宗教評論家大角修氏による、平安中期に浄土思想を説いた源信僧都著『往生要集』の概説書。NHK出版「生活人新書」の新刊だ。現代の私たちは、浄土教とは、鎌倉時代の法然上人、親鸞上人のものと思ってはいまいか。しかしそのルーツは源信、その前には平安初期に中国に渡った比叡山の学僧円仁にまでさかのぼる。
法然も親鸞も共に天台宗の比叡山で学んだ学僧だった。だから、比叡山で学んだとき、この源信僧都の伝説的なこの名著を読んでいるはずだ。読まずして浄土教を宣布することは出来なかったであろう。同じ教えを大先輩がどのように説かれたか、それを学ばずして教えを説けるはずがない。
世に遁世僧と言われる官僧をリタイヤして在野で自由に教えを説いた僧たちは鎌倉時代から誕生したと思っていたが、この時代からすでに、源信も比叡山のしきたりから逃れ遁世して『往生要集』をしたためたという。その生き方も法然親鸞の先駆けなのであった。
くわえて、法然親鸞らによってその後、日本仏教のあり方が大きく、良くも悪くも変化していくターニングポイントとなる日本人の浄土教への熱病的と表現される程の広まりを考えると、この『往生要集』というのは、誠に重要な、浄土各宗の人々に限ることではなく、その後の日本仏教にとって誠に意味深い書であると言えよう。
鎌倉時代に浄土教が弘まる素地を造っただけでなく、人の生き死にとはいかにあるのか、インドで説かれた仏教がどのような生命観をもったものであったのかを分かりやすく日本人に浸透させた。往生するとは、死後来世に、仏の浄土に生まれ変わる、輪廻転生することをいう言葉だ。
衆生の一人として誰もが輪廻の輪の中にあって、その生き様によって来世がある、悪いことばかりを重ねて地獄には行きたくない、だからこそ、極楽に往生したいと人々は願ったのである。さらに当時末法の世に至る時期に該当していたことも人々に切実な死生観を迫ったことも影響した。多くの人々が、本当にどこかの世界に生まれ変わるという、輪廻を信じたればこそ、末世にいたり真剣に極楽に往生することを願った。
大角氏は、あとがきで、「仏教徒であれば、来世があると信じて当然だ」と記している。もっとものことである。「しかし、明治以来の近代仏教学では、来世はどうにも扱いかねるテーマだった。そこに大きく失われてしまったものがある。その喪失の暗がりから、カルトと呼ばれる怪しげなものが立ち現れてくるのだろう」とも書いている。人の実際の行い、生き様が、原因し結果する因果応報の生き死にを説くことなく教えが成立するはずもない。
ところで、本書では『往生要集』の各章を丁寧に概説している。はじめに、地獄、餓鬼など六道について述べる。人間界については、人間とは、その肉体は不浄なるものであり、苦しみに満ちている。それに、はかない無常なるものであるとする。
現代に暮らす私たちは、健康ブーム、エステと身体の美を誇り、楽ばかりを追い求め、健康長寿を願う。しかし、この世の真理である不浄や苦や無常が消えて無くなったわけではない。人の生き様をもっと根底から達観するのでなければ、その根本的な思い違い、誤りに気づくことはないだろう。
平安貴族の最高位に昇った藤原道長でさえ、最後には弥陀の浄土に思いを馳せて阿弥陀堂を建立して、さらには出家までしたと本書にある。そうした当時の人々のやむにやまれぬ心情が理解できなければ、「人間として生まれ仏法にめぐり会えたのはありがたい」とは思えないのかもしれない。
そして、阿弥陀浄土の様相を克明に解説し、念仏とはいかなるものであったかと明かす。正修念仏と題して、礼拝、讃歎、作願、観察、回向という五段階の念仏を解説する。いわゆる単に唱えるだけの称名念仏ではない、本来の観想を主とする念仏である。観想では極楽浄土と阿弥陀仏を観じる十六種類の観想法「十六観」を述べる。その中で源信は、白毫の光の観想を重要視している。
続けて、助念の法として、念仏を行とする者の心得が記される。場所の設定から、怠け心の抑え方、止悪修善を勧めたり、罪障の懺悔、魔の退治まで。特に念仏については、寿命が尽きるまで止めてはならない、阿弥陀仏極楽を尊び西に背を向けない、昼夜六回、三回、二回と一定して念仏する、南無阿弥陀仏と唱え、もっぱら心に念じ讃えるなどと細かく注意事項が並ぶ。誠に徹底して念仏を生涯続ける作法が述べられる。ただの一遍、ないし十遍唱えればいいというようなものではない厳しい一生を掛けた行であるということだ。
さらに、特別に日にちを設けて行う常行三昧行などの厳しい修行や法会について述べられる。それから、臨終時の念仏について詳述される。病人を西向きに寝かせ、香を焚き、花を散じて、仏像を見せ、病人は、一心に阿弥陀仏を念じ口にも心にも念じてお迎えの菩薩たちが来迎するさまを思い往生を願う。その死に際に来迎し極楽へ往生する様子を枕元の人に語ることにまで言及している。
往生要集についての解説は以上であるが、源信も加入した念仏集団「二十五三昧会」の過去帳には、死後源信が弟子の夢に現れて述べた内容が記されているという。弟子が極楽に往生できるかと尋ねると、『お前は怠慢であるからできない』と答える。
また、成仏の願いがあれば極楽往生できるかと尋ねると、『願いがあっても、行が伴わなければ往生は難しい』さらに、罪を懺悔し浄土往生の修行に励んだら願いを遂げることが出来るかと尋ねると、『やはり難しいだろう、極楽に往生するのは至難の業である』と答えたという。
私はこれが正しいと思う。だからこそ、みんなが極楽を願った。そんなに簡単に行けるなら、願わずとも行けるであろう。私は、このように本当のことを言わねばならないと思う。どんな時代であっても、世の中の真理から乖離したことを言っていては、人々の信仰は離れていくのではないか。
あとがきに、ダライラマ法王が昨年日本に来たときの講演会での問答が記されている。スピリチュアルブームに毒された聴衆が、「背後霊がいるのですが、どうすればいいか」と質問すると、ダライラマは、『そんなことは知らない』と素っ気なく答える。「私に光を放ってください、会場の皆さんも法王のオーラを浴びましょう」と言う者には、『そんな光は放てません。私は普通の人間です』と答えられたという。
法王は、どのようにこれらの質問を聞かれたであろうか。日本人とはいかに仏教の理解が足りないか。単なる興味本位で、教えを全く理解しようともしない、何の為に教えを垂れたのか、と思われたであろう。
そして、ダライラマ法王の言葉として、『私は仏教徒ですから、来世を信じます。そして、いつまでも希望をもっています』とも書かれている。来世があるとは、希望に通じることだという。死ねば何もなくなるのであれば、この世で希望が叶わないのなら絶望しかない。より良く生きたなら、必ず今世か来世で良い報いが期待される。だからこそ、この人生は大切なのであり、悪いことはできない。
日本仏教徒は、仏教本来の教えの根本に触れた『往生要集』を再検証すべきではないかと、私は思う。この源信の教えを逸脱したところに日本仏教の本来の仏教からの乖離が始まったとも言えるのではないか。
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法然も親鸞も共に天台宗の比叡山で学んだ学僧だった。だから、比叡山で学んだとき、この源信僧都の伝説的なこの名著を読んでいるはずだ。読まずして浄土教を宣布することは出来なかったであろう。同じ教えを大先輩がどのように説かれたか、それを学ばずして教えを説けるはずがない。
世に遁世僧と言われる官僧をリタイヤして在野で自由に教えを説いた僧たちは鎌倉時代から誕生したと思っていたが、この時代からすでに、源信も比叡山のしきたりから逃れ遁世して『往生要集』をしたためたという。その生き方も法然親鸞の先駆けなのであった。
くわえて、法然親鸞らによってその後、日本仏教のあり方が大きく、良くも悪くも変化していくターニングポイントとなる日本人の浄土教への熱病的と表現される程の広まりを考えると、この『往生要集』というのは、誠に重要な、浄土各宗の人々に限ることではなく、その後の日本仏教にとって誠に意味深い書であると言えよう。
鎌倉時代に浄土教が弘まる素地を造っただけでなく、人の生き死にとはいかにあるのか、インドで説かれた仏教がどのような生命観をもったものであったのかを分かりやすく日本人に浸透させた。往生するとは、死後来世に、仏の浄土に生まれ変わる、輪廻転生することをいう言葉だ。
衆生の一人として誰もが輪廻の輪の中にあって、その生き様によって来世がある、悪いことばかりを重ねて地獄には行きたくない、だからこそ、極楽に往生したいと人々は願ったのである。さらに当時末法の世に至る時期に該当していたことも人々に切実な死生観を迫ったことも影響した。多くの人々が、本当にどこかの世界に生まれ変わるという、輪廻を信じたればこそ、末世にいたり真剣に極楽に往生することを願った。
大角氏は、あとがきで、「仏教徒であれば、来世があると信じて当然だ」と記している。もっとものことである。「しかし、明治以来の近代仏教学では、来世はどうにも扱いかねるテーマだった。そこに大きく失われてしまったものがある。その喪失の暗がりから、カルトと呼ばれる怪しげなものが立ち現れてくるのだろう」とも書いている。人の実際の行い、生き様が、原因し結果する因果応報の生き死にを説くことなく教えが成立するはずもない。
ところで、本書では『往生要集』の各章を丁寧に概説している。はじめに、地獄、餓鬼など六道について述べる。人間界については、人間とは、その肉体は不浄なるものであり、苦しみに満ちている。それに、はかない無常なるものであるとする。
現代に暮らす私たちは、健康ブーム、エステと身体の美を誇り、楽ばかりを追い求め、健康長寿を願う。しかし、この世の真理である不浄や苦や無常が消えて無くなったわけではない。人の生き様をもっと根底から達観するのでなければ、その根本的な思い違い、誤りに気づくことはないだろう。
平安貴族の最高位に昇った藤原道長でさえ、最後には弥陀の浄土に思いを馳せて阿弥陀堂を建立して、さらには出家までしたと本書にある。そうした当時の人々のやむにやまれぬ心情が理解できなければ、「人間として生まれ仏法にめぐり会えたのはありがたい」とは思えないのかもしれない。
そして、阿弥陀浄土の様相を克明に解説し、念仏とはいかなるものであったかと明かす。正修念仏と題して、礼拝、讃歎、作願、観察、回向という五段階の念仏を解説する。いわゆる単に唱えるだけの称名念仏ではない、本来の観想を主とする念仏である。観想では極楽浄土と阿弥陀仏を観じる十六種類の観想法「十六観」を述べる。その中で源信は、白毫の光の観想を重要視している。
続けて、助念の法として、念仏を行とする者の心得が記される。場所の設定から、怠け心の抑え方、止悪修善を勧めたり、罪障の懺悔、魔の退治まで。特に念仏については、寿命が尽きるまで止めてはならない、阿弥陀仏極楽を尊び西に背を向けない、昼夜六回、三回、二回と一定して念仏する、南無阿弥陀仏と唱え、もっぱら心に念じ讃えるなどと細かく注意事項が並ぶ。誠に徹底して念仏を生涯続ける作法が述べられる。ただの一遍、ないし十遍唱えればいいというようなものではない厳しい一生を掛けた行であるということだ。
さらに、特別に日にちを設けて行う常行三昧行などの厳しい修行や法会について述べられる。それから、臨終時の念仏について詳述される。病人を西向きに寝かせ、香を焚き、花を散じて、仏像を見せ、病人は、一心に阿弥陀仏を念じ口にも心にも念じてお迎えの菩薩たちが来迎するさまを思い往生を願う。その死に際に来迎し極楽へ往生する様子を枕元の人に語ることにまで言及している。
往生要集についての解説は以上であるが、源信も加入した念仏集団「二十五三昧会」の過去帳には、死後源信が弟子の夢に現れて述べた内容が記されているという。弟子が極楽に往生できるかと尋ねると、『お前は怠慢であるからできない』と答える。
また、成仏の願いがあれば極楽往生できるかと尋ねると、『願いがあっても、行が伴わなければ往生は難しい』さらに、罪を懺悔し浄土往生の修行に励んだら願いを遂げることが出来るかと尋ねると、『やはり難しいだろう、極楽に往生するのは至難の業である』と答えたという。
私はこれが正しいと思う。だからこそ、みんなが極楽を願った。そんなに簡単に行けるなら、願わずとも行けるであろう。私は、このように本当のことを言わねばならないと思う。どんな時代であっても、世の中の真理から乖離したことを言っていては、人々の信仰は離れていくのではないか。
あとがきに、ダライラマ法王が昨年日本に来たときの講演会での問答が記されている。スピリチュアルブームに毒された聴衆が、「背後霊がいるのですが、どうすればいいか」と質問すると、ダライラマは、『そんなことは知らない』と素っ気なく答える。「私に光を放ってください、会場の皆さんも法王のオーラを浴びましょう」と言う者には、『そんな光は放てません。私は普通の人間です』と答えられたという。
法王は、どのようにこれらの質問を聞かれたであろうか。日本人とはいかに仏教の理解が足りないか。単なる興味本位で、教えを全く理解しようともしない、何の為に教えを垂れたのか、と思われたであろう。
そして、ダライラマ法王の言葉として、『私は仏教徒ですから、来世を信じます。そして、いつまでも希望をもっています』とも書かれている。来世があるとは、希望に通じることだという。死ねば何もなくなるのであれば、この世で希望が叶わないのなら絶望しかない。より良く生きたなら、必ず今世か来世で良い報いが期待される。だからこそ、この人生は大切なのであり、悪いことはできない。
日本仏教徒は、仏教本来の教えの根本に触れた『往生要集』を再検証すべきではないかと、私は思う。この源信の教えを逸脱したところに日本仏教の本来の仏教からの乖離が始まったとも言えるのではないか。
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