千波湖畔から偕楽園の東門へのスロープの紅葉はほぼ散りかけていました。コロナと昨年秋からの入園有料化の影響で観光客は激減しており、季節の色を見てもらえず残念でなりません。
大日本史完成の地の石碑が建つ一画です。水戸藩2代藩主徳川光圀公が明暦3年(1657)に着手し明治39年(1906)まで250年もかけて完成した大日本史、最後はこの場所に編纂局の彰考舘が置かれていました。
秋に行われる萩まつりの主役、園内に150群ある萩の大きな株が黄葉しています。
梅林はすっかり落葉しましたが、天保13年(1842)開園当初からの樹といわれるクヌギ、コナラの大木が色付いています。
偕楽園本園では一番の見どころ、吐玉泉下の紅葉は、崖から湧き出した水を湛えて一段と艶っぽく感じられます。
偕楽園は比高20m前後の河岸段丘の上にあり、水戸層とよばれる水を通さない地層と上市層という礫層の間からの湧水がたくさん見られます。
西門付近の紅葉…茨城県歴史館に通じる西門は、なぜか2か所に絞られた偕楽園入園口の表門への通路になったため通行量は増えましたが、園側の都合だけでの施策は大変評判が悪く、ぜひ再考をお願いしたいと思います。
藩主は水戸城から船で千波湖を渡り、南門からこの櫟門をくぐって好文亭に向かったといわれます。柱はクヌギの自然木で屋根は檜皮葺き、網代編みの門です。たまたま東京品川行きの特急「ひたち」が画面に入りました。
南面の崖に正岡子規の句碑が建っています。明治22年(1889)学友菊池謙二郎を尋ねて、友人と二人で水戸を訪れ「崖急に梅ことごとく斜めなり」と詠みました。
偕楽園に隣接する茨城県歴史館の水車小屋、散り際の美しさでしょうか、紅葉が一段と冴えています。
歴史館の銀杏並木はすっかり葉を落としました。落ちている銀杏の実も拾われずに残っています。奥に見えるのは、旧水海道小学校本館で明治14年(1881)の建築、歴史館開館を機に移設復元されました。
偕楽園公園の丸山と護国神社です。この丸山に光圀公が中国の詩人陶淵明を祀る「淵明堂」を建て、酒を愛した詩人を偲び堂の壁に猩々の絵を描かせたので、別名「猩々堂」とも呼ばれました。その故事に因み、猩々の名が現在、梅林や橋の名前に付けられています。
総面積13haの偕楽園は、周辺の緑地帯を含むと総面積300haの偕楽園公園の主郭になります。都市公園としては世界第二位の面積を誇る大きな自然の中には、何度行っても新しい発見があり、飽きさせることがありません。
季節外れの桜の花を二つ…
表門前の十月桜がひっそりと咲いています。10月頃に咲いて来春4月までを咲き続けますが、さすがこれからの厳寒期には弱々しい咲き方になります。
こちらは園内の見晴らし広場に咲く二季桜です。名前の通り春と秋の二回花を開きます。
いまごろ咲く桜をひっくるめて冬桜、寒桜ともいうようですが…。
忍ぶこと慣るゝは悲し冬桜 湯川雅
ひそみて淡し翁の魂の冬桜 有働亨
寂しくて青空を被る寒桜 関森勝夫
冬桜風が間引きし花の隙 高澤良一
つくづくと淋しき木なり冬桜 角川春樹
まだまだ紅葉の美しさは残っていますね~
一年中 雪は降らないのでしょうね~
今日の北海道 ふわりふわりと雪が
舞っています。大雪にならないでしょう‥
コロナ感染拡大が心配です・・
茨城県のコロナ感染は1844名、特に都内に近い地域が増えています。
正月気分にはなれそうもない年になりそうですね。