住職のひとりごと

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5/26 いきいきサロンでのお話  『死んだら皆、仏様 誤解』を読みながら-3

2010年05月28日 07時30分22秒 | 仏教に関する様々なお話
いかに生きるか

以上、輪廻に関連していろいろとお話しをしてきましたが、いかがでしたか。皆さんの中に、それは大変だ、死んだらみんな仏様だと思っていたのに、輪廻するなんて言われたらえらいこっちゃという人はいますか。いませんかね。ならいいのてすが、ちょっと怖くて人に言えないなんていう人もいるかもしれませんが、そういう人は今からでも遅くないので、しっかり仏教勉強して、戒定慧の生活ですね、清浄な行いをしていたら救われると言います。調子のいいことを言ってと思われるかもしれませんが。

『増一阿含経』の中に『業道経』というお経がありまして、些細な罪業を犯しても地獄に行く人と行かない人がいると、それはその人の日頃の生活の仕方、心を修め、智慧の教えを学び、功徳豊かであるかどうかにかかっているとあります。輪廻するというのは、ですから責任ある生き方が求められているということにもなりますね。仏教を学んで、しっかり生活して功徳を積んでいたら心配はないということだと思いますが、あんまりそんなことをするのも気が進まないという人もあるかもしれません。

やりたくないことをしないと生きられない

皆さん、それでなくとも毎日ようよう息をしてるんやという人もいるかもしれませんね。ですが、人間というのは、本当はしたくないこと、やりたくないことをしないと生きていけないものなんです。丹波哲郎さんのお父さんという人は一生仕事などせずに生きられた人と聞いていますが、普通はそういうわけにはいかないですね。

学校の勉強でもそうですね、したくないけど、やらなきゃいけないから何とかやっていれば、成績は上がります。いやな仕事でもしなくては生活していけないですね。好きな仕事でも、結構大変な思いをしなくてはお給料はもらえない。だからお釈迦様は「この世は苦なり」と言われてます。そのことをちゃんと見つめなさい認めなさいと。いやなこと苦しいことでも頑張れば成長しますよということなんですが。

私なんかも、好きでなった坊さんですが、毎朝4時半に起きて、5時の鐘をついて、本堂の仏飯お茶湯をして、お勤めしてというのは365日休みなしですから。それに境内の草を抜いたり、それはいろいろ雑用ばかりです。だからこそお経を上げる供養するということが生きてくる。何もしないで拝んでいるだけではありがたみがない、すべていろいろな仏教についての調べごと勉強も含めてそれらがすべてで行なのだと、先師さんや檀家さんの過去精霊の供養にもなると思っています。

苦しむから幸せがある

我慢して頑張ってやりきる、だから何事かが成し遂げられる。金メダルを取る人たちなどもそうですね、過酷な練習にめげずにやり通す、ギリギリの神経をすり減らして、しのぎを削る、そうして初めて勝利があり、喜びもひとしおということになる。やりたくないことでも頑張らなくては生きていけない、喜びに出会えない、幸せになれないということになります。だから嫌なことつらいことがあったら、逆にこれで幸せになれると思ったらいい。

今頃は、若い人たちの中では、何のために生きているのか分からない、幸せが何か分からないという人がいます。昔は、若いときの苦労は買ってでもしろと言われた、他人の飯を食わなきゃ一人めいじゃねぇ、なんてことも言った。そういうことだと思います。だから分からない。幸せになりたかったら、苦労することなんでしょうね。

何もしないで一人自分だけいい思いをしたいと思うから一向に叶えられない。一人でいた方が気楽でいいと結婚もしないということになります。自分が幸せになったり、いい思いをしたいなら、他の人を幸せにしてあげると自分もとっても幸せになってしまうということがわからない。一人でいい思いをしても楽しくないものです、皆さんはそんなことは百も承知です。一人でお茶飲んでも、お酒飲んでも楽しくない。やっぱり家族やら仲間と一緒に楽しんでいると本当に充実した喜びになる。子供の成長にこの上ない幸せや充実感を得られる。

人生の苦しみを認めて生きる

それで、私たちの生きている世界を娑婆などと言います。この娑婆世界、インドの言葉ですね、この娑婆というのも。サハーと言います。意味は忍耐を強いられるところ。忍土とも言いますが、もともとそういうところなんだと、私たちの人生は苦しみなんだとあきらめてしまって、そんなものだと生きていく。頑張っていればいいこともある。ああ、良かったと思えばいい。それで、先ほどの清浄な生活を心がける。そう難しいことじゃありません。私は毎朝4時半に起きますが、皆さんも早起きのはずです。そう寝ていられるものじゃありませんね。

一日10分の仏

それで何をするかと言えば、朝一で、新聞読むのもいいですが、新聞読んでもいいことはない。やはり、仏壇に御供えして、お経の一つもあげて、その後が大切です。みんなお経を上げてそれでおしまいとしがちなんですが、多分皆さんそうしていると思うのですが。そこで立ち上がらず、そのまま仏壇前で少し座ってみる。胡座でもいいし、正座でもいいですが。男の人なら右足を左腿の上に乗せて背中をまっすぐに伸ばし、両手を前に持ってきて、目を閉じる。静かな呼吸に心がけて、呼吸に心を向けて一つ二つと勘定してもいいし、静かに息の出入りを観察してもいい。十分くらいそうして心静かな時間を持つ。これを「一日十分の仏運動」と言いまして、皆さんに勧めています。

仏壇はその家のお寺

仏壇というのは、皆さんの家のお寺です。仏様に座っていただいている。仏様というのは、皆さんにとって何ですか。皆さん仏教徒ですね。意識するしないにかかわらず仏壇が家にあったら仏教徒ですよ。それで、仏様というとわかりにくいですが、お釈迦様、私たちと同じこの地上にお生まれになってお悟りになった。悟りとは最高の幸せのことです。この世の中のことがすべてお分かりになった上で、何の束縛もなく何が無くてもなんの愁いもなく幸せで溢れるような優しい気持ちをお持ちになられている。

仏様はその幸せを味わいつつある人のことです。私たちみんな幸せになりたい、なりたくない人はいないですね、なら、その最高に幸せに生きられたお釈迦様を目標として生きるべきですね。そこで、一日十分仏様のまねをして座ってみる。簡単なことです。是非やってみて下さい。私も本堂のお勤めから戻ると仏壇の前で座ります。皆さん是非一緒に仏壇で座り、清浄な生活、一日気持ちよく過ごせます。

慈悲の瞑想

それから、もしですよ、皆さんの中で眠れないほどの悩みを抱えている人、いますか。そういう人がいたら、是非、『慈悲の瞑想』をしてみて下さい。「私は幸せでありますように、私の悩み苦しみが無くなりますように、私の願い事が叶えられますように、私に悟りの光があらわれますように。」こう言いますと慈悲というのは人様に何かすることではないのかと思われるかもしれませんが、人間はみんなまず自分のことが大事なものなのです。

ですから、まずはじめに自分が幸せであるように、そして他の人に自分のようにあって欲しいと思う。それが慈悲の心です。その心を周りの人たち、生きとし生けるものに広げていきます。これをやりますと、とても楽になります、みんなが自分を助けてくれると思える。ちゃんと眠れるようになります。身体も元気になります。是非やってみて下さい。みんな何か一つは悩み事があるのかもしれませんね、だとしたら、皆さんなさってみてもいいですね。

仏教を学ぶ

それで、少しずつ仏教について学んでみて下さい。必ずいざというとき役に立ちます。閻魔さんが出てきたら、ちゃんと勉強してきたと胸を張ればいい。私ももう50才になります。50才になると死ぬということを考えるものです。自分はもう少しなんだと思います。これでいいのだろうか。死ぬまでにやっておくべきことは何かなどと考えます。

お寺にいますと、割と人が死ぬということと隣り合わせなんだと分かります。それが自然なんだと。自然界も生と死がずっと連鎖して続いている。それと何ら変わらないことなんだと思います。最期まで、やるべきことあります。新しいことも、希望も捨ててしまうことはない。それで最期の時には、良かったと、いい人生だったと思って死んでいきましょう。そしていい来世を迎えるんだと確信していきましょう。「一日十分の仏運動」是非よろしくお願いします。ご静聴ありがとうございました。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (加奈子)
2010-05-31 10:34:17
全雄様。
ご無沙汰しております。ちょうど、このブログを拝見したころに、友達の友達が39歳と言う若さで脳梗塞で突然に亡くなりました。決して他人事ではないなと思いました。もし、次に生まれ変わるとしたら、何かな?なんて考えながら通勤してました。何十年後、何百年後、人間、動物、植物、石?
今を大切に生きなきゃいけないなと、ご住職のお話で更に思いが強くなりました。小さな事からコツコツと頑張ります(笑)最近のちっちゃな楽しみ。庭に植えたゴーヤの成長を観察する事です(笑)
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お久しぶりです (全雄)
2010-05-31 12:13:33
お元気そうで何よりです。39歳は若いですね。残念なことをしました。脳梗塞も場所によっては後遺症もなく回復される人もあるのに。

生まれ変わりは、仏教では植物とか鉱物にとは考えませんので、人間か、動物か、物質的な身体を持たない、餓鬼とか、修羅、もちろん天人ということもあり得ます。人間というのは本当はなるのが難しいそうです。どの国も少子化でもありますし。笑

ゴーヤは楽しみですね。こちらでは蓮の葉がぐんぐん伸びてます。またご覧にお越し下さい。
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Unknown (加奈子)
2010-05-31 22:49:35
全雄様。

そうですか。ちょっと、怖い気もしますが、日頃の行いの結果と言う事でしたら自業自得、言い訳無用ですね(苦笑)
蓮の花の季節なんですね。常々、お伺いしたいと思っています!その節は、宜しくお願い致します(笑)四国遍路も楽しみにしております!!
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四国に (全雄)
2010-06-01 08:27:58
おはようございます。

蓮は、来月には咲くと思います。ひと月くらい去年は咲き続けてくれました。次から次にと。

四国に来られるご予定があるのですか。長期休暇でお越しになられるなら、またどうぞお立ち寄り下さい、楽しみにしております。
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