顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

逆川緑地…市街地の中の自然公園

2021年05月03日 | 水戸の観光

水戸市内を流れる逆川(さかさがわ)は、総延長6Km、流域面積は11K㎡の1級河川です。付近の川が東や南に流れるのに対し、千波湖東で桜川に合流するまで真北に流れているのが命名の由来といわれています。

水戸の台地は、水を通さない凝灰岩の上に水を通す礫層があり、降った雨が数十年かけて湧水となって滲みだしています。この逆川の両岸の河岸段丘からも湧水が数多く流れ込んで、小さい川ながらこの一帯を通ると水量が多くなり川幅も広がります。

両岸の斜面には、礫層がいたる所で露出しています。

あまり手を加えず、豊かな森と湧水を利用したこの水辺の緑地は、水生植物や野鳥の観察など街の中で自然が味わえる広大な公園になっています。

また、この湧水を利用して、水戸藩2代藩主徳川光圀公は、寛文2年(1663)飲料水に不自由していた城下の低地区に全長約10Kmの笠原水道を敷設、これは日本国内で18番目に古い上水道でした

浴徳泉の碑は、文政9年(1826)年(文政9年)に笠原水道の記念碑として建立されました。
碑面の題字「浴徳泉」は、当時の8代藩主斉脩の詩句の「今猶浴先君徳」から採用して9代藩主斉昭が隷書で記し、本文の「浴徳泉記」は彰考館総裁藤田幽谷の作です。

この笠原水源地の湧水はいまでも水戸市の水道にも利用されています。鬱蒼とした杉林に囲まれた竜頭供用栓から出ている水は、ポリタンク持参で汲みに来る人が絶えません。

光圀公の建てた茶亭「漱石所」の跡です。ここで上流から流される杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠むという、曲水の宴をしばしば催したといわれています。
文豪も使った「漱石」という言葉は「石で口を漱ぐ(すすぐ)」という中国の故事から「負け惜しみの強い変わり者」という意味、光圀公も洒落心で名付けたのでしょうか。

豊富できれいな水を利用して木製のデッキや歩道などが随所に設けられています。

お子様が安心して遊べる水の広場や遊具の広場なども整備されています。

湿性植物エリアでは青、黄、白の三色の饗宴が見られました。

カキツバタ(燕子花)とスイレン(水連)、黄色はキショウブ(黄菖蒲)とコウホネ(河骨)です。

藤の花も色を添えています。

ラクウショウ(落羽松)の気根が出ています。

両岸の森は市内と思えないほど野趣に溢れ、GW期間中でもコロナ感染の心配も感じられないほどの静けさの中でした。