顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

新しい東京の台所…豊洲市場

2019年03月12日 | 日記
2018年10月、約80年の歴史を閉じた築地市場から、装いを新たに豊洲へと移転した東京の台所豊洲市場、町内の旅行でその一部を覗いてきました。移転延期になった土壌汚染問題などは何故か騒がれなくなったと思ったら、最近は小池都知事の築地を「食のテーマパーク」として再開発する構想がトーンダウンしたり…それでも新しい施設はピカピカで眩しいくらいでした。

駐車場が整備されていないので、バスは「有明テニスの森公園駅」に停め、運転手、車掌の乗務しない自動運転のゆりかもめに約1分の乗車で豊洲市場に直結の「市場前駅」に着きます。



まず水産卸売場棟では実物大のクロマグロが出迎えてくれます。

マグロのせりは早朝5時30分頃なので、午前10時位の市場内はひっそりとしています。

水産仲卸売場棟の飲食街ではこの時間でも人気店では長蛇の列、覗いたメニューの値段を見ると価格より質重視と感じました。

水産仲卸売場棟の4階には、物販店「魚がし横丁」があります。70の店舗がプロ用の品を並べているそうですが、目ぼしいものは見つかりませんでした。

オリンピック関連施設の建設がどんどん進んでいるこの一帯ですが、観光客向きの豊洲市場としてはまだ仮オープンの段階のような気がしてなりません。
オリンピック終了後には商業・観光施設「千客万来施設」も建設されさらに充実するそうなので今後に期待したいと思います。

手打ち蕎麦「そばの実」

2019年03月10日 | 食べログ
水戸市松が丘にある、石臼挽き自家製粉を掲げたそば店「そばの実」は、常陸秋そばの店として知られており、10台位ある駐車場も満車になることもある名店です。

内も外も落ち着いた店構えで、大きな10席くらいの相席の真ん中には、捻れた枯木のオブジェが置いてあります。梅の木だそうで、前の席との視線を避ける心配りを感じました。

おすすめメニューと出ていた焼鴨せいろ、写真映えはあまり良くありませんが焼き鴨5片、焼きネギ3本、鴨つくね1個が入った汁に付けて啜ります。香ばしい濃いめの汁には細めの麺がよく合い、のど越しもよく蕎麦の量も充分でしっかりとしたお昼になりました。
情報によると茨城県内の契約栽培農家から直接そばの実を仕入れ低温貯蔵庫にて保管、毎日使用するそばの実だけを店内にある石臼で挽いているということです。

梅いろいろ③…水戸の梅まつり

2019年03月08日 | 水戸の観光

後水尾天皇が”花も香りもよく果実も佳なりとの意にて命じ給いしもの”と伝わる「花香実(はなかみ)」は、その通りの大きな実のなる野梅系の銘花です。(偕楽園田鶴鳴梅林)

「淋子梅」は杏系豊後性の不結実種、外側の花弁は卵円形で内側の花弁は楕円形やヘラ状をして周辺が小さく波打つ特徴があります。私の図鑑では来歴不詳と出ていますが、「綸旨梅(りんじばい)」のことで後水尾天皇由来の「花香美」である、また村上天皇と紀貫之の息女の故事が出てくる「鶯宿梅」の異名などという説もあります。(偕楽園)

「巻立山」は紅白咲分けと出ていますがまだ紅花は見つけたことがありません。花弁より長い雄しべが目を惹きます。李系難波性、不結実種とされています。(弘道館)

「藤牡丹枝垂」は豊後系ですが実はほとんど生りません。花の色は淡紅色で、蕾は紫色を帯びます。枝垂れの八重咲の代表的な品種です。個体差により花の色は違いも相当あり薄いものが多く見かけられますが、これはいちだんと濃い色です。(偕楽園田鶴鳴梅林)

「紅冬至」は野梅性の中輪。開花が早く、花つきがよいため正月用の盆栽として人気があります。(偕楽園田鶴鳴梅林)

「月の桂」は野梅系の一重、六弁花もあると図鑑には出ていますが、これは10枚以上に見えます。同じ仲間の月影と似ていて、その違いが雑草さんのブログに詳しく載っていますが、月影にも六弁花もあるそうで見分け困難のようです。(弘道館)

「東雲」です。「鈴鹿の関」「関の守」などとおなじ李系紅材性の結実種、花弁の真ん中が薄っすらと紅くなり、赤い筋が入ったりする底紅の花で混同しやすい仲間です。(偕楽園)

弘道館の鹿島神社境内の「鈴梅」です。神社の案内板によると、斉昭公が鹿島神社の右手に酒の香がする白梅「酒梅」を、左手に紅梅「緋の司」と白梅「鈴梅」を植えて歌を詠んでいる、酒梅と緋の司は戦災で枯木となると書かれています。相当の古木ですが異論もあるようです。
春めでし花もえならず神垣におふる鈴梅なるとこそきけ
白妙もあかきも花の色に出て神をとうとぶ心見えけり
しらたえにあけに匂へる梅の花心の色は神ぞ知るらん


「品字梅」には雌しべが4本見えます。これが結実して実が3個固まった姿を「品」の字に見立てたのが命名の由来です。偕楽園のホームページでは「座論」「八房」とも呼ばれると出ていますが、図鑑で見ると座論(紅)に似ています。(弘道館)

「蝶羽形(ちょうのはねかた)」という名札が付いていました。「蝶羽重(ちょうのはがさね)」は出ていますが、図鑑では見つかりませんでした。脱皮したばかりの羽のようには見えますが…。(偕楽園田鶴鳴梅林)

「里見紅」は豊後系、花弁の数が多く、内側へ入るほど小さくなり白い覆輪も見えます。(偕楽園田鶴鳴梅林)

現在は付いていませんが「塒出の鷹」と名札が出ていたという梅、苗の段階での間違いのようだと雑草さんのブログに出ています。名前はともかく薄紅の絞りのようで味のある花です。(偕楽園田鶴鳴梅林)

「未開紅」は野梅系の八重、名の由来は本願寺門主の乗如上人が有馬温泉入湯の折、梅の蕾の紅色が特に美しいのを見て名付けたと言われます。開花のとき、1,2弁咲き遅れるからという命名の説もあります。有馬温泉の林渓寺に樹齢二百数十年の古木があるそうですが、原種は京都誓願寺長仙院にあるものといわれています。(弘道館)

烟田(かまた)城址…佐竹南方三十三館仕置で落城

2019年03月03日 | 歴史散歩
鉾田市の烟田集落の上部台地に位置する烟田城址は、約360年間この地の雄として君臨した烟田氏の居城です。
築城年代は明らかではありませんが、13世紀前半、常陸平氏大掾一族の徳宿秀幹は子朝秀に烟田・富田・大和田・生江沢の四ケ村を譲り、朝秀が烟田氏を称したのが始まりといわれます。

文明18年(1486)水戸城の江戸通雅は徳宿城を攻め、烟田入道は徳宿氏へ加勢しましたが城は陥落、入道も息子共々討ち死にしてしまいます。(弊ブログ「大軍の前に落城…徳宿城」掲載)その後も烟田氏は戦国の世を生き残りましたが、18代烟田通幹のとき天正19年(1591)、他の大掾一族の城主たちと佐竹義宣に常陸太田へ兄弟で呼ばれ、全員一緒に謀殺されてしまいます。城主不在の城もすぐに押し寄せた佐竹氏の軍勢に攻められ落城し、鹿島地方の常陸大掾一族は滅びました。

常陸54万国の太守になった佐竹氏の陰惨な歴史の1ページ、いわゆる「佐竹氏の南方仕置三十三館」は、内原町の和光院過去帳に「天正19季辛卯2月9日於佐竹太田に生害の衆、鹿島殿父子、嶋崎殿父子、玉造殿父子、中居殿、烟田殿兄弟、相鹿殿、小高殿父子、手賀殿兄弟、武田殿、已上16人」という記載があり、実際に大田城で殺害されたのは9氏16人と言われます。三十三館とは数の多さを表す数字で、残った一族の他の城もすぐに佐竹の軍勢に攻められことごとく落城したということです。

明治になって新宮小学校の敷地になり、また南側道路の造成により空堀、土塁が崩され僅かな土塁や堀跡が残るのみです。その校庭南側には土塁が残り案内板も建っています。

Ⅱ郭の南は急峻な崖になっていて北浦に続く水田地帯を見下ろしています。

Ⅰ郭西側の空堀の跡、小さな社が建っています。

Ⅰ郭東側の急峻な土塁です。

天台宗の無量山西光院、鎌倉時代烟田氏の建立とされ、廃城となった烟田城跡の東の部分に天正20年(1592)移転してきたとされます。参道の両脇に土塁の跡があります。

須佐之男命を祀る氷川神社は、Ⅰ郭跡の新宮小学校校庭にある珍しい神社で生徒たちに大切にされていると学校のホームページに出ていますが、全校生徒約70人のこの学校は今年で閉校になるそうです。江戸時代に旗本渡辺氏が勧請したそうなので当時この地方は旗本領だったようです。

Ⅰ郭奥の藪の中に白さが際立つ野生の梅が咲いていますが、佐竹の軍勢に一気に踏み潰された歴史を語ってはくれません。

後日、北浦方面から撮リました。左中央の平坦地は、Ⅱ郭の南側になります。