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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

幸せのベクトル

2007-11-09 00:09:00 | 日記
 最近のニュースを見ていると、人々の行動から道徳心が抜け落ちてしまった感じることが多い。

 自分の思うとおりにならないといじめる、殺す、自分が病気になる、プッツンする。怒りの処理ができない、子供のまま年齢だけが大人になった人が多すぎる。

 そこで、この日記サイトを始める前の日記に書いたことのある記事だが、マンデラの話をもう1回ここで思い起こしてみたい。

 <クリントン元大統領の「マイライフ」下巻よりの抜粋>

 クリントン「牢獄にあなたを入れた人を憎みましたか?」
”Of course I did for many years. (中略)I hated them. Then one day when I was working in the quarry hammering the rocks, I realized that they had already taken everything from me except my mind and my heart.”
 <憎んだよ。でもある日、気づいたんだ。彼らは、全てを奪えても僕の心は奪えないと>

クリントン「最後に牢獄から出たときに、また憎しみがこみ上げてこなかったのですか?」

 “Yes, for a moment I did. Then I thought to myself 'They have had me for twenty-seven years. If I keep hating them they will still have me.' I wanted to be free and so I let it go.”
 <瞬間は憎んださ。でも、考えたんだ「27年も僕を拘束したんだ。憎み続けたら、彼らに支配されたままだ」と。自由になりたかったので、僕は憎しみを捨てたのさ>

 マンデラは、許すことによって、憎しみからの支配を断ち切って前進する道を選んだ。

 人は許すのが非常に下手だ。許す心がないと、実は自分もがんじがらめになって前進できないことに思い至らない。
 世界の各所で、憎しみ報復の連鎖が断ち切れない。
 国内をみても、いじめ問題の根底に、加害者も幼児虐待やいじめを受けていたケースが多いとも聞く。
 救いのヒントは、許しだろう。
 
  そして、さらに思い出すのが、マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉だ。
 憎しみを抱き続けることが、幸福への道を阻害することも事実だが、憎しみよりもっと残酷なのは無関心だという。

  ノーベル平和賞を地雷禁止国際キャンペーンで受賞したジョディ・ウィリアムズは言う。
「今、世界人口65億人のうち、13億人が世界の資源の80%をしよう管理し、一方で40億人が1日2ドル以下で生活するという、不平等な社会が存在しています。安全で平和な社会とは、すべての人のニーズを満たすことではないでしょうか。その実現こそ人間の安全保障だと思います」

  日本では現在、平和憲法の改正、PKO活動の拡大が進められようとしているが、兵器で憎しみを生まない平和活動を実現することの不可能を、どうして人間は理解できないのだろうか。
  
  先進国の人間は、快適な生活に慣れて湯水のように石油を消費しないと幸せが手に入れられないと感じるが、実は「幸せ地球指標(Hapiness Planet Index)」の1位は南太平洋にあるバヌアツだったことを是非思い出しておこう。

  憎しみを超えて許す心、みんなで地球の恵みを分け合って享受する心が、人間を幸せのベクトルへ向かわせるヒントだと私は思う。 


コメント
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