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石岡市大増にある板敷山大覚寺は浄土真宗本願寺派の古刹です。寺伝では、承久3年(1221)、後鳥羽上皇の第三子周観大覚の創建と伝わります。周観大覚は、親鸞聖人が配流されていた越後よりこの近在の稲田郷に移住した折、聖人を訪ねて師弟の契りを結ばれ善性房鸞英と称され、以後親鸞聖人の教化をたすけられたと伝わります。
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親鸞が約20年間滞在したその稲田御坊までは約6Kmくらい、この縁で親鸞は何度もここを訪れていたと伝わり、境内には説法石も残っています。
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現在地より山の奥にありましたが、天明2年(1786)の山津波で本堂は下に流され現在地に再建されたものの、安政元年(1845)に焼失、現在の本堂は慶応2年(1866)の建立だそうです。
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本尊は阿弥陀如来像、また寺宝の「弥陀名号」は縦64㎝、横16㎝で絖絹(ぬめぎぬ)様のものに、金糸で刺繍したもので、法然上人の書を親鸞の妻、恵心尼が刺繍したものと伝わります。
本堂の大棟にある二つの紋、「下り藤」と「八藤」、調べてみるとどちらも本願寺派の紋でした。
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さて、この大覚寺は「親鸞聖人関東教化中法難の遺跡」として有名で、山門潜ると大きな看板が立っています。これが謡曲「板敷山」にもある、いわゆる山伏弁円と親鸞の伝承です。
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板敷山麓に住む山伏弁円は近在にその名を知られていましたが、親鸞の出現で信者たちが浄土真宗に入信し、自分の修験道場が寂れてしまったので親鸞を殺そうとしてここで待ち構えていました。
結局、親鸞の尊さに敬服し、自分の弟子30人を連れて、親鸞に帰依したといいます。弁円は明法と名を改め、常陸大宮市に法専寺、那珂市に上宮寺を創建し、各寺の縁起にその名が残っています。
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自然豊かな境内の左手にある庭園が、大覚寺庭園としてもその名が知られています。
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江戸時代に天龍寺庭園、桂離宮を模して作庭されたと伝わる池泉回遊式庭園は、どの角度から見ても裏表がないので、「裏見無しの庭」と呼ばれます。
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とくに、茅葺屋根の書院から眺めた庭園の景観は素晴らしいそうですが、裏見はなくてもこれが表見なのでしょうか。季節の移り変わりを彩る草木が随所に植えられています。
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大覚寺奥の山の中にある板敷山道、元の寺院はその近辺にあったのでしょうか。
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山中の板敷峠一帯には、弁円が親鸞を呪咀した護摩壇石、待伏山、弁円懺悔の場などが残っています。