保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ
中央大学国際情報学部教授で、比較宗教学、比較文明論、インド思想を専門分野とされる保坂俊司先生の新刊、ちくま新書『インド宗教興亡史』を拝読させていただいた。保坂先生の著作については、これまでにも何度か紹介させていただいてきた。前回は『梵天勧請思想と神仏習合に学ぶ』と題して紹介させていただいた。
梵天勧請として語り継がれるエピソードについて、それは、ブッダの覚りが仏教となるためには他者からの働きかけが不可欠であったことを示すのと同時に、それは他宗教と対立するのではなく融和融合共生を計ろうとする仏教の根本的な姿勢を表しているとされた。仏教は他者を自らの定着や発展に役立てるという神仏習合思想ともいえるこの根本構造をもつがゆえに、インドにおいては、イスラム教徒の侵攻に際しても融和共生を模索し歩み寄ったことが、結果的にイスラム教に改宗し飲み込まれてしまったのであると推論された。
そしてこの、異なる他者を受け入れ自己犠牲を厭わずに平和裏に共生関係を持とうとする仏教の特質は、現代の様々な宗教間の確執によって抗争する国際間の諸問題を解決し、世界を平和に導く原動力になるのではないかと提唱された。
そして、今回は、今まさに既存の世界構造が崩れようとしている国際情勢にあって、つまり近代以降日本が模倣するモデルとしてきた欧米の優位が大きく揺らぐ現実に、日本人は何をなすべきか。そのヒントとして、インドがあるといわれる。近い将来その存在が一層重要となるはずであるインドの、その文明について理解を深めることは、混迷する世界情勢を乗り切るために重要であるというのである。
ところで、インドについて考えるとき、まず一貫して最重要な要素として宗教の存在があり、様々な民族の交錯する坩堝の中で、それらが相互に影響し合い、総括的にインド文明と呼べる共通性を形成したのだという。
インド宗教を概観すると、まず先住民ダーサの宗教があり、そこに中央アジアから来てインドを支配した異民族アーリア人のヴェーダの宗教が入り、それらが融合してバラモン教となる。そして、その時代にダーサの宗教的伝統に強く影響された仏教やジャイナ教が新たに起こり、それらとバラモン教が並立する時代にイスラム勢力の侵攻があった。その後、インド仏教がバラモン教に併呑されてイスラム教と対抗すべく今日のヒンドゥー教になったと説明される。
第一章「ヒンドゥー・ナショナリズム」では、現在のインド亜大陸における各宗教の人口比からヒンドゥー教徒とイスラム教徒がともに、広大な国土を奪われたという思いをいだいていると分析される。そして現代にもその両者の抗争は継続している。
第二章「ヴェーダの宗教、バラモン教、ヒンドゥー教」では、ヴェーダの宗教からヒンドゥー教に至るインド土着の宗教の変遷が語られる。そして、その底流にある、被征服民が長い間培ってきたダーサの宗教を起源とする「出家と修行」という宗教形態こそが、インド亜大陸に普遍的な宗教の伝統ではないかと指摘される。仏教やジャイナ教ばかりか、シク教、外来宗教であるキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教にもその伝統の影響がみられるという。
第三章「バラモン教とインド仏教」では、インドにおける仏教は、ヴェーダの権威を認めず、ブッダ自らの体験に基づく宗教的確信を自らの言葉で説き続けた、理性重視の開放型の宗教であったと分析される。その後仏教を支える民衆がバラモン文化の構成者なるが故にアートマンに準ずる存在原理を認める部派が生まれ、それに対抗するブッダの精神への原点回帰運動として大乗仏教があり、それはインドに定着した異民族の受け皿として機能する諸文明の要素を融合したハイブリッド仏教であったと定義される。
そしてグプタ朝の復古主義に抗えずバラモン教との共生へ転じた仏教は、さらにイスラム勢力のインド侵攻にも強く影響され密教化するにいたる。そして、バラモン教と融和共存関係を構築した仏教教団はバラモン教に併呑され、反バラモン教的集団はイスラム教に改宗し溶解していった敗北の歴史とみなされるという厳しい見方をされている。
仏教教団はヒンドゥー教の中に融解してしまったが、その後もブッダの教えは確実に伝わり、二十世紀の中葉、インド共和国憲法の草案作成者で、被差別階級出身の偉人アンベードカル博士(1891-1956)が、その独自性に共感し仏教に改宗、新たな仏教の再興運動を起こし、再び仏教はインド社会に開花した。それのみならず、ブッダの平等と平和の教えは、インド民衆の共感を得て大きなうねりとなっているという。
第四章「シク教の理想と挫折」では、十五世紀末に大乗仏教が栄えた西北インドに、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指して生まれた小さな世界宗教であるシク教について解説される。開祖ナーナク(1469-1539)は、この世にヒンドゥー教もイスラム教も区別なく、「唯一の神の教えのみであり、それは真理を御名とし、真理こそ神である、真理以外に神はない」と語り、神の意志の実現として、日常生活において、利己的自我を制御して他者への奉仕を推奨したという。
そして、神はすべてに遍在するとして、常に神を意識して教団内にて倫理的な日常生活を実践することこそ救いであるとした。そして神の意志によって生まれた人間の平等を説き、宗教や出生における差別、性別やカーストなど一切の差別を否定するなど、大乗仏教にも通底する教えを説いたという。しかしその後、ムガル帝国の皇位継承争いに巻き込まれ軍事教団化して多くの悲劇を生むことになるのだが。
第五章「ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教」では、独自の宗教の形態を維持して伝統を遵守してきた三つの小さな宗教について解説される。筆者にはそれら、小さな宗教なるが故の生き残り方に、これからの日本の国際社会での生き方がぼんやりと目に浮かぶ思いがして誠に興味深く読ませてもらった。
禁欲と死をも厭わない苦行を基本とする出家者とそれを支える在家信徒の伝統を守り通したジャイナ教。ゾロアスター教(インドではパールシーと呼ばれる)も独自性を維持したが、出家修行は重視せず、世俗の社会的役割を誠実に果たすことに救いを求める宗教理念により近代化を率先して受け入れ、インドの西洋文明化に貢献した。一方キリスト教は、南インド・ケララ州に多く居住し、コショウ貿易で莫大な利益をもたらすことでイスラム王朝時代にあっても弾圧されずに済んだという。
第六章「イスラム時代のインド」では、世界一律の普遍宗教を建前とするイスラム教のインドならではの多様性を明らかにしている。イスラム教は政教一元であり、多くのイスラム化した地域は短期間にイスラム絶対優位の環境を形成できたが、インド亜大陸にあっては、いまだに少数派であり、その状況に合わせたイスラム思想が発展したのだという。
八世紀初頭から始まるムスリムのインド侵攻には当初から二つの流れがあり、インドの巨万の富を略奪することを目的に攻撃して領域拡大に成功した侵略者としてのムスリムと、それと別にイスラム神秘主義を実践するスーフィーによる地道な布教者としてのイスラムの、この両者によりイスラム拡大がなされた。スーフィーはイスラムの基本を維持しつつ、多神教徒と共生する可能性を見出したという。インドのスーフィーの多くが、かつて仏教が盛んだった中央アジア出身者とその子息であったこともまことに興味深い。またアショーカ王と並び称されるムガル帝国第三代アクバル帝(在位1556-1605)は、自らもスーフィーの行者としての宗教体験をもち、宥和政策を積極的に実行。それから百年もの間、スーフィー的寛容精神によるイスラム・ヒンドゥー融合文化が大いに隆盛したという。
第七章「仏教盛衰の比較文明学的考察」では、比較宗教学、比較文明学の視点からインド仏教の衰亡について語られる。一切衆生の平等を説く仏教は、教えの上では、一般民衆さえも覚りを求めれば得られるとし、社会的には、バラモン教の階級差別により疎外された下層の人々や女性、外地から侵入し定着した異民族などを受け入れ成長したが、それによりバラモン教と社会的競合関係が生じて仏教盛衰の要因にもなったとされる。
インド・イスラムの最古の史料『チャチュ・ナーマ』(インド亜大陸へのイスラム教初伝の地でインダス川下流部のシンドの七~八世紀の事績を記述する歴史書・原典ペルシア語)からの内容を要約されて、六世紀にグプタ朝を衰退させ激しく仏教徒からの略奪を繰り返したフン族の支族エフタルが七世紀にはパキスタン中部一帯を支配する間に仏教に帰依して穏やかな民族に変わっていったこと、また七世紀頃西インドでは密教的な呪術によって藩王の護持僧となった仏教僧がいたこと、現在のパキスタン・ハイデラバード近郊の仏教寺院でイスラムに集団改宗した事例などが詳述されている。
また、宗教が国家社会の中心に位置付けられていれば当然のことながら政治にかかわらないはずはないのに、近代以降日本における仏教理解において仏教と国家の関係を論じることをはばかる風潮があるのは、明治政府の神道重視と廃仏毀釈の偏った宗教観、敗戦後の政教分離の弊害であると指摘されている。
以上、読み進めるほどに知的興奮を掻き立てられた。比較宗教学、比較文明学からの視点によって論述される内容に、多くの新たな知識を得ることができた。冒頭に述べた、他宗教と対立するのではなく融和共生を計ろうとする仏教の思想は、大乗仏教が世界宗教として成長を遂げた西北インドや中央アジアに縁をもつシク教、イスラム教神秘主義者たちの中に、今も生きているように思えた。
さて、本書の序章冒頭に説かれるように、眼を現今の国際情勢に転じると、この分断された国際社会を、私たち日本人はどう乗り切っていけばよいのか。インドはヨーロッパほどの国土の中に、はるかに多くの民族と宗教とを抱える、いわば国際社会の先駆者ともいえよう。三千年にも及ぶインド宗教の興亡の歴史は、これからの人類がいかにあるべきかを教えてくれている。そこから将来の日本の生き残り方も見えてくる。なぜ衰亡していくのか、繁栄するにはいかにあるべきか、是非本書に学んでほしい。
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中央大学国際情報学部教授で、比較宗教学、比較文明論、インド思想を専門分野とされる保坂俊司先生の新刊、ちくま新書『インド宗教興亡史』を拝読させていただいた。保坂先生の著作については、これまでにも何度か紹介させていただいてきた。前回は『梵天勧請思想と神仏習合に学ぶ』と題して紹介させていただいた。
梵天勧請として語り継がれるエピソードについて、それは、ブッダの覚りが仏教となるためには他者からの働きかけが不可欠であったことを示すのと同時に、それは他宗教と対立するのではなく融和融合共生を計ろうとする仏教の根本的な姿勢を表しているとされた。仏教は他者を自らの定着や発展に役立てるという神仏習合思想ともいえるこの根本構造をもつがゆえに、インドにおいては、イスラム教徒の侵攻に際しても融和共生を模索し歩み寄ったことが、結果的にイスラム教に改宗し飲み込まれてしまったのであると推論された。
そしてこの、異なる他者を受け入れ自己犠牲を厭わずに平和裏に共生関係を持とうとする仏教の特質は、現代の様々な宗教間の確執によって抗争する国際間の諸問題を解決し、世界を平和に導く原動力になるのではないかと提唱された。
そして、今回は、今まさに既存の世界構造が崩れようとしている国際情勢にあって、つまり近代以降日本が模倣するモデルとしてきた欧米の優位が大きく揺らぐ現実に、日本人は何をなすべきか。そのヒントとして、インドがあるといわれる。近い将来その存在が一層重要となるはずであるインドの、その文明について理解を深めることは、混迷する世界情勢を乗り切るために重要であるというのである。
ところで、インドについて考えるとき、まず一貫して最重要な要素として宗教の存在があり、様々な民族の交錯する坩堝の中で、それらが相互に影響し合い、総括的にインド文明と呼べる共通性を形成したのだという。
インド宗教を概観すると、まず先住民ダーサの宗教があり、そこに中央アジアから来てインドを支配した異民族アーリア人のヴェーダの宗教が入り、それらが融合してバラモン教となる。そして、その時代にダーサの宗教的伝統に強く影響された仏教やジャイナ教が新たに起こり、それらとバラモン教が並立する時代にイスラム勢力の侵攻があった。その後、インド仏教がバラモン教に併呑されてイスラム教と対抗すべく今日のヒンドゥー教になったと説明される。
第一章「ヒンドゥー・ナショナリズム」では、現在のインド亜大陸における各宗教の人口比からヒンドゥー教徒とイスラム教徒がともに、広大な国土を奪われたという思いをいだいていると分析される。そして現代にもその両者の抗争は継続している。
第二章「ヴェーダの宗教、バラモン教、ヒンドゥー教」では、ヴェーダの宗教からヒンドゥー教に至るインド土着の宗教の変遷が語られる。そして、その底流にある、被征服民が長い間培ってきたダーサの宗教を起源とする「出家と修行」という宗教形態こそが、インド亜大陸に普遍的な宗教の伝統ではないかと指摘される。仏教やジャイナ教ばかりか、シク教、外来宗教であるキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教にもその伝統の影響がみられるという。
第三章「バラモン教とインド仏教」では、インドにおける仏教は、ヴェーダの権威を認めず、ブッダ自らの体験に基づく宗教的確信を自らの言葉で説き続けた、理性重視の開放型の宗教であったと分析される。その後仏教を支える民衆がバラモン文化の構成者なるが故にアートマンに準ずる存在原理を認める部派が生まれ、それに対抗するブッダの精神への原点回帰運動として大乗仏教があり、それはインドに定着した異民族の受け皿として機能する諸文明の要素を融合したハイブリッド仏教であったと定義される。
そしてグプタ朝の復古主義に抗えずバラモン教との共生へ転じた仏教は、さらにイスラム勢力のインド侵攻にも強く影響され密教化するにいたる。そして、バラモン教と融和共存関係を構築した仏教教団はバラモン教に併呑され、反バラモン教的集団はイスラム教に改宗し溶解していった敗北の歴史とみなされるという厳しい見方をされている。
仏教教団はヒンドゥー教の中に融解してしまったが、その後もブッダの教えは確実に伝わり、二十世紀の中葉、インド共和国憲法の草案作成者で、被差別階級出身の偉人アンベードカル博士(1891-1956)が、その独自性に共感し仏教に改宗、新たな仏教の再興運動を起こし、再び仏教はインド社会に開花した。それのみならず、ブッダの平等と平和の教えは、インド民衆の共感を得て大きなうねりとなっているという。
第四章「シク教の理想と挫折」では、十五世紀末に大乗仏教が栄えた西北インドに、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指して生まれた小さな世界宗教であるシク教について解説される。開祖ナーナク(1469-1539)は、この世にヒンドゥー教もイスラム教も区別なく、「唯一の神の教えのみであり、それは真理を御名とし、真理こそ神である、真理以外に神はない」と語り、神の意志の実現として、日常生活において、利己的自我を制御して他者への奉仕を推奨したという。
そして、神はすべてに遍在するとして、常に神を意識して教団内にて倫理的な日常生活を実践することこそ救いであるとした。そして神の意志によって生まれた人間の平等を説き、宗教や出生における差別、性別やカーストなど一切の差別を否定するなど、大乗仏教にも通底する教えを説いたという。しかしその後、ムガル帝国の皇位継承争いに巻き込まれ軍事教団化して多くの悲劇を生むことになるのだが。
第五章「ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教」では、独自の宗教の形態を維持して伝統を遵守してきた三つの小さな宗教について解説される。筆者にはそれら、小さな宗教なるが故の生き残り方に、これからの日本の国際社会での生き方がぼんやりと目に浮かぶ思いがして誠に興味深く読ませてもらった。
禁欲と死をも厭わない苦行を基本とする出家者とそれを支える在家信徒の伝統を守り通したジャイナ教。ゾロアスター教(インドではパールシーと呼ばれる)も独自性を維持したが、出家修行は重視せず、世俗の社会的役割を誠実に果たすことに救いを求める宗教理念により近代化を率先して受け入れ、インドの西洋文明化に貢献した。一方キリスト教は、南インド・ケララ州に多く居住し、コショウ貿易で莫大な利益をもたらすことでイスラム王朝時代にあっても弾圧されずに済んだという。
第六章「イスラム時代のインド」では、世界一律の普遍宗教を建前とするイスラム教のインドならではの多様性を明らかにしている。イスラム教は政教一元であり、多くのイスラム化した地域は短期間にイスラム絶対優位の環境を形成できたが、インド亜大陸にあっては、いまだに少数派であり、その状況に合わせたイスラム思想が発展したのだという。
八世紀初頭から始まるムスリムのインド侵攻には当初から二つの流れがあり、インドの巨万の富を略奪することを目的に攻撃して領域拡大に成功した侵略者としてのムスリムと、それと別にイスラム神秘主義を実践するスーフィーによる地道な布教者としてのイスラムの、この両者によりイスラム拡大がなされた。スーフィーはイスラムの基本を維持しつつ、多神教徒と共生する可能性を見出したという。インドのスーフィーの多くが、かつて仏教が盛んだった中央アジア出身者とその子息であったこともまことに興味深い。またアショーカ王と並び称されるムガル帝国第三代アクバル帝(在位1556-1605)は、自らもスーフィーの行者としての宗教体験をもち、宥和政策を積極的に実行。それから百年もの間、スーフィー的寛容精神によるイスラム・ヒンドゥー融合文化が大いに隆盛したという。
第七章「仏教盛衰の比較文明学的考察」では、比較宗教学、比較文明学の視点からインド仏教の衰亡について語られる。一切衆生の平等を説く仏教は、教えの上では、一般民衆さえも覚りを求めれば得られるとし、社会的には、バラモン教の階級差別により疎外された下層の人々や女性、外地から侵入し定着した異民族などを受け入れ成長したが、それによりバラモン教と社会的競合関係が生じて仏教盛衰の要因にもなったとされる。
インド・イスラムの最古の史料『チャチュ・ナーマ』(インド亜大陸へのイスラム教初伝の地でインダス川下流部のシンドの七~八世紀の事績を記述する歴史書・原典ペルシア語)からの内容を要約されて、六世紀にグプタ朝を衰退させ激しく仏教徒からの略奪を繰り返したフン族の支族エフタルが七世紀にはパキスタン中部一帯を支配する間に仏教に帰依して穏やかな民族に変わっていったこと、また七世紀頃西インドでは密教的な呪術によって藩王の護持僧となった仏教僧がいたこと、現在のパキスタン・ハイデラバード近郊の仏教寺院でイスラムに集団改宗した事例などが詳述されている。
また、宗教が国家社会の中心に位置付けられていれば当然のことながら政治にかかわらないはずはないのに、近代以降日本における仏教理解において仏教と国家の関係を論じることをはばかる風潮があるのは、明治政府の神道重視と廃仏毀釈の偏った宗教観、敗戦後の政教分離の弊害であると指摘されている。
以上、読み進めるほどに知的興奮を掻き立てられた。比較宗教学、比較文明学からの視点によって論述される内容に、多くの新たな知識を得ることができた。冒頭に述べた、他宗教と対立するのではなく融和共生を計ろうとする仏教の思想は、大乗仏教が世界宗教として成長を遂げた西北インドや中央アジアに縁をもつシク教、イスラム教神秘主義者たちの中に、今も生きているように思えた。
さて、本書の序章冒頭に説かれるように、眼を現今の国際情勢に転じると、この分断された国際社会を、私たち日本人はどう乗り切っていけばよいのか。インドはヨーロッパほどの国土の中に、はるかに多くの民族と宗教とを抱える、いわば国際社会の先駆者ともいえよう。三千年にも及ぶインド宗教の興亡の歴史は、これからの人類がいかにあるべきかを教えてくれている。そこから将来の日本の生き残り方も見えてくる。なぜ衰亡していくのか、繁栄するにはいかにあるべきか、是非本書に学んでほしい。
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