1966年、前田美波里を横須賀功光が撮った資生堂ポスター「太陽に愛されよう」で受けた強烈な印象は、地方の広告会社に勤めていた20代の時でした。そのデザイナーが当時まだ20代だったというのは今回知りました。石岡瑛子I(あい)デザイン展が7月7日まで茨城県立近代美術館で開かれています。
ほとんどが撮影可の作品でしたが、作品表面に周りが写りこんでしまうため、約500点の中のほんの一部を雰囲気だけのご紹介となってしまいました。
1970年にフリーランスとなった瑛子は、1973年に渋谷パルコが開業するとメインのキャンペーンを総括し、「新しい時代」の象徴としてのパルコのブランドイメージを築く中心的な役割を担っていきます。右のポスターのコピーは「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」です。1976年
沢田研二の裸の写真も話題を呼びました。写真のコピーは、「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」。1979年
パルコのロゴだけで商品広告などは一切無しのポスター、その挑戦的なメッセージとヴィジュアルは一世を風靡し、「石岡瑛子といえばパルコ」「パルコといえば石岡瑛子」と語られるほどでした。
真ん中上の写真のコピーは「女たちよ大志を抱け」です。1975年
靴のダイアナ、三陽商会のポスター 1974年
「百、花、曼、荼、羅」というコピーの東急百貨店のポスター 1989年
「女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい」角川書店ポスター 1975年
「NEW MUSIC MEDIA」音楽祭ポスター 1974年
EXPO‘70日本万国博ポスターとシンポジウム・現代の発見 1965年
国際キャンバス家具コンペ(太陽工業) 1973年 布の袋の中にダンサーが入って踊るのを写真にしたそうですが、そんな発想はどうしたら出てくるのでしょうか。
マイルス・デイヴィス 「TUTU」レコードジャケット 1986年 写真は巨匠アーヴィング・ペンでグラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞受賞
マイルスのレコードジャケット製作に参加したクリエイターやスタッフと対話を重ねる細かい下書きや絵コンテなども展示されており、細部に至るまで完璧な仕上がりを求めた瑛子の姿勢がうかがえます。
西武劇場「三宅一生ショウ」のポスター 1975年
名匠フランシス・フォード・コッポラとは映画「地獄の黙示録」(1979)のポスター・デザインを経て、「ドラキュラ」(1992)では担当した衣装デザインでアカデミー賞を受賞しました。
アメリカ映画「イノセント」日本語版 1978年、「コヤニスカッテイ」のポスター 1983年
東京セントラル美術館ポスター 1974年
装丁した本や雑誌も数多く残っていますが、表紙やカバーだけでなく、紙質やサイズ、文字組みなどの細部までにも関わっています。 1974年~1976年
ECO'S LIFE STORY 1957年
商品のパッケージデザインも多数手がけましたが、1981年の山本海苔店の作品はグラフィックデザイナーだった父、石岡とみ緒が商品名の書を、妹で同業の石岡怜子がデザインを担当し、家族による唯一の合作となっています。
「Timeless 普遍的であるか?」「Originality 独自性はあるか?」「Revolutionary 革新的であるか?」 という三つの言葉を常に自らに問い続けたという石岡瑛子の、その通りの作品群に圧倒されました。
石岡瑛子 1938年生まれ、2012年1月21日膵臓癌のために死去(73歳) 類まれな才能がまたひとつ、地球上から失われました。合掌。
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