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9月9日早朝、この地方を襲った台風15号の爪痕が偕楽園の左近の桜にも及びました。完全に倒れた根元を見ると根があまりなく、木質部分の色も茶色で一部枯朽していて樹高16mの大木を支えきれなかったと、素人判断です。
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そういえばここ数年、満開時の咲き方も以前ほど元気がないような気がしていました。
(2013年、2017年、2019年の写真を並べてみました)
高台の芝生広場に立つ勇姿は遠くからも眺められ、市民や観光客にも親しまれてきた園内のシンボルツリー的な桜が消えてしまったのはまことに淋しい限りです。
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この桜の由来は、天保2年(1831) 偕楽園を開設した水戸藩9代藩主徳川斉昭公の正室、登美宮降嫁の折、ときの仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜ったことにさかのぼります。
東京小石川の後楽園徳川邸に植えられたこの桜は、天保12年(1841) 弘道館の落成にあたり弘道館正庁玄関前に移植されました。 その後、初代、2代目は枯れてしまい、現在の桜は昭和38年(1963) 弘道館改修工事の完了を記念して茨城県が宮内庁より京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を受領し、弘道館と偕楽園に植えたものです。
ヤマザクラの一種のシロヤマザクラで、幹の周囲は3.84m、 高さは約16mです。(すでに撤去された案内板の文に一部追加)
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今週から、偕楽園も有料になることが決まっています。賛否両論がありましたが、すでに関連工事も始まっていますので、この木が抗議しての自害ではないと思うことにしましょう。
跡地はどうなるか?新しい園内整備プランが計画されているようですので、その一環として歴史や景観に配慮し、多くの人が納得できる整備をお願いしたいと思います。
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そして4日後の12日、跡地はスッキリと整理されていました。天保13年(1842)開設当時にはこの桜はなかったわけですから、こんな広々とした景観があったのかと思うとどうにも複雑な気持ちに襲われました。