中区国泰寺町の広島市役所に1965年建立された「広島市公務員原爆慰霊碑」です。
2002年編集した時は碑銘を「広島市役所職員慰霊碑」としていましたが、
当時の浜井市長の碑文に“・・・・本市公務員の霊・・・”とありますので、
2004年に「広島市公務員原爆慰霊碑」と訂正しました。
旧市庁舎は、1945年8月6日原爆による周辺の猛火が南風にあおられ硝子が吹き飛んだ窓から火の粉が飛び込み地下の防衛課などを除き焼き尽くされ廃墟と化し、庁舎内には50~60人がいたが、約30人の方々がその年のうちに死亡されたそうです。
広島市公務員原爆慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
2002年編集した時は碑銘を「広島市役所職員慰霊碑」としていましたが、
当時の浜井市長の碑文に“・・・・本市公務員の霊・・・”とありますので、
2004年に「広島市公務員原爆慰霊碑」と訂正しました。
旧市庁舎は、1945年8月6日原爆による周辺の猛火が南風にあおられ硝子が吹き飛んだ窓から火の粉が飛び込み地下の防衛課などを除き焼き尽くされ廃墟と化し、庁舎内には50~60人がいたが、約30人の方々がその年のうちに死亡されたそうです。
広島市公務員原爆慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
3月31日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり