連郭式平山城の水戸城の総構えで一番外側の防御は、浸食谷を利用した深くて広い堀でした。
この五番目の堀は、市街化で中央部分は痕跡もありませんが、西の谷とよばれる南側のこの一画と北側の八幡宮の外側に深い谷が一部残っています。
現在の地図に幕末の地図を重ね合わせた城下町図(水戸市観光協会発行)です。水戸城の水堀の役目をする千波湖の今より4倍近い大きさと、五番目の堀、西の谷の大きさがよくわかります。
この西の谷の周辺は、県内唯一のデパートもある繁華街ですが、この一画だけは自然がそのまま残っており、偕楽園公園の中の西の谷緑地として少しずつ整備されてきました。
トイレも駐車場側の他に公園中央にも設置されました。
両側を急峻な崖で囲まれた幅約50mの谷が600mくらい続く中に、周遊できる散歩コースも整備されています。
いわゆる上市とよばれる比高約20mの台地への階段です。ここを上がると別世界のような市街地になります。
日没から22時まではライトアップされ、「光の階段」となります。(写真は水戸市HPより)
水戸層という凝灰質泥岩の上にある水戸台地の構造が分かる地層が露出していました。水を通さない水戸層の上には礫層があり、降った水が数十年かけて湧水となり滲みだします。
江戸時代の笠原水道の暗渠にも使われたという凝灰質泥岩の上から、音を立てて湧水が浸みだしているところが何か所か見られます。
昔は水量も多く、青河とよばれ底の見えない碧い水が溜まっていて、この湧水を利用した大きな養魚場もありました。しかし市街地の開発に伴い水脈は減ってしまい、養魚に不可欠なこの湧水を使って大正13年から営業していた観賞魚の専門店も2019年12月で閉店してしまいました。
ここもご多分に漏れず外来種がいたる所でお花畑をつくっています。
在来種も残っており、オドリコソウ(踊子草)が名前の通り、編み笠を被った踊り子の姿を見せています。
この大きな葉はムサシアブミ(武蔵鐙)、やや湿った林下を好むサトイモ科の植物、多分この辺が北限かもしれません。
クサノオウ(草の王、草の黄、瘡の王)はケシ科、アルカイドを含み毒草ですが、民間療法では薬草としても使われてきました。
エゴノキの釣鐘状の白い花、少年時代は泡が出るのでセッケンボンボと呼んで遊んだ記憶があります。
キイチゴと呼んでこれも少年時代に夢中で食べたモミジイチゴ(紅葉苺)が鈴なりです。
水辺を好むラクウショウ(落羽松)やカツラ(桂)などの樹木や葦原が、湧水の多い公園の特色を出しています。
繁華街のすぐそばにこんな自然が残っている緑地があること自体、あまり知られていないのは残念です。おかげで静かな環境の中で、コロナ禍の気分転換ができましたが…。