとなり、激闘の末城は炎上、古徳義優は80数名の家臣と共に討ち死にして一族は滅びたといわれています。
古徳沼から城址へ上がる山道と、静神社に通じる古道の標識があります。
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道端に大正5年建立の古徳八景の碑、「勢揃山の秋の月」と見事な文字が刻まれおり、小さいながらも堂々たる風格です。
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茨城城郭研究会の「図説茨城の城郭」掲載の縄張り図を大雑把にgoogle写真に載せてみました。
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雑木に覆われた城址は藪の中に埋もれています。規模は大きくありませんが空堀、土塁がはっきりと見て取れます。
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中心となるⅠ郭とⅡ郭の南側には3重の横堀が並び、各郭は土塁が周っています。
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Ⅰ郭の北側は斜面の傾斜が特に険しく、下に腰曲輪と横堀が見えます。
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急峻な北側の崖の下には農地が見えますが、当時ここまで沼が連なっていたともいわれています。この方向約10キロ先には佐竹氏の本拠地太田城がありました。
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五輪塔がひっそりと置かれていましたが、詳細は不明です。
戦国前期に廃城になったとされますが、戦略上複雑に造られた遺構の状態から、戦国後期に佐竹氏が改修して使用した可能性も指摘されているようです。
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ところで、古徳沼にはたくさんの鴨が泳いでいますが、100羽以上が飛来しているとされる肝心のオオハクチョウは数羽がいるだけ、写真を撮っている人に聞いたら、餌があまりないので近在の他の池に出かけていて、遠くは久慈川付近まで遠征しているとのことでした。
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沼の南東側にある林の木々が、カワウなどの糞で真っ白になっていました。
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ついでに近隣の池を白鳥求めて歩いてみました。
古徳沼すぐ近くの中沢ため池でも白鳥は出払っているようでした。
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芳野文洞溜です。
農産物を販売しているふれあいアーム芳野で白鳥の餌が店先で売っていました。情報ではコブハクチョウが一羽だけ住み着いていると出ていました。
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一の関ため池は公園になっていて、湖面に突き出たテラスがあり、餌が豊富なのかここが一番多く白鳥が見られました。
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園内にある茅葺き屋根の曲がり屋ではひなまつり展が開かれていました。曲がり屋とは、住居と馬小屋、物置が一体となった東北地方と茨城県の一部にみられる民家形式で、市内にあった文久2年(1862)建築とされるものを解体保存し、平成11年ここに移設復元されました。