毎週日曜夜6時半から、TBSでやってる番組
「夢の扉~NEXT DOOR」 が、なかなか面白い。
「夢の扉」番組HP
4月23日と30日に放送されたカンボジアの地雷撤去を
市販のバックホーという重機(ユンボとも言う)を改造した機械で、
安全に行えないか?という挑戦をしている日本人(雨宮清さん)の特集だった。
もともと建設機械の販売修理会社を経営していたのですが、
仕事の関係でたまたま立ち寄った内戦の続いたカンボジアで、
足を地雷でなくした子供達の姿を見て、
自分の持ってる技術や能力を生かして
「なんとかできないものか?」と考え、
チラシの裏紙にイメージ図を書いたところから、
試行錯誤を重ねて改良し、今や何十台も実際に使用して
作業が行われ、危険な地雷地帯が畑に変わって生活の糧となっている。
「可愛そう」という感情は誰でも持つんだと思うのだが、
そこから「自分に何かできないか?」という発想に到って、
それを実現していくのってなかなか出来そうで出来ない。
よく「ボランティア」って簡単に言うけど、
もともとの意味でのボランティアってのは、
僕らがイメージしてる「無償の奉仕活動」とは違う。
語源はラテン語の「Volo(個人の自由意思で自発的な行為を行う人、の意味)」と言われています。
また、「自らすすんでする、任意の」という意味の
「Voluntus」「Voluntarius」に人を表すerをつけて、「Volunteer」(ボランティア)になったとされていて、
「Volunteer」には志願兵とか義勇兵から来ているようだが、
戦争は別としても、あくまで強制されない
「自発的・自由意志」なのであって、偽善とはまったく意味が違う。
日本では寄付とか寄贈って時に、かならずその団体の代表などが、
新聞記者の前で大々的な授与式なんてものをやってしまうが、
そーいったものは、ボランティアでもなんでもなく、
ただの名誉を得るためのパフォーマンスに過ぎない。
食料援助とかってのも、その場凌ぎの助けには
なるかもしれないが、単に食事だけを配っても、
何も解決できないと思う。
自分達で自給できる環境づくりや技術を伝えることの方が、
どれだけ意味があるだろうとちょっと思っていた。
「世界の地雷を全て撤去する」という夢を語った
雨宮さんの自発的な強い意志と行動力に
敬服すると同時に涙が流れてきた。
僕らは何もしないことも自由だが、
出来ることをする、やれることをするという自由
もあることを忘れていないだろうか?
かと言って、今すぐになんか始めてみようたって、
自分のことで精一杯なのだけど、
少なくとも何かを感じる意識だけは、忘れないようにしたい。
「夢の扉~NEXT DOOR」 が、なかなか面白い。
「夢の扉」番組HP
4月23日と30日に放送されたカンボジアの地雷撤去を
市販のバックホーという重機(ユンボとも言う)を改造した機械で、
安全に行えないか?という挑戦をしている日本人(雨宮清さん)の特集だった。
もともと建設機械の販売修理会社を経営していたのですが、
仕事の関係でたまたま立ち寄った内戦の続いたカンボジアで、
足を地雷でなくした子供達の姿を見て、
自分の持ってる技術や能力を生かして
「なんとかできないものか?」と考え、
チラシの裏紙にイメージ図を書いたところから、
試行錯誤を重ねて改良し、今や何十台も実際に使用して
作業が行われ、危険な地雷地帯が畑に変わって生活の糧となっている。
「可愛そう」という感情は誰でも持つんだと思うのだが、
そこから「自分に何かできないか?」という発想に到って、
それを実現していくのってなかなか出来そうで出来ない。
よく「ボランティア」って簡単に言うけど、
もともとの意味でのボランティアってのは、
僕らがイメージしてる「無償の奉仕活動」とは違う。
語源はラテン語の「Volo(個人の自由意思で自発的な行為を行う人、の意味)」と言われています。
また、「自らすすんでする、任意の」という意味の
「Voluntus」「Voluntarius」に人を表すerをつけて、「Volunteer」(ボランティア)になったとされていて、
「Volunteer」には志願兵とか義勇兵から来ているようだが、
戦争は別としても、あくまで強制されない
「自発的・自由意志」なのであって、偽善とはまったく意味が違う。
日本では寄付とか寄贈って時に、かならずその団体の代表などが、
新聞記者の前で大々的な授与式なんてものをやってしまうが、
そーいったものは、ボランティアでもなんでもなく、
ただの名誉を得るためのパフォーマンスに過ぎない。
食料援助とかってのも、その場凌ぎの助けには
なるかもしれないが、単に食事だけを配っても、
何も解決できないと思う。
自分達で自給できる環境づくりや技術を伝えることの方が、
どれだけ意味があるだろうとちょっと思っていた。
「世界の地雷を全て撤去する」という夢を語った
雨宮さんの自発的な強い意志と行動力に
敬服すると同時に涙が流れてきた。
僕らは何もしないことも自由だが、
出来ることをする、やれることをするという自由
もあることを忘れていないだろうか?
かと言って、今すぐになんか始めてみようたって、
自分のことで精一杯なのだけど、
少なくとも何かを感じる意識だけは、忘れないようにしたい。