裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

G.W前後の週刊「裏ユキヒロック」

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
ということで、コピペ完了。

うー、めんどくせー。

何度もお願いしてすんませんが、
良かったら新しいブログの方に登録して下さい。

メールで招待状を送ります。

絶対に悪いようにしませんよ・・・って、書けば書くほど怪しいのかな?


それまで、もう少し週刊「裏ユキヒロック」スタイルを続けていきますね。

でも、ほんとにいつも遊びに来ていただいてありがとうございます!!

三条祭り 5/15

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
いよいよ、三条まつりだ。

あ、京都じゃないよ、
地元の新潟の三条市ってとこのお祭り。

毎年、5月14(夜店)・15日と決まっている。

参加しやすいようにとか、
来場者が来やすいようにとか、
そういう配慮で、その年によって、週末に合わせてしまう
地方のお祭りは多いと聞きますが、
毎年一日ずつずれてしまうのって、やっぱ意味ないと思う。

「祭り」ってのは、本来、雨乞いとか無病息災とか
豊作祈願とかお祝い、神社仏閣の宗教的な儀式
なんだろうけど、日にちを変えたり、
お子様向けの不必要な演出をするあまり、
だんだん形骸化して、「本来の意味」がなくなって
しまうことがある。

それに祭りってのは、コミュニティの次世代を担う
若者たちにとって「晴れ舞台」的な意味もあったのかも、
夏休み明けに大人しかった子が突然、
金髪になって通学してくる「高校デビュー」とかって、
昔は「祭り」だったのかもしれない。

最近、三条祭りにはなるべく顔を出すようにしているが、
当然、顔見知りにも会うのも楽しいけど、
一番の楽しみは祭りの「音」だ。

笛の音とかお囃子とか、「生」で聞くとすんごく
迫力があっていつも感動する。

この歳になっての「お祭り」は、
もちろん、ノスタルジックなんだけど、
その歳にならないと気が付かない、
新しい発見も多くていいもんだ。

機会があれば、皆さんも祭りに出かることをお薦めします。

って、本当は参観でなく、参加する方が何十倍も楽しいのだろうな~。

来年あたりは、祭りのお手伝いをさせてくれと、
ちょっとお願いしてみようかな。

写真は2004年のもです。

小さな時間と大きな時間

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
例年だと、4月末から植え始めるのだが、
今年は苗の成長が遅くて、
G.Wの後半から植え始めた所が多かったようだ。
確かに4月は寒かったからなー、新潟。
仕事もひと段落していたのでかなり暇な連休だったのだが、
結局、5月5日の一日間しかお手伝いが出来なかった。

結婚前までは、私はまったく農作業の経験はなく、
14年くらい前に実家が農家をしている妻をもらってから、
手伝いをするようになった。

おそらく14回くらいは経験している
「田植え作業」なのだが、毎年が新鮮だ。

「春・夏・冬・中」と書いて「商い中」と読ませるのは
無理あると思うが、 
毎年、4つの季節の繰り返しでしかないのに、
1年の月日の過ぎ行く早さに驚く。

農作業ってのは季節と共に、そして毎年、毎年同じ
サイクルを繰り返す。

普段、何分とか何時とかの時計で現される
「小さい時間」というものに追われたり、
流されてばかりいて、
なかなか何十年とか何百年という
「大きな時間」のことを忘れてしまう。

何気なく立っているそこらへんの木々だって、
何十年、何百年ずっとそこに立ち続け、
厳しい夏の暑さや冬の寒さにも耐え、
無言で日々を生きている。

農業を手伝うことによって、
すごくそういう「大きな時間」というものを
感じることが出来て、ハっと我に帰ることがある。

人間も何十年、何百年のサイクルの中で、
血としてというか、やっぱ親があって子がいて、
生き物として代々、繋がって生きてるんだよね。

「大きな時間」の中で考えれば、
人から人へ命の橋渡しの役目を負ってると言える訳で、
粗末にしてよい命なんて何処にもないんだよね。

「ただ、生きてるだけで素晴らしい仕事をしているのだ。」

あれ?俺、今日はなんだか

「声に出して読みたい日本語」モードだな。

・・・ちょっと、落ち込んでるだけなんだけどね。

言葉ってのはつくづく「難しいな~」と思う訳で、
でも言葉でしか伝える手段はないのです。

「言葉を どうとるか?」

ってのは相手次第の部分はあるが、
伝える側の文章力という力量は別としてもなるべく、
美しい言葉を使うべきだな~と。

パソコンが普及して便利になったと言われても、
結局、逢って目を見て話さない限り、
絵や文章でしか伝えることはできない訳で、
メールとかさ、一見すると便利なツールのようですが、
すんごい「制約」の中でしか、
コミュニケーションはとれない道具だ。

何故?思ってることが十分に伝わらないのだろう?

よーく考えて書くので、電話よりは深い内容が送れる
メリットもあるはずなのだが・・・。

でも、僕は間違ってるとは思わないし、
正義が必ずしも正しい訳でないことも理解できる。
正しいってのは痛みを伴うから・・・。

でも、いつかきっと伝わる日が来ることを信じてます。

大きな時間の中で考えれば、
今の僕の憂鬱なんてちっぽけな、
ひと雫の露が葉っぱから落ちただけだ。

武士道 パート2

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
読まずに食べたら白ヤギさんや、黒ヤギさんになっちゃうので、
昨夜、ブックオフで「武士道」を探して読んでしまいました。

200ページ程のすんごく読みやすいボリュームだったので、
昨夜、音楽聴きながら、3時間くらいで読んでしまいました。
(ちなみにBGMは、時計仕掛けのオレンジのO.S.T うーん実に、ミスマッチ)

読まずに書いた昨日の感想文(夏休みの宿題か?っつーの)
は、かなり良いセン行ってました。
イイエテミョウって言うのかな?(自画自賛)

原書は英文で書かれた本であり、まー、僕の場合、
海外生活も長かったから英文で読んでも
全然、構わないのですが、やはりここは訳書でお願い致します。
(嘘よね~ん、俺がまともに英文読める訳がね~よ!
海外なんて佐渡ヶ島くらいなもんさ(W )

もともと「武士道」というモノは憲法や法度として、
文章化されたものではなく、武士の時代が生まれた
700年くらい前から徐々に自然発生的に生まれたモノなので、
なかなか「武士道とはコレだ!!」という書物も少ないそうです。
で、新渡戸さんの奥さんはアメリカ人でしたし、
あの時代では貴重な「国際人」で博学者でもあり、
キリスト教の宗教家の側面を持っていた。
なので、外国人に「武士道」を説明するために、
あらゆる国のあらゆる文学や、政治家の言葉や、思想と比べて
説明してくれているので、一方的に「武士道」の良さだけを
述べるのではなく、公平かつ広義的に分析されていて、
現代人である僕らにとって、すんごく親しみやすい内容になっていました。

あー、明治の頃の日本人って、情報も交通手段もないはずなのに
「よくもこんなに勉強していたのだな~」と、
明治の人ってすげ~な~~~~
至極、感心しきりで帽子は被ってないけど「脱帽」であります。

実は、この本が「近代日本を救った」という史実があるそうです。

日新戦争で、欧米でも脅威とされていた中国の大国に
勝ったという、ちっぽけなアジアの片隅の島国は、
どうして勝ち得たのかをこの書物が欧米人達の
「JAPON」という国を紹介する教科書になったようですし、
その後の「日露戦争」では、あと1年、いや半年も戦争が長引けば、
戦況的に完全に日本の敗北は決まっていたと後に分析されてる
ようですが、その仲介役に立ったアメリカ大統領のルーズベルトは、
「日本の事はよく知らないが、武士道は知っている」と、
この本を愛読し、知り合いにも配るほどの親日家というか、
親「武士道」家だったそうで、喜んで平和条約締結の仲介を果たしたそうです。

「たった一冊の本が 国をも救う」

♪武勇伝 武勇伝 武勇 デンデンデデンデン

いなちゃん カッコイイ~!! カッキーン!

武士道について、なるべく主観を排除し、
異文化に優しく、誤解をされぬよう配慮されているし、
ちゃんと武士の妻である、女性についても平等に描かれていて、
なんだかフェミニーで、ピースフルな一冊でした。

もともと戦闘集団であった武士は、平和のために戦い、
争いごとを避けるために、あえて一番難しいとされる
禁欲的な生活を実践し、民の見本となり尊敬されるべく生き、
そして誠の忠義の為には死をも恐れなかったのだ。

俺、単純で感化されやすい男なので、
暫く「武士」気取りかもな~。
ヤクザ映画を観終わって、肩で歩きながら
映画館出てくる人と同じだなー。(笑)


あと、この本はちょっと宗教くさい点も、
いささか鼻につきますが、
ある意味、武士道ってのは日本人の無拝的な
信仰、宗教と同じような役目と捉えることもできるようです。

僕は無宗教ですが、
それは自分の中で必ず答えを見つけることが
できると思っていて、誰かに教えてもらうモノではないと
考えています。
なので、「祈れば救われる」とかさ、
「唱えれば守られる」とかさ~
そういうの非常に疑問に思っている訳ですよ。
「神頼み」っていうけど、もうその時点で負けじゃん。
なにもかも他力本願でいいんだろうか?っつー。

あ、いけない、簡単に宗教の話とかあんまし
しちゃいけないんだよね?
(僕は別にそんなに怖がることは無いと思うんだけさ)

言いたかった事は、宗教がどうとかでなく、
結局、「何か骨みたいな芯」を心のどっかに
ちゃんと持っていないと、人間は弱いから「ブレ」ちゃうんだよ。
一旦、嘘をつくと嘘に嘘を重ねていくしかなくなるように、
考え方や判断がブレてしまうと、どこまでも的が外れていくんだよね。

的外れってのは、非常に「はた迷惑」なんだよなーって事です。「悪」だとも「罪」だと言い換えてもいいけどさ。

そして、なにより共感できる点は、
「武士道」ってのは「実践」なんだそうです。
頭だけで考えるんじゃなく、あくまで実行してこそ
初めて価値が生まれるんだってさ。

いいね、素敵!

よっしゃー、ダイエットすっか~みたいな。
(オチはいっつも同じ)


ちなみに、綺麗な新古だったけど、ブックオフ価格300円也。
日本を救った本なのに・・・・やっす~!

・・・なんだかな~♪(@阿藤 快)

飛べない豚は ただの豚

2006年05月15日 | つまネタ
お久しぶりのつまネタです。

僕の奥様は、3つ年上の女性(当たり前か?)なのですが、
僕も相当の天然ボケですが、更に輪をかけた天然さんで、
いつも我が家を大爆笑の渦に巻き込む。

ある意味、僕は尊敬している天然の神さま
・・・でなく、ただのカミさんなんだけど。(笑)

ボケは止まる事を知らず、日常茶碗箸not茶判事なので、
うっかりすると忘れてしまうことが多くて、
仕方なく書き留めておくことになってしまいました。

ここに移って来たのを記念して、つまネタR(リターンズ)
として此の度、(頭の中が)めでたくも復活させて
いただくことと相成りました。

>うお~、前フリなっが~!

ま、大したネタではないのですが・・・あんまし期待しないでね。


昨夜、娘の宿題に「動物の出てくることわざ」ってのを
調べてくるようにと言われたそうな。

チラシの裏に書き留められた、
母親の間違いだらけの「ことわざ集」に驚愕した。

中でも一番笑ったのが・・・


「豚も真珠」


>おいおい!豚は真珠じゃねーよ!

セイセイセイ~

豚が真珠なら、猪はダイヤモンドですか? フォー!!

惜しいんだけどね、一文字で全然意味違うから~

「え?もしかして(豚体型の)俺って真珠だったの?」みたいな~


ん・・・待てよ・・もしや?
 
誉められてんのかな?(笑)


って、♪飛べない豚は ただの豚だぁぁああー!

武士道

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
今、すんごく気になっている本がある。

この連休中に読みたいと思っていたが実行出来ずじまい。
思うことなら誰でも出来るんだけど、実行しなきゃ意味ないのよね。

その本とは、旧5千円札で有名な
新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)著

「武士道 Bushido : The Soul of Japan」

「国家の品格」とかいうなんだか一見、右翼的なイメージを持つ
本が売れてるようだが、未読&又聞きで「何をえらそな事を言う!」
と怒られそうですが、ベストセラーなんてもんは、
所詮その程度で十分なのですよ。

↓国家の品格を要約した人のブログ
http://aquar.txt-nifty.com/sts/2006/03/post_f32c.html

私の薄い頭で更に要約させていただくと要するに
--------------------------------------------------
「理論」ってのはあくまで理屈でしかなく、
理屈じゃない、常識とか道徳とか品位みたいなものが
無いと答えは出ない。
--------------------------------------------------
著者は意外と数学者というのが一番の驚きであった。


で、日本の常識・道徳・品位ってのは何か?
そもそも「武士道」というものがあったじゃん?
誰が教えた訳でもなく、強制させられた訳でもないし、
全員が武士だったはずもないのだが、
「そこまで やっちゃいけないんじゃない?」
という見えないモラルってのがあったじゃないの?
それが外国の「合理主義」ってのでは片付かない、
良き文化であったのではないか?ってことだ。


それを自分の狭い範囲で置き換えた時に、
ずっと不思議に思っていたことの答えのヒントが
その「武士道」にあるように思えた。

「男は一歩 外に出れば7人の敵がいる」

なんて言われますが(7人でいいんだよね?確か)
どこから7人と言う統計が?ってのは別にしても、
常々、自分でも何故なのか解らないのだが、
口も聞きたくないような、もの凄く嫌な敵が居るのです。
会社や自治会・・何かしらの集団に属してると、
必ずと言ってよいほど存在しちゃう。

私は自分で言うのも甚だオカシイが、
内弁慶なとこはもの凄くあるし、全然ダメダメな男ですが、
(こう見えて、家じゃものすんごく威張ってるのよ)
外では相当、温和で人付き合いを重んじ、
結構、初対面でも誰とでも仲良くできるタイプだと思っている。
土足で踏み込みすぎる帰来はあるが、自分を曝け出し、
人の懐に入ったりすることも得意な方だ。

まーある意味、(ふっとっちょ)体型で、
唯一 得をしている部分も無きにしもあらずなんだと思っていた。

なのに・・・必ず敵が出来ちゃうのって何故?
ってのが不思議でならなかったのです。

でも、かならず原因があって解決する答えがある
はずだと思うわけですよ。
きっと、自分では気づいてない欠落した重要な部分。

じゃ、まずは「武士道」とは?
---------------------------------------------
それは手に触れる姿や形はもたないが、
道徳的雰囲気の薫りを放ち、
今も私たちをひきつけてやまない存在であることを
十分に気付かせてくれる。

新渡戸稲造『武士道』より
----------------------------------------------
【主な武士の精神】

『義』…義とは、正義、正しい道のこと。
『勇』…勇とは、正しいことをすること。
『仁』…仁とは、「武士の情け」と言われているように
悪に情けをかけること。
『礼』…礼とは、低くなること(自分を主張しない)。
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とあるようですが、(ちゃんと本を読んでから言えよ~)

自分に欠けてる重要な勘違いな点は「仁」である。

敵ってのは、自分からしたら「悪」な訳じゃない?
(ま、逆に相手からすれば自分が悪なんだけど)
「悪に情けをかけること」って自分の中には
絶対にない発想だったのですよ。

いつもは温和でいたいと心がけてるつもりでも、
自分の中にあるモラルに反した相手には、
「てめぇーが、やんなら とことん戦うぜ!」
とスイッチを入れちゃうタイプなのだ。

決して自分から戦う姿勢でいるつもりはないが、
いざ、「こいつダメじゃん!」というスイッチが
入ると徹底的に「敵」にしちゃう。

まー、その相手は大抵が、皆から嫌われてる、
語るに当らないような、どうしようもない人なんだけどさ。

「悪に情けをかける」ってのは、
あくまで「悪」を容認してもイイってことではなくて、
嫌われ者ってのはさ、空気を読めない馬鹿野郎と言いますか、
只、単純に誰彼構わず喧嘩売って自分の存在意義としてるのだと思う。
そんな陳腐な存在な訳で、そんなものを敵にしてしまうのって、
馬鹿に馬鹿で答えるようなもんじゃない。

「何故、自分はそんな無用な戦いをしてしまうのか?」

ということになるのですが、
それは相手に「隙」を見せてしまっている
という「自分にも非がある」訳ですよ。

例えば、生きてる時代が違って、自分が武士だったとしたら、
互いに凶器である「真剣」という刀を常に腰に差してる訳じゃん。
何か粗相があったら殺されちゃう訳ですよ。
喧嘩なんかしたらその場で、死ぬか生きるかの問題。

無用な喧嘩を回避するためには、
自分はコレだけの剣の使い手である。
いざ喧嘩になったら「切っちゃうよ~」と言う気合というか、
凄みというか、緊張感ってのが普段の謙虚な
立ち振る舞いのどっかに見せてなきゃ、
空気読めないどこぞの馬鹿は、相手が弱いのか強いかも解らず、
むやみやたらに真剣振り回して切りかかってくるのだ。

つまり、相手にそういう「隙」を見せることによって、
相手も死んじゃうという不幸にしちゃう訳です。

「悪に情けをかける」って、
そういう意味なんじゃないかと思ったのだ。

「誰からも良い人」でいるのは構わないけど、
ある種、そういう「隙」を見せてることになってやいないか?
という反省ですね。

先に「太ってるのってちょっと得かも」じゃなく、
そういう「見た目」だけでかなり「隙」だよね。
太ってる事が必ずしも良いことではないのでした。

まー、「なら 痩せたらええんちゃうの?」

やっぱりというか、そうだよねという
結論に至る訳ですが、これからは少し「隙」を見せないことも
大事かもな~って思ったのです。

で、もっと常々不思議に思っていた事のヒントが
沢山隠されてるような気がしまして、
一度は「武士道」って本をきちんと読んでおきたい
という話に戻ります。

解りやすく説明しようと思えば思う程、
難しくなっちゃうので申し訳ないが、
すんごく自分の中では合点がいったのでした。

意味 通じたかな?

長々とご静聴ありがとうございました~!(笑)

あ、一応、「G.Wにしたかったのに出来なかったのよ~」
で、昨日の話の続きでもあるのでした。(コジツケ)

洗車して ワックスかけて 陽が暮れる

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
俺、大人になったらさ~、
絶対に「あーは なりたくない」ってのがあってさ。

え?体型?

いや、それもあんだけど~
(って、体型は それ以上になってるやん)


「休日に洗車して一日過ごす大人にはなりたくない!!」

ま、「そんなツマラナイ大人になりたくない!」っていう
比喩なんだけどね。

かのMOTO SANOさんも「ガラスのジェネレーション」で
歌ってましたよね。

僕もすっげー右手のコブシを挙げて歌ってましたわ。


で、やってしまいました・・・この5月3日。
よりによって、ゴールデンウイークのド真ん中。

何が楽しくて
「洗車して ワックスかけて 陽が暮れる」ってやつ。

(まー正確には2~3時間くらいなんだけど、
どうしても575の川柳にしたかったのですよ。)


実はその日は天気も良く、
近くのお手軽ハイキングがてら「山に登ろう!」と思っていて、
子供達にも前日から
「ええ~い!四の五の言わず、わしについてくるのじゃよ!」と、
殿様気分で「オフレ」を出していたのですが、
この春から中学生になった長男は午前中の「部活(卓球)」の後に、
その部活仲間がチャリで迎えに来て、
公民館に卓球をしに行くことになってしまい、すっかり予定変更。

「あー、俺って、こうやって段々と
ツマラナイ大人になって行くのか~」

と、思ったらちょっと泣けてきた。

子供の予定ひっくり返して、
無理やりでも「山に連れてく」ってのもアリかもしんないが、
自分の子供が元春を歌っていたアノ頃の自分と同じ年代に
なったって現実を噛締めてみるのもまたオヤジとしては
「いいかな~」って思う訳で・・・


なんて、ただ洗車して疲れただけじゃね~かよ~(笑)


洗車の後のビールの美味さを知って、
もう一段、大人の階段を登ったような気がした。

♪ガラスのジェネレーション さよならレヴォリューション
つまらない大人にはなりたくない・・・SO ONEMORE KISS TO ME♪

恒例になりつつある・・・ユキヒ心の俳句(川柳)

「洗車後の 爽やか気分で ビール旨っ~」


・・・そして涙無しでは読めない(嘘)・・・GW話は明日に続く・・・のであった。

SO ONE MORE KISS TO ME!!

節目

2006年05月15日 | ひとりごと・日記
教授と呼んでる会社の先輩と、
車で移動中に話す他愛のない会話が好き。
なかなかの雑学&博学者なので話の内容はかなり濃い。

先日も何かの話の中で、
「<節目>って大事だよね~」って話になった。

竹が成長していく上で、残していくのが節。

「<節>ってのはさ、大きな経験をした時に
一旦付けて残しておくと、またダメになって落ちてく時に
それ以下に落ちないんだよね。」

例えば、結婚式ってあんじゃん。
両親や親戚、友人達の前で二人の結婚を誓い合う儀式じゃない。
あれって、よく考えると豪華なただの「飲み会」
とも言えるんだけど、あれを節目とするならば、
いざ夫婦喧嘩したり、なにかのトラブルがあって、
「離婚」を考えた時に、あの結婚式で皆の前で誓ったことを
否定することになる。
と、考えると少し面倒になり、もう少し我慢したりする
「引っかかり」になることもあると思うんだ。

つまり、ストッパーの役目。

仕事の経験とか、大きな失敗とかも、
ちゃんと自分の中に<節目>として傷をつけて置くと、
次に失敗して後退した時でも、
その節目までは戻ったとしても
そこより下まで戻ってやり直すことはないのだ。

だから「<節目>って大事なんじゃないか?」
って話です。
失敗した時は、きちんと落ち込んで、自分の中に2度と同じ過ちはおかさないと、
ちゃんと、傷をつけておくべきなんだ。

ブログ(日記)ってのもそういう意味では
毎日自分の中に「節目」をつける作業なんだと思う。
時々、読み返すと吃驚するときあるもんね。

「俺ってこんなことを考えていたのか~」ってさ。

僕は必ず体重計に乗った時は、
<節目>じゃなく<薄目>を開けて数字を読むけどね。
(薄目で数字を読んだところで減る訳はない。)

引き算を知らない男こと、
ユキヒロックのちょっと良い話でした!

そういえば、昨夜、初モノである地の竹の子を食べた。
旬のものはほんとに美味い。
出始めの竹の子は臭みというか青い臭いは
強いけど、じつに柔かくて刺身でいけそうでした。
今日のお昼も竹の子御飯です。

涙出そうなくらい うめ~っつーの。